基地宿舎の廊下で、イザークは大きく深呼吸をした。
目の前にある扉を険しい表情で見つめ、ゆっくりとノックする。
名を名乗れば、直ぐに泰然とした男の声が返ってきた。扉の向こうの人物は、用件を尋ねることなく直ぐにイザークを招き入れた。
「そろそろ来る頃だろうと思っていた」
扉を開けた先に居た男、ジークは困ったように笑った。


「悪いな。狭くて」
ジークはそう言って、イザークをデスクチェアに座るよう促した。
「ジュール隊は明日戻るんだって?」
「ああ、また月起動配備だ」
「昇って降りて…忙しいな、お前のとこも」
イザークと対面するようにベッドに腰を下ろした彼の顔色は冴えない。明らかに疲労が見て取れるその顔は、イザークが初めて見る“餓狼”の姿だった。
「すまなかった」
突然、ジークは頭を下げた。
イザークは面食らい彼を凝視した。
「悪いようにしない…って、お前に約束したのにな」
『あいつの為にも、俺に預けて欲しい』
アーシェの異動が決まった日、彼はそう言って憤慨するイザークを半ば強引に説き伏せた。
「結局あいつを危険に晒してしまった」
本来であれば、元上官というだけのイザークにそこまで義理立てる必要もないだろう。それでもこうして謝罪を述べる彼の真摯的な姿勢にイザークは複雑だった。
この男をどこまで信じていいのか未だに分からない…
「…アーシェのこと、教えてくれるか」
緊張で乾いた喉から出る言葉は、少しだけ掠れた。
彼女が背負うものを知らなければならない。だが、いざ直面するとなると少しだけ足が竦んだ。
強張った表情のイザークを、ジークは真っ直ぐ見つめてきた。
「アーシェは…あいつの機体“フリッグ・スキャルブ”を動かすだけの為に造られた部品だ」
「部品…」
病室で取り乱したアーシェも同じことを言っていた。
その言葉の意味をイザークは表面的にしか理解出来ず、どこか腑に落ちない感覚があった。モヤモヤといつまでも残るこの違和感を、目の前の男なら明確にしてくれるだろうと思ってここに来たのだ。
ジークは淡々と話し始めた。
「フリッグ・スキャルブは、高度な人工知能を搭載した機体だ。戦場を経験させればさせるほど自ら学んで成長していく。パイロットはその補助的な役割でしかない」
「補助?」
「操縦されているのはパイロットの方なんだ。あいつの頭にはフリッグと同期するためのマイクロチップが埋め込まれてる。直接脳で繋がっているから機体の要求にスムーズに身体が反応出来る」
イザークはその説明を頭に落とすのに時間がかかった。
戦闘用コーディネーターの存在は理解していたつもりだった。
だが、彼女の場合は初めからモビルスーツの“部品”だと?
「強さと美しさを兼ね備えた最高のモビルスーツ、“芸術品”としての兵器…地球との全面戦争においてプラントに勝利をもたらす女神…アルフォンス・ヘインズは大層ご立派な御託を並べていたようだが、要は金持ちの道楽として始まったプロジェクトだよ。これは」
――人の生命をなんだと思っている!?
彼女を生み出した狂者に激しい侮蔑と憎悪が湧き上がり、イザークは顔を歪めた。
「…このバケモノの製造には、俺の親父も関わっている」 
ワナワナと拳を震わせるイザークを前に、ジークは再び謝罪の言葉を口にした。
「親父を庇うような言い方になるが…システムが今の仕様になったのは、エアリスが機体をヘインズに引き渡した後だ」
「だが…」と重々しいため息を吐き出す。
「狂者に協力してしまったのは事実…知らなかったから無罪ではないだろう。エアリスを継いだ者として、俺にはアーシェを守る責任があると思っていた。似た境遇が揃う俺の隊であれば安全だと。そのつもりだった…」
「…“だった”?」
「他の部下同様に守るつもりだった。いや、今だってそう思ってる。生命は絶対に守る。だが、あいつの心の苦しみには、俺は寄り添ってやれないんだ」
ジークは苦渋の表情を浮かべて額に手を当てた。
普段の彼からは想像出来ない思い悩むその姿に、イザークは困惑した。
「どういうことだ?」
「今更ながらバカな事をしたと思ってる…」
今、彼は何をそんなに思い悩んでいるのか。
何を抱えている?
「もっとドライに進めるつもりだったんだがな…」
彼はイザークの背後にあるデスクに沈鬱な視線を向けた。その視線に気付いて振り返ると、デスクの上には赤い錠剤が入った瓶があった。
「俺にはアーシェに手を差し伸べる資格が無い。俺だけはそれをしてはいけない…」
ジークは独り言のようにそう呟いて立ち上がった。
開けていた軍服の襟を止め直し、はっきりとした口調でイザークに言葉を投げつける。
「お前、アーシェに惚れてるんだろ」
不意に心情を言い当てられて、イザークは胸を突かれる。
「今の話を聞いてもそれは変わらないか?」
一瞬の動揺も見逃さないというように、突き刺すような視線がイザークに向く。
彼は今イザークの覚悟を試しているのだ。
思わず息をのみ、拳を強く握りなおす。
「当たり前だ」とイザークも立ち上がった。
アイスブルーの瞳に漆黒を映してはっきりと自身の決意を告げる。
「あいつが何者であろうと、背負うものも全て含めて俺の手で守りたいと思ってる」
「自分を壊して欲しい」と泣きながら訴えた彼女を、必ず自分が生かす。
自身ではどうしようもない生まれによって、生きることを諦めるなどあってはならない。
あいつだって平和な世界で笑っていていいんだ…
「少なくとも、“そんな顔”をしてる今のお前よりはずっとアーシェを守れると思うがな」
皮肉を含めたその言葉に、一瞬ジークの目が虚を突かれたように大きく開かれた。
しばらく互いの顔を見つめ、やがてどちらかともなく唇を緩めた。
「やっぱり…お前はいい奴だな。イザーク」
「そういうお前も、世間のイメージほど悪くない」
「どうだかな」と、ジークは乾いた笑いを漏らして背を向けた。
「…ついて来てくれるか」
「どこに?」
「基地病院だ。そこに、アーシェのもうひとつの真実がある」
部屋のノブに手をかけて、「いいか」と念押しする様に言う。
「お前だから教えるんだ。アーシェの為に、お前には知っておいて欲しい」
そう言った彼の声色は低く、何か大きな覚悟を決めた音だった。