「だから言っただろう?」と目の前の“大好きな人”は穏やかに笑った。
「上手く使えば害はない」
デュランダルは優雅にティーカップを口元に運ぶ。向かいのソファに座ったレイは、上機嫌な彼を神妙な面持ちで見つめた。
「君のおかげだよ。レイ」
2人の間にあるテーブルの上には、無数の資料が広げられている。
重なり合った紙の隙間から、水色の髪の少女の写真が見えた。
また違う紙には黒髪の少年の写真…レイがよく知る人物の幼少期の姿だ。
資料の一枚一枚に子どもの顔写真が貼られ、アルファベットと数字が組み合わされた管理番号がふられている。
抹消されたはずの“ヴァルハラ計画”の資料だった。
それが何故いまデュランダルの手にあるのかはレイにも分からなかった。
徐に黒髪の少年の資料を手に取って、レイは不思議な感慨を覚える。
“餓狼”などと大層な名前をつけられたあの男にも幼少期というものはあったのだ。もっとも、彼の場合は明るい日々では無かっただろうが…
「君が連合のモビルスーツの正体にいち早く気付いてくれて助かった」
デュランダルは“アレウス”の資料を手に取って、満足そうに目を細めた。
「危うくナチュラルに飼い殺しにされるところだった。そんなことの為に生かしたわけではないというのに…」
嘆くようにそう言ってから、デュランダルはレイに向き直る。
「ロード・ジブリールの飼い猫…彼女こそ狼を手懐けるための手綱だ。入れ込んだ女がそばにいれば、狼は今後一層働いてくれるだろう」
満足気なデュランダルをレイは黙って見つめていた。
余程あの連合の兵士を手に入れたことが嬉しいのだろう。ヘブンズベースの戦いから彼の表情は晴朗で、こうして語る口調もいつにも増して滑らかだ。
「さらに彼はエターナル討伐の失敗で負い目が出来た。これは想定外だったが、尖り過ぎた牙を抜くにはちょうど良い」
「それ」と、にこやかにレイの手にある資料を示す。
「その少年…S302。流石はプロジェクトの傑作なだけあるよ。彼は誰より自分の役割を理解し、そしてその中で生きることの覚悟もある。ただ、その役割を拡大解釈しているところが心配だった…」
「拡大解釈?」
レイは首を傾げる。
「“番犬”は飼い主がいてこその“番犬”だ。獣が人間を支配することはあり得ないというのに…誰かの入れ知恵で過ぎた夢を持ってしまった」
レイはふとジークとの会話を思い出した。
『どんなに立派な理想を持ってしても、俺達は血には抗えない』
アーシェを獣の群れに引き込んだことを糾弾したあの日、彼は初めてレイに自身の心情を吐き出した。
抗わなくとも生きられる環境をつくってやるのだと彼は厳しい口調で言った。望まないかたちで生み出された同胞たちは皆自分が守ると。
彼の守りたいものの中に、アーシェもいる…
レイは昔から彼が嫌いだった。
自然の摂理から反した存在の彼は、自分と同様に消えるべき存在。好戦的で野蛮な獣が見据える世界は禍々しいまでの混沌だと危惧していた。
だが、あの日彼が語ったのは彼なりの不器用な“正義”だった
乱暴にも聞こえるその“正義”を、レイは真っ向から否定出来なかった。
彼は彼なりに未来を見ていることを知って、レイの胸に羨望のような想いが湧き上がったのだ。
“未来”
――自分には、無いものだ…
だが、生きようともがく彼の夢を自分の“大好きな人”は無情にも「過ぎた夢」と冷たく切り捨てる。
「彼の望み通り、私は彼の力を正当に評価するつもりだ。これまでの飼い主とは違う。だが、“それ以上”は無い。飼い主に噛み付くことを覚えた獣を躾け直すには、より強靭な手綱が必要だ」
デュランダルは感慨深げな息を吐いて、視線を水色の少女の写真に向けた。
「運命とは不思議なものだね…そして非情だ。あの場所で2人が出会い惹かれ合うとは…」
彼が父性にも似たあたたかな眼差しを向けた少女は、レイの想い人によく似ていた。
「生きていてくれて、本当に良かった」
少女の写真に“彼女”を重ねて、レイはあの優しい笑顔に想いを馳せた。
彼女にとっての“正義”はなんだろう。彼女は自身の未来をどう思い描いているのだろう。
レイにとっての“正義”は、目の前にいる恩人ギルバート・デュランダルだ。何があっても彼について行く覚悟だった。
彼が望む世界を創るため、自分は何だってする。
優しい彼女は、ギルの創る“平和な世界”で笑ってくれるだろうか…