「――ロード・ジブリールがいないだと?」
ジークは眉根を寄せた。
「どういうことだ?他の幹部共は揃ってるんだろ」
《俺だって分かんねぇよ》
インカムから聞こえてくるグレイの声は不満気だった。
グレイが基地司令部を制圧した時には、既にロード・ジブリールの姿はなかったのだという。
ジークは忌々しそうに歯噛みする。
《拘束した幹部は、知らないの一点張りなんだが…どうする?吐くまでやれっていうならやるけど》
「いや…尋問は無駄だ。多分、そいつらは本当に何も知らない」
恐らくジブリールは味方を裏切って自分だけ逃亡したのだろう。用心深く姑息なあの男らしいやり方だ。
グレイの深いため息を聞きながら、ジークは足元に視線を落とした。
今、ジークは地面に横たわる“アレウス”の上に立っていた。
周囲はあちこちで黒煙が上がり、撃墜されたモビルスーツから上がった火が未だ燻っている。煙の刺激臭が漂うなか、ジークはしゃがみこんでコックピットの中を注視する。
純白の狂戦士の“部品”は、力なく身体をシートに預けて気を失っていた。
「奴に繋がる鍵ならこちらにある。お前も帰艦しろ」
グレイの気の無い返事を聞いて、ジークは通信を切ろうとした。途端、グレイが思い出したように呼び止めた。
《あぁ、先に謝っとくわ》
「なにが」
《アスラン・ザラにやられた顔…せっかく綺麗になったとこ悪いんだけどさ、もう1発だけ我慢して受け入れてくれな》
「ああ?」
《まあ、悪いのはお前だし。むしろ殺される覚悟で帰艦してくれ。隊長》
ジークが顔を顰めているうちに「じゃあな」と通信は一方的に切られた。
ジークは呆れたようなため息をついて、足元の少女に向き直った。
彼女の身体に目立った外傷は見られない。静かに上下する胸を確認して安堵の表情を浮かべた。
念願叶うことへの興奮で危うくこちらまで“スイッチ”が入りかけた。ここで壊してしまったら元も子もない。
コックピットに身を乗り出して、彼女を繋いでいたシートベルトを外す。
引き上げた身体は、最後に腕に抱いた時より軽くなったように感じた。
ヘルメットを取ると淡い水色が揺れる。
長い睫毛が微かに震え、零れたひと粒の涙が白い頬に伝った。
ジークはそれを指で拭って、静かな寝息をたてるその顔を見つめた。
――少し窶れたか…
やっと触れる事が出来た。何より渇望した愛しい人本人だ。
「遅くなって悪かったな…チビ助」
幼い瞳を交してしたあの約束から、途方のない時間が過ぎてしまった。
だが、ジークはこの長い時間を無駄に過ごしてきたわけでは無い。
ただの兵器“ヴァルハラ製”が、“ジーク・エアリス”として国からの信頼を勝ち得るのは並大抵の努力では済まなかった。
全ては彼女を、仲間の未来を守る為だ。
意識の無い身体を抱き上げて、“フェンリル”に向かう。
――これで終わりではない
向かう先にある黒いモビルスーツを見上げたその顔には、並々ならぬ覚悟が浮かぶ。
腕の中の少女を守るためには、やらなければならないことがまだたくさん残されていた。


 

「艦長、フェンリルから入電です」
ミネルバのブリッジ。管制官アビー・ウィンザーがタリアに告げた。
敵司令部の降伏確認後パイロット達が続々と帰艦するなか、ジークからは何の音沙汰が無かった。
タリアは小さくため息をついた。
彼ならば心配いらないと分かっていても、戦闘が終わってこう長く連絡が無いと流石に心配になってしまうではないか。
「読み上げてくれる?」
「えっと、それが…」
アビーが困惑した様子でそれを読み上げる。
「アレウスを拿捕。重要参考人として捕虜の乗艦許可が欲しい、と…」
「なんですって!?」
タリアは驚嘆し、思わず後ろを振り返った。
今回の一大作戦を指揮した最高責任者、ギルバート・デュランダルは表情を変えずにそこに座している。
彼は隣に控えた将校と一度顔を見合わせると、神妙に頷いてみせた。
「ジークが重要参考人と言うんだ。余程のことだろう…」
「許可してくれ」とタリアに言う。
有無を言わさないその視線に、タリアは不信のまなざしで返した。
デュランダルのその顔はジークの意図を理解しているような、悟った顔であった。
ここ最近、彼と彼の部下は自分を置き去りにことを進めていく。
このミネルバの艦長は自分だというのに。理由も分からぬままクルーを処分され、今度は敵兵の乗艦を許せという。
タリアは敵兵の乗艦には苦い経験をしている。なるべく慎重になりたいというのに、詳細を確認することなくふたつ返事で許可を出していいものか…
―――随分と信頼しているのね、あの“番犬”を
タリアは前に向き直り、ジークの“フェンリル”に繋ぐようアビーに指示を出した。
苦い表情を浮かべるタリアの後ろで、デュランダルの穏やかな唇が一瞬だけ吊り上がったのを彼女は気付いていなかった。