突き飛ばすように独房に押し込んで、ジークは倒れ込んだ捕虜を冷たく見下ろした。
捕虜の少女はゆっくりと身体を起こしてジークを見上げる。
身に纏う簡素な服から覗く白い手足が暗闇に浮かぶ。
ジークは壁に掛けられた枷を手に乗ると、彼女の足首にそれを嵌めた。
「…ここの艦長は優し過ぎるが、ジブラルタルに移されればそうはいかない」
力を込めれば容易にへし折れそうな足首を手にして、ジークは顔を顰めた。
彼女を繋ぐ“鎖”は全て壊すのだと決意しておきながら、今自分が彼女の手足を鎖で繋ぐとは、なんと皮肉なことだろう。
「優しくされているうちに吐いた方がいいぞ。フィーネ」
「だって、本当に知らないもの」
フィーネはそっぽを向いて頬を膨らませた。面白くないことがあると彼女はすぐにこの顔をする。
そういえば、アーシェにも同じ癖があった。
「例え拷問されたとしても知らないことは答えようがないわ。これ、時間の無駄よ」
ジークは彼女を睨む。その鋭い眼光にも彼女は怯まなかった。
抵抗することなく自分の手足が拘束されていくのを見つめ、やがてフッと諦めのようなため息をもらした。
「…ザフトの軍人さんに教えてあげる」
瞳を伏せてゆっくりと口を開く。
「ううん…ここからはただの独り言。追い詰められた哀れな敵兵の世迷い言だと思って聞き流してね」
彼女は穏やかな声で独り言を語り出した。
「さっきの艦長さんの質問、何でコーディネーターの私がジブリールの私兵にって話の続きだけど…」
拘束された手を顔横に持っていくと、手首から伸びる鎖がカチャリと冷たい音をたてた。
細い指で淡いブルーの髪を耳にかけて微笑む仕草は、ジークが好きだった彼女の姿だ。
戦場で激しい戦闘を繰り広げる姿とは一変して、モビルスーツから降りた彼女はいつも穏やかでその口調は微睡の中にいるような心地よさがあった。
ジークは複雑に揺れる自分の胸の内にため息をつく。彼女の前に腰を下ろし、その独り言に付き合うことにした。
「戦う場所があれば何処でも良かったのよ。戦う正義なんて分からない…ただ本能的に“戦争”を求めてた。宛もなく彷徨ってたある日…雨の日にね、濡れて震えていた小さな獣に手を差し伸べた人がいた。それが、ロード・ジブリールよ」
「もし…」
ジークは思わず口を開く。
「もし、その時ザフトに拾われていたら?」
その問いに、彼女は少しだけ驚いたように目を見開いた。そして再び頬を膨らませてみせる。
「もう、独り言だって言ったのに…」
「コーディネーター嫌いのお前は、ザフト兵として戦っていたのか?」
彼女は少し考え込んで、「そうね」と憂いを帯びた瞳を細めた。
「私を最初に見つけたのがザフトの人間だったなら、この状況は違っていたかもね。でも、そんなのただの仮定でしょう?今考えても仕方ないわ。コーディネーターが嫌いなのは変わらないし、結果これで良かったのよ」
『必ず見つけてやる』
かつて交わしたあの約束がジークの脳裏を過ぎる。
「もし」などという仮定は、これまで結果が全てだと信じてきたジークにとって無用のはずだった。彼女を、同胞たちを守る力を得るためにかけてきたこの時間を無駄だったとは思わない。だが、初めて自分に心情を吐露する彼女を目の前にして、ジークの自信が僅かに揺らいだ。
「ブルーコスモス…ロゴスのあの人達はね、コーディネーターを“化け物”って忌み嫌ってる癖に私が大人しく擦り寄れば鼻の下伸ばして優しくなるのよ。あまりにも無様で、抱かれながら笑いを堪えるの大変だった…」
「フィーネ」
その下劣な内容に思わず言葉を遮るが、彼女はやめない。
「一度飼い猫になった以上、私の生命は飼い主の手の中にある。だから必死だった…思い返せば何でそんなに生きたかったのか分からないけどね。飼い主の手から離れた今は、もうその執着もどうでもよくなっちゃった」
自嘲気味にそう言って大げさに肩を竦める。
「極悪人のロード・ジブリールの側近…私自身たくさん罪のない人を殺してきたよ。あのデストロイのように、街を焼き払ったこともある。縋って命乞いしてきた生身の人間をこの手で切り裂いた。子供も、老人も関係なくね…。死に値する罪状なんて腐るほどあるのよ」
手錠で拘束された冷たい手がジークの片手を取った。
「君、白服ってことは指揮官でしょ?しかもここは“英雄”の艦…」
ジークが呆気に取られていると、彼女はその手をゆっくりと自分の喉元に当てた。
その表情は美しかった。微笑みを浮かべた花唇が絶望を吐き出す。
「世界の敵は、英雄の君が殺してね」
瞬間、ジークは猛火で焙りたてるような激情に駆られた。
「テメェ…!」
彼女から誘われるように喉元にかけた手に力をこめ、そのまま床に押し倒す。
「だったら…!今だって命乞いしてみればいいだろ!?」
汚い大人にすり寄って自らを傷付けてまで生きたかったというのなら、今もそうすればいい。
自分なら彼女を守ってやれる。
彼女がザフトに僅かでも恭順を示してくれさえすれば、司令部に掛け合ってこの独房からもすぐに出してやれるのだ。
抑えきれない激情のなか、ジークは空いたもう片方の手を彼女のシャツの裾の中へ忍び込ませた。
鋭く睨み付けながら乱雑に薄い腹部から胸の膨らみへと手を這わせたとき、露わになった白い肌にジークはハッと目を見開いた。
暗闇にぼんやりと浮かび上がった白肌には無数の痣があった。
殴打痕…
それぞれ濃淡の違う青痣は、それが一度や二度で付けられたものではないことを意味していた。
「くそ野郎ッ…」
湧き上がる憎悪に顔を歪め、この痣を残したであろう男に吐き捨てる。
いったい何故だ…
あんな男よりずっと自分の方が守るだけの力を持っているというのに。
何故、彼女は酷い仕打ちを受けてもあの男の飼い猫でいる事を選ぶのか。
何故、いつまで経っても差し出した手を取ろうとしてくれないのか。
幼い頃のように自分に泣いて縋ればいい。そうすれば、自分も彼女を抱きしめて「大丈夫だ」と言ってやれる。
パナマで敵として再会したあの日から、彼女は一度だって自分に涙を見せたことは無かった。
「…泣けよ」
首にかけた手に力を込めると、それまで余裕を浮かべていた彼女の唇からヒュッと空気が漏れた。
「せっかくここまで生き存えた命だ。可愛く泣いてみせれば、敵兵の俺だって絆されてやる」
「はッ…悪趣味」
フィーネは苦痛に顔を歪めながらも、ジークの不器用な願いを鼻で笑い飛ばしてみせた。
「俺ならお前をここから出してやれる。お前が戦うことを望むなら、その場所だって与えてやる。俺は、あの男なんかよりずっとお前の性能を活かせる。だから…」
――だから、今度こそ俺を選んでくれ
「ほんと…流石“コーディネーター様”ね。どこからくるの?その自信。傲慢で横暴…そういうの大嫌い」
「お前だってコーディネーターだ」
「ええ、だから気持ち悪いのよ。自分のこの眼も、血も…何もかも」
「フィーネ」
「あと…君ね、“初対面”の女を気安くファーストネームで呼ぶのやめた方がいいわよ。そのルックスでそんなことしてたら、泣かせた女は多いでしょう?」
「…今まさに、泣いて欲しい女が泣かなくて苛ついてるところだ」
「ごめんね、敵兵の為に流す涙は持ち合わせていないわ」
冷ややかな視線がジークを射抜いた。
「殺してくれないなら、退いて」
「フィーネ…」
今にも噛みつきそうなほど怒りを露わにしていた狼の瞳が、一瞬だけ揺れた。
「しつこいな…」
フィーネは呆れ声を漏らす。
「だからさっきも言ったでしょ。私、忘れっぽいのよ」
両手足を拘束され殺気立った敵兵に組み敷かれたこの状況でも、彼女の強気な態度は変わらなかった。
「あんたなんか知らない」
緊迫した睨み合いはしばらく続いた。
互いに何も言わず、先に視線を逸らした方が負けだというように真っ直ぐ視線を交わす。
やがて冷たいため息が独房に響き、細い首にかけられた骨張った手はゆっくりと離れていった。
ジークが去った暗闇の中で、フィーネは膝を抱えて蹲っていた。
出撃してからどれくらいの時間が経っただろう…
だいぶ時間が経ってしまった気がするが、時計も窓も無いこの独房では、大体の時間を予測することも難しい。
じわじわと全身に広がり始めた痛みに、フィーネは顔を歪めた。
小さく身をよじると自身と壁とを繋ぐ鎖が床に擦れ、その音はやけに大きく独房に響いた。
もうすぐ薬がきれる。
この激痛にのみ込まれた姿を、彼にだけは見せたくなかった。
こみ上げてくる涙を唇を強く噛んで堪える。
泣いたら負けだ。
自分に「泣け」と言った彼に、フィーネは思わずその横面を殴りたい衝動に駆られた。
何を今更…どれだけこの男は勝手なのかと、フィーネの胸に怒りと憐れみが込み上げた。
「絶対に、泣いてやらない…」
幼い頃、彼を想って泣き明かした夜が何度あっただろう。
先ほど、フィーネは彼に嘘をついた。
飼い猫としてのこれまでの生活は優しいものではなかった。無様な男たちに抱かれながら笑いが込み上げてきたことなど一度もない。
大人達の享楽的な“躾”が行われる度に、まだ未熟な身体の幼い少女は恐怖と苦痛に泣き叫んで“大好きな人”へ助けを求めていた。
大人たちに吐き出された汚い欲を見る度に悪心が喉元をせり上がり、過去に自分の身体を必死に拭ってくれた少年の泣きそうな顔を思い出した。
彼は知らないのだ。
「たすけて」と「あいたい」と、どんなに地上から叫んでも宇宙までは届かなかった。
――君の為に流す涙は、とうの昔に枯れ果てた
“大好きな人”が言っていた「泣いても誰も助けてくれない」を、身を持って実感した泣き虫な少女は、誰よりも強くなって独りで戦うことを決めた。
いつの間にかそう決意した記憶すら奪われ、理由も分からなないままここまで生きてしまった。
フィーネはゆっくりと倒れ込み、焼けるように痛む身体を冷たい床に預けた。
噛み締めた唇は白くなり、爪を思い切り立てた掌からは血が滲む。
「泣くなって…強くなれって…そう言ったのは君よ。ジーク」