短編集
塔野くんの自然観察同好会日誌
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そして翌日の放課後。

「塔野く〜ん……! 塔野く〜ん……!」
「んだよ……」
「重たいよぉぉ……こいつを運ぶの手伝ってくれ……わっ」

そこら中で舞い上がる埃に顔をしかめながら、春山が移動させようとしていた机の片側をひょいと持ち上げ、「どこに」と尋ねる。

「そ、そっちの隅に頼む」
「ん」
「なんて頼りになる男なんだキミは……!!」
「てめーが貧弱なだけだろ」
「否めない。が、塔野くんがすごい奴だということは間違いない」

マスクをしていてもわかる勝ち誇った顔で頷く春山を半眼で見やり、同じくマスクを着用した塔野は棚の上の埃を落とす作業に戻った。落ちた埃がもさもさと連なって床に溜まっていく。

「埃もこれだけあるといっそ気持ちがいいな!」
「いや汚すぎだろ……どんだけ放置されてんだよ」
「本校舎が増築されて十年、取り壊しの費用をケチった前校長の手によってこの離れの第二棟は残された。でも用途もないし邪魔だからって、やっぱり数年後には取り壊す予定らしい。いやあ、その前に入学出来てよかったよ! 古い造りも趣があって素晴らしい」

春山が学校変遷豆知識を披露しながら自在ホウキを押し進め、ずももも、と床の埃を集めていく。化学室中から集めた埃が隅っこで山になると、塔野は直接ゴミ袋に回収した。

「ひとまずこんなもんか?」
「まだまだ。雑巾がけが鬼門さ」
「そこまでしなくていいだろ……どうせお前しか使わねえんだから」
「僕と、キミも使うだろう。部屋の汚れは心の汚れとも言う、心が汚れていたら見落とすものがたくさん出てくる! そんなのもったいないじゃないか」

さあ、と笑顔で新品の濡れ雑巾を渡され、顔に突き返すのをこらえて机から拭き始める。

「ハァ〜……なんで俺が……」
「善因善果、きっといいことがあるよ」
「んだよいいことって」
「いいことは、いいことだろう。あったらわかるよ」
「適当言いやがって」
「ほらほら、手が遅いよ、今日は掃除以外にもやりたいことがあるんだ! 頑張ろう!!」
「声デケェな……」

かれこれ二時間近くかけ、室内整理と掃き掃除、雑巾がけを終えると、二人は黒板前の教卓に椅子を並べて息をついた。

「もういいだろ……こんなもんで」
「そうだな……今後もこまめに掃除はするとして、活動するには十分だ。さて」

春山がふふ、と得意気に教卓の木製引き出しを開け、小さな箱を取り出す。

「さっき見つけたんだ。新品チョーク」
「はあ」
「新しい集団が活動を始める時、まずは自己紹介からと相場が決まっている。僕からいこう」

カツカツと小気味良い音を立て、綺麗にした黒板に赤のチョークで名前を書いた。

『春山 水樹』

「一年四組、はるやまみずきだ。趣味は自然観察、好きな食べ物はチキンライス。初恋は幼稚園のすみれ先生」
「大体どうでもよかったわ」
「次! 塔野くんの番だ。何色がいい?」
「なんでもいいわ」
「意思を持っていこうよ。でもまあ、たまには流されるのも悪くないよな」

はい、と渡された黄色のチョークを受け取り、春山に倣って名前を書く。

『塔野 灯』

「……ともしび?」
「…………」
「……あかり……」
「………………」
「あかり!!!」
「うるせーよ!!」
「あかりくん!! 素晴らしい!!」
「もう一回呼んだら蹴るからな」
「塔野くん」
「それでいい」

急上昇したテンションを抑えた春山が「さて」と手を合わせる。

「ここからは自分史タイムに入ろう」
「ジブンシ?」
「自分の歴史だよ。名前は個人を認識するのに便利だし、大切なアイデンティティーの一つであって、人格の形成にも一役買ってると思うけど、さすがにそれだけじゃ他人のことはわからないからね」
「……どうでもいいけど、なんでんなことしなきゃなんねえんだよ」
「知りたいからだよ、キミのことを! そして僕のことも知ってほしい」

輝く瞳で塔野を見つめる春山は、そのまま塔野が黒板に書いた名前を見た。

「知らないことはある種、恐怖だよ。例えばお互い、相手の考えてることがすべて理解できるとしたら、喧嘩は起こらないと思わないか? 大小問わず、相手に勝手に期待したり、勝手にがっかりしたりするから喧嘩になる……とはいえ、いくら知ろうと全部はわからないから一生懸命考えるし、それが楽しいんだけど。とにかく他人を少しでも多く知ることは、友好の一歩であると僕は思ってる。だから知りたいんだ、名前だけじゃキミのことはせいぜい三ミリくらいしかわからない」
「三ミリ」
「もしかしたら一ミリかも?」
「いやどうでもいいし。あと話がなげー」
「否めない。じゃあ、キミから話してくれよ! ルールは簡単、語り手は自分のことを話す。聞き手は話を否定したり介入したりせず、ただ聞くだけ、最後に質問やコメント。僕、話すのは好きだけど、聞くのも大好きなんだよ」

明るい声を上げた春山が塔野に向き直る。まるで今から、塔野にプレゼントをもらえるとでも思っているかのような笑顔である。
ーー本当、何こいつ。
なんでこんな奴に、


「……何話せばいいんだよ」
「なんでもいいよ。塔野くんが自分のことを考えて、頭に浮かんだこと、聞いてほしいこと、なんとなく話したいこと……独り言みたいなのでもいい。僕は何も邪魔しない、今から話し終わるまで、全部キミの時間だよ。さあ」

どうぞ、と穏やかな声が促す。
蛇口から垂れた水滴が静かにシンクを打った。

「…………俺は……」



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