#34
「――エアリス?」
独房の中、両手足を拘束された少女は突然現れた長身の男を怯えた瞳で見つめた。
“彼”と同じ白い軍服。
シルバーの仮面で顔を覆った姿は不気味に思えた。
C.E.71-5月
地球連合軍のMSパイロット―フィーネ・ハゼットは、ザフト軍カーペンタリア基地の独房の中に居た。
ザフトのパナマ基地侵攻を受けた地球軍は、ザフトが軌道上から降下させた電磁パルス発生装置によって大敗を喫した。
電磁波の影響を受けて動けなくなった地球軍のモビルスーツに対してザフトは容赦がなかった。周囲で繰り広げられる虐殺の音を聞きながら、フィーネも自身の機体の中で死を覚悟した時、対峙していた敵機のパイロットが思いがけない行動を取った。
負傷したフィーネを引き上げると、自軍の艦に連行したのだ。
それから数日経ったある日、捕虜としてカーペンタリア基地に身柄を移されたフィーネのもとにその男はやってきた。
「――ああ、君も聞いたことあるだろう?プラントの大企業、有数の名家だよ」
唯一露わになっていた口元が弧を描く。
「ジーク、エアリス…」
「そう、それがあの“フェンリル”のパイロットのフルネームさ」
“フェンリル”
フィーネを捕えたザフト兵が乗っていた新型のモビルスーツだ。
その敵兵は、激しく抵抗するフィーネを組み伏せるどころか優しく抱き締めた。
「やっと見つけた」と黒曜石のような瞳を細めて笑う姿に、フィーネは失われていた幼い日の記憶を取り戻した。
彼は自らを「ジーク」と名乗った。
ジークは幼い日をあの異常な研究所のなかでともに過ごした仲だった。強くて優しかった少年はフィーネにとって憧れで初恋の人だ。
「…随分と立派に成長したのね」
プラントの為に戦う兵器として使い捨てだったはずの“ヴァルハラ製”が、そこまでの地位を得られるものなのか。
やっと再会出来た彼の存在を遠くに感じて、胸が締め付けられる思いがした。
「彼はこれからザフトを…プラントの未来を担う存在だ。だから、少し心配になってね」
「…心配?」
「彼は随分と君に入れ込んでいるようだ。これから輝かしい未来を歩むであろう彼が地球軍の兵士、ましてやブルーコスモス幹部の側近と情を交わしていると知られたらまずい」
「彼の、輝かしい未来…」
「君がどんな手を使って彼を誘惑したのか知らないが、一瞬の気の迷いで前途のある少年の人生が台無しになってはいけない」
フィーネは返す言葉が無かった。
「私は、彼を気に入っていてね。彼ほどのエリートが道を踏み外しそうになっているのを見過ごすわけにはいかないんだ」
幼い頃泣きじゃくる自分の頭を撫でてくれた彼は、違う世界の人なのか。
捕虜としてこうして拘束されてからも、彼は優しかった。
『悪いようにはしない。お前は必ず俺が守るから』
「だから側にいろ」と、自信に満ちた表情で笑う姿は昔と変わらなかった。
フィーネはそんな彼に素直になれず素っ気ない態度を取りながらも、内心は嬉しさがこみ上げていた。ずっと彼と再会することを願って生きてきたのだ。記憶を取り戻し、やっと彼と一緒に居られる…
だが、差し込んだ希望の光は今また消えようとしていた。
「彼はこのままいけば輝かしい未来が待っているだろう。ただ、それは“順調にいけば”の話だ。敵も多くてね、彼の足元をすくおうとする輩も多い。彼の失脚は彼が必死に守っているたくさんの同胞達の生命にも関わる…」
目の前の男の言葉が、フィーネの耳を冷たく打つ。
「私に、どうしろっていうの…」
「何も」と彼は肩を大きく竦めた。
「彼に対して何もして欲しくないんだ。彼を受け入れることも、君の気持ちを彼に伝えることもして欲しくない。獣が交わったところで生まれるのは不幸だけだ」
一緒に居たいというたった一つの願いが、不幸を生む?
彼と彼が大切に抱えている仲間の命を危険に晒してまで、自分の願いを押し通していいものか。
彼は優しい。昔も今も…
そんな彼は、きっと私と仲間どちらも切り捨てられずに苦しむだろう。
それに…
フィーネは哀しげに目を落として、自分が育ってきた環境を思い起こした。
若干17にしてザフトの特殊部隊の隊長、プラント有数の名家を背負う立場となった彼の隣に、穢れた自分の居場所などあるものか。
「わたし、は…」
震える唇で、声を絞り出した。
意を決したように拳を握り締め、目の前の男に鋭い視線を向ける。
「私はコーディネーターとは生きられない」
その言葉は、他の誰でもない自分自身に言い聞かせるものだった。
「私は、ブルーコスモスの飼い猫…地球連合軍の為にしか戦えない」
彼に出会って再び自分の中に現れた“泣き虫のスペア”を封印する。
――しっかりしろ。
頭を過ぎった幼い少女の泣き顔に叱咤する。強くなって独りで生きていくのだと決めたではないか。
何を今更揺らぐのか…
「あなたに心配されなくても、ザフト兵の手を取る気は端からないわ。貴方は何か勘違いしてるようだけど、私は誘惑なんてしてないし、向こうが勝手にのぼせ上がってるだけ」
「そうか…」と、目の前の男の唇が満足げに笑った。
「私のことを酷い奴だと思うだろう?だが、私は君のことも案じているんだ。君がこのままザフトに飼い殺しにされるのは惜しい…」
男はポケットから鍵を取り出すと、フィーネの拘束を外し始めた。唖然とするフィーネをよそに、彼は続ける。
「生み出したものへの憎しみは私も痛いほど分かるよ。だから私は君を放っておけない」
「あなた…」
「その憎悪の火を一瞬の情に絆されて消してはいけないよ。愛などと…そんな生優しいものでは世界は動かせん」
初対面のはずの男は自分のことを全て知っているような口ぶりだった。フィーネの背中に冷たいものがはしる。
「君は美しい。誰かの庇護下で朽ちていくより、戦場で咲き続ける花にこそ価値がある」
感情が読み取れないその男に恐怖を覚えて後退りする。
背中に壁を押し当てて男の顔を凝視すると、彼は徐にこちらに手を伸ばしてきた。思わず身を縮めて目を瞑ると、頬に何か冷たいものが触れた。
男の手が頬を撫でたのだ。
その感覚に、フィーネは不意に懐かしさが込み上げた。
――あの日と同じだ。
ジブリールと出会った日…
“大好きな人”と進む道がまったく違ってしまった、あの雨の日だ。
あの日、ジブリールの手を振り払って逃げ出していたならば、運命は変わっていたかもしれない。
そして今、また自分は岐路に立たされ、別の道を選ぼうとしている。
枷を外し独房の扉を開け放ちながら「彼を諦めろ」と囁く男の言葉を聞いてここから逃げ出せば、もう二度とふたりの道が交わる日は来ないだろう。
「貴方…何者、なの…?」
その問いに、男はフッと笑ってゆっくりとその仮面を外した。
ウェーブがかった美しいプラチナブロンドが揺れる。
露わになったブルーの眼の周囲には深い皺が刻まれていた。声色や体つきから予想していた年齢とはチグハグに思えるその皺に、フィーネは思わず息をのんだ。
男は口の端を吊り上げて言う。
「私は、君と同じ生き物さ。スペア」