#33

イザークはパイロットスーツのままミネルバの医務室に立ち尽くしていた。
目の前のベッドに横たわる少女は、青白い顔を酸素マスクで覆われ、身体は無数のチューブやコードで繋がれていた。
「アーシェ…」
無意識に手にしていたカルテを握りしめた。それは、先ほどミネルバの軍医から手渡されたアーシェのものだ。
軍医によると彼女の命に別状はないという。吐血したものの命に関わるほどの量では無かったのが幸いだったと。
『“普通”であれば、これでも危険な状態でした。ただ、彼女は回復が早いでしょう』
怪訝な表情を浮かべたイザークに、軍医は「彼女は特殊で…」と言葉を濁した。
『経緯は私も解りかねますが、身体機能がどれをとっても人並み以上なんです』
イザークは直ぐにその理由を察し、軍医にそれ以上の説明を求めなかった。
いま目の前で静かに眠っている少女は、戦うためだけに生み出された存在だ。
初めて目の当たりにしたアーシェの戦いぶりに、イザークの心は複雑に揺れていた。
「ベルリンの悪魔」と恐れられたあの地球軍の巨大兵器“デストロイ”をたった一人で撃墜した驚異的な力。“アレウス”に限界まで立ち向かう激しい戦い方に、イザークは目を見張った。
彼女には恐れが無い。躊躇なく敵に向かっていく様は、まるで楽しんでいるようにも思えた。
「会ってもらった方が早い」と言っていたのはあれか…
改めて彼女の真実を突き付けられて、イザークは表情を陰らせた。
自分が知っているのは秘書官のアーシェだ。常に隊員の身を案じてくれた心優しい少女。
彼女は、戦場を楽しむ“フリッグ”が本当の姿だと自分に伝えたかったのだ。
その姿を見てどう思うのか不安だと、彼女は困ったように笑った。


『隊長が、私を壊してください』
以前、自分の腕の中で泣いていた儚い姿を思い出す。
『私は兵器だから。平和な世の中には、もう要らなくなるでしょう?』


「お前の頼みは聞いてやらん…」
閉ざされた瞼を見つめて、イザークは彼女の柔らかな髪を撫でた。
サファイアの瞳が再び自分を映したとき、イザークが彼女に語る言葉は決まっていた。
「大丈夫。大丈夫だから…」
――はやく、目を覚ましてくれ




イザークが医務室を出ると、通路の向こうから足早にこちらに向かってくる赤服の兵士の姿があった。
肩まで伸ばしたプラチナブロンド。冷たい印象のブルーの瞳には、僅かに動揺が見えた。
ジブラルタル基地で見かけたミネルバのパイロットの少年だ。
確か、レイといったか…
イザークはアーシェがそう呼んでいたのを思い出す。
焦った様子で医務室の前にやって来た彼はイザークの姿を認識してピタリと足をとめた。
すぐに冷静な表情をその端正な顔に貼り付け敬礼をする。イザークも敬礼を返して、その顔を見つめた。
目の前の少年のブルーの瞳に射抜かれて、なんと声をかけたらいいのか一瞬躊躇する。冷静なその目はどこか敵意にも似た鋭さがあった。
「…俺は自分の部隊に戻る。アーシェを宜しく頼む」
事務的にそう言うと、少年の眉が動いた。
「基地に戻ったらまた様子を見にきたいと思ってるが…」
「ジュール隊長」
冷たい声がイザークを呼んだ。
「アーシェを連れて来て頂いたのは感謝します」
「ただ…」と、彼の顔が一層険しくなる。
「“宜しく頼む”とは、どの立場から仰っているのでしょうか」
その問に、イザークは面食らったように目を丸くした。
まるで言葉狩りのようだと思った。
一見聡明で冷静沈着に見える少年のその言動から、イザークは直ぐに察した。
――ああ、そうか…
ジブラルタル基地で初めて遠目で見たときに感じた冷たい印象は彼本来の性格だけが理由ではない。
これは、明らかな…
イザークは少し考えたように視線を落とし、やがて小さく笑った。
なおも自分に厳しい視線を向ける喧嘩腰の彼を置き去りに、通路を歩き出す。
「そうだな。“元上官”としての立場というより…」
唇に余裕を浮かべてイザークは言う。

「ひとりの男としての意味合いが強いかな」