「結局“裏切り者”だったじゃねぇか」
宿舎内の医務室。アーシェとグレイは目の前に座る上官の背中を見つめていた。
ドア横の壁に寄りかかっていたグレイが、その背中に呆れ声を投げつけた。
「出戻りにフェイスなんて大それたもの与えて、好き勝手させるからこうなる。何考えてんだ?議長も、お前も」
右肩に包帯を巻かれた状態のジークは、何かを考え込むようにして椅子に座っていた。
「肉を削がれただけで良かったな。貫通してたらしばらく右腕は使い物にならなかった」
ゆっくりと掌を閉じて指の感覚を確かめる。
僅かに痺れはあるものの、しっかりと動く手指に安堵する。
次の作戦はこの戦争の重大局面だ。それに出られないなどあってはならない。
「俺は、殺すつもりだったんだけどな…」
ジークは自分を鋭く射抜いたエメラルドグリーンを思い出していた。
アスランは初めから急所を避けて撃ってきた。
僅かな差でアスランとの勝負に負けた悔しさと、情けをかけられた惨めさが込み上げる。
「アスラン・ザラには散々だな、お前。殴られて撃たれて…殴られただけなら笑い話だったが、何だそれ」
グレイは苛立っていた。
「無様な姿晒してんじゃねぇよ」
責め立てるような口調にもジークは一切反論しない。
そんな重い空気に耐えかねたのか、黙って様子を伺っていたアーシェが遠慮がちに口を開いた。
「隊長は悪くないじゃないですか」
「悪いさ。結果撃墜したから良かったものの、一時でも機体の強奪を許したのは事実だ。こいつはそこらの指揮官とは違う、“エアリス隊”の隊長だ。些細なミスも許されない」
尚も食い下がるグレイは、何も言わないジークに厳しい声を投げつけた。
「今回の原因を、こいつは分かってるから何も言えねぇんだよ」
「…悪い」
ジークはすぐ横のベッドから軍服を取ると、それに袖を通した。
「部屋で頭を冷やしてくる」
背後の2人の部下に振り向いたその顔は、いつもの淡然たる顔つきだった。
医務室を出ようとするジークのすれ違いざまの横顔をグレイは鋭く睨みつける。
「“エス”」
ジークの足がピタリと止まる。
「いい加減、切り捨てることを覚えろよ」
漆黒と深紅の瞳が交わった。
アーシェは目の前の青年2人の間に漂う侵し難い雰囲気に圧倒され、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
「荷物は軽くしておけ。本当に欲しいものに手を伸ばせなくなる」




「あれがあいつの弱点なんだ」
自動販売機のミルクティーのボタンを押して、グレイは言った。
数秒後、薄茶色の液体が入った紙コップを取り出し口から出して、ベンチに腰掛けていたアーシェに手渡す。
「え?」
呆気に取られてグレイを見上げると、彼も同じように「え」と首を傾げた。
「あれ、違ったっけ?お前、コーヒー飲めなかったよな」
「そうですけど…」
「なら良かった。やるよ。俺の奢り」
よく覚えているな…
再び自動販売機に向き直った彼の後ろ姿を眺めて思う。
「コーヒーが飲めない」と、彼に言ったのはディオニソスに居た頃だ。イルミとエルヴィンのご機嫌取りの為にジークが買ってきたケーキで休憩を取ったある日。
地球に降下してからもう数カ月経っているというのに、何気ない会話を覚えている彼に感心する。
グレイの背中に礼を言って、温かいそれを口にした。
「隊長もですけど、そういうとこモテるでしょうね」
細かいところによく気が付く。
近寄りがたい雰囲気があるかと思えば、ふとした時に柔らかい笑顔をみせて絶妙な距離感で気遣いをみせるのだ。そのギャップに惹かれる女は多いだろう。
「まあ、否定はしないな」
コーヒーを手にしたグレイはいたずらっぽく笑ってみせた。
「ジークは特にそうだよ。あの見た目で中身はとにかく甘い」
「確かに…」
「そして、それがあいつの“バグ”だ」
「バグ?」
アーシェは眉を寄せた。
ジーク・エアリスは“ヴァルハラ計画”の数少ない成功体と称された男だ。その通り彼の身体能力はずば抜けていて、とても不具合があるようには見えなかった。
「優しすぎるんだよ。すぐ他人に情をかけちまう。どうせあいつ、アスラン・ザラのことも気に入ってたんだろ?」
「まぁ、仲は悪くなかったですね」
グレイは大きく溜息をついた。
「誰より割り切れてないのはあいつだよ。仲間と認識したものは全部拾っちまうんだ。結果てめぇで勝手に背負うものを増やしてる」
アーシェはこれまで見てきた彼の姿を思い出した。
何かに追われるように仕事に打ち込む姿。そして、自分を見て一度だけ吐き出した弱音…
ガムシャラなあの姿は、全て仲間の為だったのだろうか。
「そのバグのせいでな、あいつは一度廃棄になりかけてる」
「廃棄に?」
「ヴァルハラ製は冷淡でなくちゃいけない。ジークは“父親譲り”のお人好しでな」
「養子、でしたよね」
「本人達は頑なにそう言ってたけどな」
「どうだか…」と意味深に言って、大きく肩を竦めてみせた。
「だから心配なんだよ。それがいつかあいつの命取りになるんじゃないかって」
だから、先程あんなに怒っていたのか。
アスランの逃亡を許したことではなく、ジークが怪我を負ったことに対して怒っていたのだ。
「アーシェ」
「はい」
ふと、グレイが真剣な表情でこちらを見つめた。急に切り替わった彼の声色に、思わず身構える。
「ジークは、お前に隠し事があるんだ」
「え…」
ジークが自分にしている隠し事。
それはアーシェも薄々気付いていた。丁度この任務が終わったらグレイとクロエに教えてもらおうと考えていた。
まさか、彼の方から先に切り出されるとは思いもしなかった。
「俺からは言えない。けど、近いうちにお前は嫌でもその事実と向き合うことになる。その時は思い切り殴ってくれていい。あいつも、俺のことも」
「ふたりとも、私に殴られる程のことしてるんですか」
アーシェが怪訝な視線を向けると、グレイは曖昧に笑った。
「ああ、俺とジークは昔からバカなことばかりしてきたから」