それは呆気なく突然だった。
これまでのような痛みもなく、静かに最後のピースがはまったのだ。
力無く床にへたり込んだフィーネは、ブルーとグリーンの瞳を大きく何度も瞬かせて、寝室の壁にかけられたテレビモニターを見つめた。
長い黒髪、切れ長の橙の目。柔和な口調…
これまでも何度も映像で見てきたはずの敵国の長だ。
憎しみの対象でしかなかったコーディネーターの男の顔を前にして、今フィーネの胸には懐かしさが込み上げていた。
「ギルバート、デュランダル…」
何故、今まで気付かなかったんだろう。
「あの時の…」

――自分はこの男に会っている。




物心ついた時から孤独だった。
微かに薬品の匂いする部屋は、ベッドがひとつ置いてあるだけ。幼い少女はそこで贈り主の分からないテディベアを抱いて、何をするわけでもなくただ生かされていた。
毎日決まった時間に何かの検査を受けるだけの生活。
幼い思考でも何となく気付いていた。この検査が全て終われば“役割”は終わるのだと。
代わり映えのしない日常に、その男はある日突然現れた。
自分を検査する研究員とともにやってきた長身の男は、部屋に入ってくるなりフッと柔らかな笑みを見せた。
彼は目線を合わせるようにしゃがみ込むと、穏やかな口調で尋ねた。
「名前は?」
「…スペア」
少女は胸に抱えた唯一の“友人”をさらに力を込めて抱き締めた。
「みんな、そう呼ぶから…たぶんそれが名前」
「そうか」と、彼は橙の瞳を細めた。
「スペア。今日から君には新しい“役割”が出来た。君にも生きる意味があるんだよ」
「行こう」と差し出された男の手。
その意味が分からないまま小さく頷いて、それに手を伸ばした。




「ハハッ…」
歪んだ唇から乾いた笑いが漏れる。
「そうだ私は…」
フリッグ・スキャルブにも、ヴァルハラ製にも、何にもなりきれ無かった落ちこぼれ…
欠陥品の、フィーネ・ハゼットだ。
「久しぶりね、スペア」
――ずっと閉じ込められていたヴァルハラに入る前の“スペア”の記憶。
「おかえりなさい、フィーネ」
――開戦してからずっと曖昧だった“フィーネ”の記憶。
やっと全て取り戻せた。
両手で顔を庇ったフィーネは、小刻みに肩を震わせた。腹の底から湧き上がる笑いを堪えきれなかった。
空虚な高笑いが寝室に響く。
嗚呼、なんて滑稽なんだろう…!
せっかく廃棄以外の運命を与えられたというのに。プラントの番犬に成り損ねて逃げ出した結果が、ブルーコスモスの飼い猫か。
なんて惨めな、なんて愚かな…
画面の中の男は、尚も意気高く世界に平和を訴えている。
“世界の救世主”とならんとする男の下で、忠実に戦い続ける獣がいる事をフィーネは知っている。
その黒い番犬の姿を思い浮かべて、愛おしそうに目を細めた。
「…好きだよ」
――ジーク・エアリス。
ザフトの“漆黒の餓狼”
宇宙を思わせる黒い瞳。
端正な顔の右側に刻まれた傷跡。
心地の良いバリトンは、自分の名を呼ぶ時だけ僅かに哀愁を滲ませた。
骨張った彼の手は、まるで壊れ物を扱うように優しく自分に触れるのだ。彼の世間のイメージとのギャップに、思わず笑ってしまったのを覚えている。
そう。全部、覚えてる…
「好きよ。ううん…大好き“だった”」
かつて愛してしまった敵兵だ。
暗くて狭い世界で初めて見た光だった。
強くて、優しい…自分を守ると約束してくれた人。
君に抱き締められて、初めて“幸せ”とはこういうことをいうのだと知った。
“戦争”のやり方も、“愛情”の意味も、未来への僅かな希望も、教えてくれたのは君だ。
このまま身を委ねてしまおうかと、何度も気持ちが揺らいで、その度に願ったのだ。
君の記憶も無くなってしまえばいいと。
フィーネはゆっくり立ち上がると、ソファに脱ぎ捨てられたままの軍服を手に取った。
やはり“フェンリル”は自分の手で討たなければいけない。
記憶を奪われていた時に本能的に感じていたその殺意は間違っていなかった。
今こうして苦しむから、はやく殺しておくべきだったのだ。
機会ならいくらでもあったはずなのに、刹那の情交に絆されてずるずるとここまで来てしまった。
ピンク色の軍服に袖を通して混交した感情を振り払う。
「私はコーディネーターとは生きられない」
“戦争ごっこ”はもうお終い。
再び立ちはだかるその時は、今度こそ“戦争”だ。

「殺しちゃったらごめんね。狼さん」