「――ガンマ、グリフェプタン…」
ジブラルタル基地宿舎。VIPルームに立つジークの顔は色を失っていた。
デュランダルから差し出された資料を睨みつけるように読み込む。
基地でひと通りの身体検査を終えたフィーネは、今基地病院の一室で静かに眠っている。
案の定フィーネの脳波には度重なる記憶操作の跡が見られ、採取した血液からは薬物反応が出た。多量の検出結果から、独房でジークが与える以前から投与されていたことが分かる。
「あの薬は、君の推測どおりのものだよ」
ソファに深く腰を下ろしたデュランダルは眉尻を下げ、嘆くようにため息をついた。
「コーディネーターに使うべきものではないはずなんだが…」
“γ-グリフェプタン”
フィーネが持っていた小さな薬瓶の中身は、地球連合軍が生態CPUの身体強化の為に常用していた薬だった。
これによって身体能力を極限まで高められたナチュラルの兵士は、生まれつき高い身体能力を持つコーディネーターに対抗出来るようになる。
大戦中、ザフトは密かにそのサンプルを入手しその存在を理解していた。
戦闘用コーディネーターのフィーネには必要の無いはずの処置だ。
いったい、いつから…
少なくとも、ジークが最後に会った時にはこれを服用していなかったはずだ。
何故、あいつがこれを使う必要があった…?
忌々しそうに歯噛みをしたジークの頭に、禁断症状によって錯乱したフィーネの顔が過ぎった。
飼い主の名を呼んで薬を懇願するあの哀れな姿…
「恐らく…身体強化というより、束縛の意味合いの方が強いかと」
この薬は依存性が強い。凄まじい禁断症状を引き起こし、定期的な摂取が必要な劇薬だ。結果、投与された兵士はこの薬の為に裏切りを許されず戦い続けることになる。
「あの捕虜…フィーネ・ハゼットは取調べで自身のことをジブリールの愛玩用だと言いました。奴が彼女にだいぶ入れ込んでいたとすれば、コーディネーターである彼女に裏切られることを恐れたのでしょう」
卑劣極まりない方法で飼い慣らした彼女を抱きながら、見下ろす世界はどんな景色だったのか。
――必ず引き摺り下ろして殺してやる
“アレウス”にあった薬はまだ残っている。だが、それであと何日彼女の身体がもつのか分からなかった。
薬が完全に切れたとき、今度こそ彼女の生命は危うくなるだろう。
これからどうすればいい…
彼女のために取るべき策を探し必死に思考を巡らせる。
憎悪と焦燥にかられてその端正な顔を歪めた部下の姿を、デュランダルはただ静かに眺めていた。
「…彼女の生命を繋ぎ止める手立てならこちらにもある」
ジークはハッとして顔をあげた。
デュランダルは穏やかに頷いてみせて、希望を語り出す。
「既に入手していたデータとロドニアで回収したサンプルの数々…何より彼女が現物を持っていたのは幸いだ。君の言う通り束縛の為だったのかな…投薬されているのが1種類で良かったよ」
デュランダルは目の前のローテーブルの上に小さなガラス瓶を置いた。
「彼女は本当に運がいい。“偶然”君に拾われ、私も“偶然”こんなものを持ち合わせていた…」
「議長、これは…」
手のひら程の大きさの瓶の中身は赤い錠剤。
「液剤なんかより、ずっとこちらの方が扱い易いと思うがね」
全てを見透かしたように橙の瞳がジークを射抜いた。
ジークは思わず息を詰め、自身の飼い主に不審の眼差しを向けた。
「本当に偶然さ」
デュランダルは肩を竦めてみせる。
「ロドニアの一件を機に、今本国でも研究を進めていてね。薬学に関しては地球の方が進んでいるから興味深いことだらけだ…」
だからといって、こんな都合のいい話があるか…
まるでこの作戦で自分がフィーネを捕らえるのを予測していたようだ。しかも、彼女の身体に何らかの異変があることも理解していた。
この男がつくるシナリオに、いつからフィーネまで組み込まれていた?
「議長」
湧き上がる疑念がジークの心を大きく揺さぶる。
「何故…聞かないのですか?」
「なにを?」と、デュランダルは眉を上げて見せた。
「議長も、あの捕虜の姿を確認しているはずです」
何故連合の兵士がアーシェ・ヘインズと同じ容姿をしているのか。フィーネの姿にミネルバは騒然とした。誰もが思ったであろうその疑問を、この男は今日まで一度もジークに問い質すことをしなかった。
「彼女が何者か気にならないのですか?素性が分からない捕虜の為に、何故貴方がここまでする必要がある?」
「おや…余計なことだったかな?」
今後のためにも、この男には事実を説明するつもりだった。反対されようと説き伏せる覚悟で今日この場にやって来たというのに、事態はジークが想像していた以上の速さで進んでいく。
「そんな怖い顔をしないでくれ。ジーク」
デュランダルは苦笑する。
「私だって研究者の端くれだ。アーシェ・ヘインズの特別な事情を考えれば、あの子の姿を一目見て察しがついたよ。なにより、私はレイをずっと見てきているからね…」
最もらしい理由を述べるデュランダルを、ジークは納得いかないという様子で眺めた。
「彼女のおかげでジブリールとオーブの関係が明るみになった。しかも、彼女はコーディネーターだ。敵兵だったとしても、少しでも恭順の意志のある同胞の生命を見捨てるわけにはいかないよ」
柔和な笑みを浮かべ滔々と語るその姿は、世界を“真の平和”に導かんとしたあの会見と同じだ。
ジークは時代の流れによって代わってきた幾人の飼い主を信頼したことなど一度もない。
現プラント最高評議会議長のデュランダルも過去の飼い主と同じ。ただ、この男の目的が自分にとっても都合が良いから従順なふりをしてきただけだ。
自身の手綱を完全に他人に委ねることなどありはしない。そう信じて戦ってきた。
「彼女は君に任せる。情報を聞き出してもう用済みだというなら処分して構わないし、他に使い途があるというなら好きにしなさい。この件について君がいかなる決断をしようと、私はそれを反対するつもりはない」
ジークは面食らう。こちらからも求めずとも、目の前の飼い主は望んだ答えを与えた。
最高司令官である彼の許諾を得られたならば、議会や他の将校たちは自分に口出しは出来ない。
望みどおり満点の回答…だというのに、この違和感はなんだ。
自分に向けられる白々しいまでの優しい眼差しが余計にジークの不安を煽った。
飼い主はもう幾度と口にしてきた台詞を投げかける。
「君には期待しているよ。ジーク」
あたたかい信頼の言葉は、立ち尽くす番犬の喉元を締め上げるように絡みついた。