#35

C.E73-9月
貿易業界のトップクラスとして名高いエアリスの邸宅は、白やグレーといった無彩色の家具で統一されたどこか冷たい雰囲気だった。
外に広がる人工の空は光度を夜間モードに切り替え、手入れされた芝生の庭にガーデンライトが灯った。
庭を一望出来る大きな窓が取り付けられたリビングで、少女がため息をついた。
「君の考えていることは分からない」
澄み透った声で発した呆れの言葉は、吹き抜けの高い天井に響いて消えた。
広い空間の中央に大きなソファがシンメトリーに設置され、そこには2人の若い軍人が座していた。
センターテーブルの上に置いたノートパソコンのキーを打つ少女は、対面のソファに悠然と座るこの豪邸の主に訝しげな視線を向ける。
ザフト軍の指揮官服を身に纏うその青年は、紫煙をくゆらせて窓の外を眺めていた。「そういえば」と腕時計に目を落として呟く。
「今夜は雨だったか…」
「ねぇ、聞いてる?ジーク」
「聞いてる」ジークは気のない返事をした。
「これ…うちだったら銃殺刑ものよ」
画面に表示されているのはザフトの新型モビルスーツ“セカンドシリーズ”の機体データ。
“カオス”、“ガイア”、“アビス”
3機は今、アーモリーワンにあるザフト軍の基地内にある。
「プラントの番犬がこんなことしていいの?スパイを見逃そうだなんて」
「俺の身を案じてくれるなら、このまま大人しく捕まってくれ」
「それは嫌」
ジークは表情を変えないまま目の前の少女の姿をまじまじと見つめた。
「その格好…似合ってるよ。あのピンクよりずっと良い」
彼女が身に纏う緑色の軍服の襟元にも、彼と同じ金色の砂時計が刺繍されていた。だが、彼女の場合は本来の所属を隠すための偽りの姿だ。
「着てるだけで虫唾がはしる」
地球連合軍非正規特殊部隊所属―フィーネ・ハゼットは敵兵の言葉を冷たくあしらった。
ジークが軍本部でザフト兵に扮したフィーネを見つけたのは偶然だった。
特徴的なオッドアイをカラーコンタクトで隠しても、その水色の髪だけは見間違えようが無い。捕らえて厳しく問い質すと、彼女は近く進水式が行われる予定の新型戦艦とモビルスーツの情報を集めているのだという。
「俺に感謝しろよ。他の奴に見つかってたらそれこそ銃殺刑だぞ、お前」
「そんなヘマしないもの。君さえ現れなければ全て上手くいってたわ」
タイトスカートから伸びた足を組み直してうんざりした様子で肩を落とした。
「君はいつも私の前に立ちはだかるのね。何処に行っても現れる…鼻が効くのは“狼さん”だから?」
その皮肉めいた口調に、ジークは得意げに笑うだけだった。
彼女は頬を膨らませて彼を睨むと、また視線を画面に戻した。
「いいわね…このモビルスーツ」
最新鋭の機体の性能データを食い入るように見つめる彼女の眼に喜色が滲んでいた。
その姿にジークの心境は複雑だった。
儚げなその容貌には、どんな国の軍服だって不釣り合いに思える。
だが、こうして強い力を前に瞳を輝かせるのは、やはり彼女も戦乱を生きる糧とする獣なのだ。
「これ程の性能の機体を今になって配備するなんて…やっぱり、君の飼い主は胡散臭くて嫌いよ」
「お前の飼い主もなかなかだろ」
「うちは主張は乱暴でも一貫してるもの。君のところは和平を唱っておきながらこれだからたちが悪いのよ」
「まぁ、確かに」
ジークは“穏健派”と称される自身の飼い主の柔和な笑みを思い浮かべて苦笑した。
「この件は、長い目で見たらうちにとっても悪いことばかりではなくてな」
フィーネは眉を寄せた。
「お前の言うとおり俺の飼い主は曲者だよ。お前の飼い主、俺ら番犬に喰われないようせいぜい気を付けろ」
挑発的な黒い瞳を、フィーネはジッと見つめ返してきた。物怖じしないその気の強さも彼女の魅力だった。
「そう、君がそう言うなら…」
彼女は突然ノートパソコンを閉じた。
「やっぱり、やめようかな。この任務」
背もたれに身体を預けて憂鬱そうに天井を仰ぐ。
「君達が困らないなら、意味ないもの」
「やめてどうすんだよ」
「んー」と、フィーネは悩ましげに首を捻った。
「ここで君を殺して、アプリリウスで自爆テロくらい出来たならうちの飼い主はご満悦でしょうね」
「…最低だな」
「“さすが私のフィーネだ”って、“いい子だ”って、私の亡骸を抱きしめて褒めてくれるわよ。あの人なら」
忌々しそうに顔を顰めたジークに、「冗談」とフィーネは口元に手を添えて笑った。
「このモビルスーツを楽しみに待ってる可愛い子達が居るの。その子達の為にもここで放り出すわけにはいかないわ」
「…珍しいな。お前がそこまで言うの」
「今のところは結構気に入ってる。隊長も優しい人よ」
「その優しい隊長の名前と搭乗機、教えてくれるか。出来れば母艦も」
「嫌よ。君、殺す気でしょ」
「じゃあ、お前の今の機体」
「専用機、いま無いのよ。お気に入りは前に君に壊されちゃったし」
フィーネはゆっくり立ち上がり、ジークに近づいた。
向かい合うようにジークの膝を跨いでソファの上に膝をたてる。
「ねぇ、ジーク…」
見下ろす少女と見上げる青年。2人の間に静寂が過ぎった。
白い手がジークの輪郭を確かめるように撫で、やがて唇で止まった。薄い唇が咥えていたタバコを奪うと、サイドテーブルの上に置かれたガラス製の灰皿に捨てる。
心許なそうに小さく開いたそこに、フィーネは自身の唇を静かに重ねた。
「…見逃してもらうお礼してあげる」
「これが、お礼?」
彼女の太腿に手を添えれば、カラーコンタクトで偽ったブルーの双眼が妖艶に笑った。
「君の家にまで匿ってもらっておいて何もしないのは申し訳ないでしょ」
「見返りを求めない愛だと言ったら?」
「やめてよ」とフィーネはきょとんとして不思議そうに首を傾げた。
「ヴァルハラの獣が愛を語るの?」
「結構本気なんだがな」
「私ね、君とこうするの好き。”戦争”と同じで気持ちよくて、ワクワクするの」
「なら、これお礼っていうよりお前が楽しいだけじゃねーか」
「君も好きでしょ?」
ジークも口角を吊り上げ、彼女の細腰に回るベルトに手を掛けた。
「それにね、ジーク…」
虫唾がはしると表現した敵軍の制服が敵兵の手によって手際良く脱がされていく様子を、フィーネは満足気に眺めていた。
「こういう時に語られる愛の言葉は信じちゃダメよ」
「知ってるか?俺、戦場でもお前にありったけの愛叫んでるって」
ジャケットが毛足の長いラグの上に静かに落ちる。
耳、首筋、肩と順に身体の曲線を確かめるように這う唇に、フィーネはこそばゆそうに身を捩った。
胸へと降りた黒髪の頭を撫でて語りかける。
「それは、獣としてのテンションが上がってるからでしょ?血の昂りを勘違いしてるだけ」
途端、ジークが不満げに顔をあげた。
「じゃあ、どうしろっていうんだよ」
何度求めても彼女は差し出した手を取ってはくれない。敵兵として互いの立場が違う以上、彼女に想いをぶつけられる場など限られているというのに。
勝手な言い分に苛立ちを覚えたジークをよそに、フィーネは彼の右目の傷跡にキスを落とした。
「だから、その程度ってこと」
「あぁ?」
「獣の私たちは欲望に忠実でいいのよ。戦って、昂りの吐口として交わって…ただ、それだけ。小難しい感情論は要らない」
ジークは大きく舌打ちをした。
「…勝手な女だな」
いきなりフィーネを抱き上げて体勢を入れ替え、華奢なその身体をソファに放った。余裕を浮かべていた花唇から小さな悲鳴が漏れる。
「お前のそういうとこ、気にいらねぇ」
いつも涼しい顔をして、悟ったような口ぶりでこちらの願いをやり過ごす。彼女を前にすると、自分のこの感情が愚かで子どもじみたもののように思えてくる。
――年下のくせに…
そんな彼女から余裕を奪う方法を、ジークはひとつしか知らなかった。
茫然とソファに身体を沈めたフィーネの上に、鍛え上げた軍人の身体が覆い被さった。
「帰るの、明日って言ったか…」
細い首筋に舌を這わせ、そのまま喉元に歯を立てる。軽く食む程度の微々たる刺激でも、敏感な身体は大きく跳ねた。
期待が混じった熱い吐息が甘美な音となってジークの鼓膜を揺らす。
「お望みどおり、小難しいこと考えられないくらい抱いてやるよ。“獣”だからな。途中で何言われても聞こえねぇから」
軍服の襟を外して吐き捨てれば、フィーネは艶やかに微笑んで両手を広げてみせた。

「そういうところ、好きよ。狼さん」