頬を打つ音が広いリビングに高く響いた。
痛む頬を気にする素振りもなく、少女は頭上から降る紙くずを見つめた。
ヒラヒラと舞い落ちるそれを深いブルーの双眼で捉えて、ぼんやりと考える。
昨日寝る前に読んだ物語あった「降雪」という表現は、こういう感じだろうか…
見せつけるように粉々に破り捨てられた紙には彼女の“本体”の性能データが記載されていた。
「…これで、3ヶ月連続だ」
目の前の男―アルフォンス・ヘインズは冷たく彼女を見下ろす。瞳は彼女と同じ色をしていた。
「目標値に全然届いてないではないか。これでは、量産機の方がまだ役に立つ」
「期待外れだ」と、吐き捨てて背を向ける。
「アーシェ」
「はい」
齢12の少女―アーシェ・ヘインズは、無感情な瞳で目の前の父親を見つめた。
革張りの大きなソファに乱暴に腰を降ろしたアルフォンスは、大きくため息をついた。センターテーブルに置かれたワインボトルを手に取って、グラスに傾ける。
「アレにはお前しかいないんだ。お前にもアレしかない。分かっているな?」
「はい」
アルフォンスの口癖だった。
『お前には替えがない』
良く捉えれば唯一無二の存在だが、恐らく彼が言いたいのは代替さえあったならすぐにでも廃棄できるという脅しだ。
“父親”という役割の彼は、“娘”であるアーシェを自身のお気に入りの玩具の部品としか思っていない。
何気なく視線を窓の外にやれば、庭のベンチに腰掛けるブロンドの女の姿が見えた。
“母親”だ。
庭を駆け回る犬型の愛玩ロボットを眺める彼女の背中は小さく見えた。いつもの現実逃避だろう。
今日のようにアルフォンスの機嫌が悪い時は、彼女は決して同じ部屋に居ようとはしないのだ。
「アニタ!」
アーシェが思考を巡らせていると、アルフォンスは廊下に繋がる扉にむけて怒鳴り声をあげた。
「アニタ・ドナート!」
扉がゆっくりと開き、現れた教育係のアニタが無表情のまま頭を下げる。
「もういい、連れて行け」
「はい」
アニタはこちらに来るよう目配せをした。その目は憐れみを含んでいた。アーシェはゆっくりとアニタに歩み寄って差し出された手を取った。
背中で再び父の冷たいため息を聞く。
「私を失望させるなよ、アーシェ」
アーシェは振り返ることなく頷いた。
「はい。お父様」
どんなに失望しても、父はお気に入りの玩具の為に自分を廃棄することはないと分かっていた。
途方もない金をかけた傑作なのだと、銀色に輝く兵器を背にして誇らしげに語っていたのを覚えている。

――じゃあ、もし“替え”があったなら?

アーシェはふと立ち止まって、閉じられたリビングの扉を見つめた。

――自分は、今ここに存在出来ていただろうか…




アーシェが目覚めたのは、その身体をジブラルタルの基地病院に移されてから半日経ってからだった。
大きな瞳をゆっくりと瞬かせて天井を見上げる。
周囲は計器の規則的な音が響くだけで、人の気配はない。ぼんやりとした意識のなか、顔を覆う酸素マスクに気付いて煩わしそうに取り除ける。外したところで、特に呼吸に不便は無かった。
「あれ?此処…」
アーシェは、次第にはっきりとしてきた意識でここがミネルバでは無いことに気づく。
身体を起こそうと腕を動かした途端、両腕に鈍い痛みが走った。視線だけ動かして確認すると、両腕は点滴の針が刺されていた。
――そうだ、負けたんだ…
ヘヴンズベースでの戦いを思い出して、アーシェは深く息を吐いた。
切り裂かれたコックピットハッチ。
破片が身体を切り裂いた時の痛み。
全身にのしかかる重力に身体が悲鳴をあげた。
雪原に落ちた時、裂けた装甲の隙間からこちらを見下ろす純白のモビルスーツが見えた。
銃口を向けた冷たいその姿を前に、アーシェは奇妙な体験をしていた。
敵機のコックピットなど伺えないはずなのに、その内部が透けて見えたのだ。
純白の狂戦士の“部品”は、自分と同じ姿をしていた。
おかしな夢だ…
アーシェは深いため息をついた。
「結局…“女神”にはなれなかったのね」
自分たちでは、あの戦況を覆すことは出来なかったのだ。
結局、あの後作戦は成功したのだろうか?
戦線を途中離脱するなど、特殊部隊所属としてあってはならない失態だ。
エアリス隊長に謝らなければならない。彼の足手まといにはなってはいけない。エアリス隊に失敗は許されないと、グレイが言っていたのを思い出す。
悔しさで視界が滲むのを感じた次の瞬間、アーシェはハッとした。
痛む身体など構いもせず勢い良く飛び起きると、全身に繋がれた管を全て外し始める。
「フリッグ…!」
激しく破損した自身の機体を思い出して、焦ったようにベッドから出る。
立ち上がろうとした途端、アーシェの身体は床へ転げ落ちた。
脚に力が入らない。
アーシェは歯噛みして苛立ったように床を殴った。
この状況が余計に惨めさを増長させる。
『私を失望させるなよ、アーシェ』
父の冷ややかな声が、アーシェの頭の中でこだました。




「――アーシェ!?」
アーシェが眠る病室のドアを開けて、イザークは驚愕の声を上げた。
床に倒れ込んだ彼女は苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。
「ジュール…たいちょ…」
弱々しく身体を起こそうとする彼女に慌てて駆け寄る。
「何をしている!まだ動いてはダメだ!!」
「動かなきゃ…ダメなんです…」
アーシェが小さく呟いた。
涙をいっぱいに溜めた瞳がイザークを睨む。
全身に酷い傷を負った状態だというのに、彼女のその眼光は鋭かった。
「動けない私は、要らない…!」
「お前…」
アーシェは縋るように詰め寄る。
「ジュール隊長、私のフリッグ今どこにありますか?あの子、無事ですか?!」
「ばか!」
イザークも思わず声を荒げた。
「そんなことより、まず自分を考えろ!」
「だから…!あれが“私”なんですってば!」
その必死の形相に、イザークは言葉を詰めた。
「フリッグが無ければ私に存在価値なんて無いんです!そういう生き物なの…私は…!」
イザークは何も言えなくなった。
アーシェの機体“フリッグ・スキャルブ”は、今此処ジブラルタル基地の格納庫に収容されている。酷く破損したそれは、廃棄が決まったそうだ。
製造データが無く複雑なシステムの機体を大規模に修理している暇は無いという司令部の判断だった。
酷く取り乱している目の前の彼女にそれを伝えるのは酷だ。
「隊長も見たでしょう?ただのパイロットでは、あんな化け物動かせない。私はフリッグを動かすためだけに造られた…だだの部品なんです。あの子が無くなったら、私…どうすれば…」
泣きじゃくるアーシェにイザークが言葉を失う中、再びドアが開いた。
戻ってきた軍医と看護師がアーシェの様子に気付いて慌てた様子で駆け寄り、「失礼」とイザークを押し退けた。
パニックを起こした彼女をベッドに戻し、軍医は手慣れた様子で細腕に薬剤を注射する。
ほどなくして彼女は気を失ったように静かな眠りに落ちた。
「刺激されては困ります」
軍医の冷ややかな声が響く。
イザークはその場に凍りついたように立ち尽くし、彼女の寝顔を茫然と見つめた。