#36
フィーネが眠る病室へ続く廊下に着いた時、ジークは突然足を止めた。
無人のそこを見渡して不審の眉を寄せる。
「…ジーク?」
背後でイザークが怪訝そうに呼びかけた。
待機させていたはずの保安要員が居ない…
進む先にある病室に視線を戻した瞬間、ドアの向こうから銃声が響いた。
目の前に広がる修羅場に青年達は驚愕した。
病室には同じ顔の少女が2人、互いに視線を外さず睨み合っていた。
ベッドから落ちたフィーネは、自身の片足とベッドとを繋ぐ足枷をものともせずアーシェに掴みかかろうとしていた。ギシギシと鉄の輪が皮膚に食い込み、頬は何がが掠めたように血を滴らせている。
部屋に立ち込めるまだ新しい硝煙の臭い…
フィーネの視線の先にいるアーシェを凝視すると、呆然と床にへたり込んだ彼女の手の中には鈍色の拳銃があった。
「アーシェ!」 「フィーネ!」
驚きに打たれて立ち尽くしていた2人の青年は、ハッと我にかえると彼女達に駆け寄る。
イザークがアーシェの手から銃を奪い、ジークがフィーネを抑えるように抱き込んだ。
「いや!離して!」
ジークの腕の中でフィーネが金切り声をあげてもがく。
イザークが唖然としてその様子を見つめるなか、アーシェは感情の読み取れない瞳で同じ顔の少女を見つめていた。
「離してってば…!ジーク!」
はっきりと名を呼ばれ、ジークは目を見開いた。
「お前…記憶…」
彼女が記憶を取り戻したことを安堵している余裕などなかった。
尚も暴れるか細い身体は、ジークの力をもってしても抑え込むのに難儀した。
何処にこんな力が残っていたのか…
「この子は、私が殺さなきゃ駄目なの!」
フィーネはアーシェに向かって叫んだ。
「あんたさえいなければッ…!私は生まれずにすんだのに!」
ジークは驚いて2人の少女の顔を交互に見やる。
「なんであんたがここに居るのよ!?」
フィーネはオリジナルの存在を既に知っていた?
“ヴァルハラ”で出会ってから今まで、フィーネは自身の出自を知らなかったはずだ。
何の為に造られたのか分からないと彼女は言っていた。唯一わかる事実は、“何か”になりきれなかった欠陥品ということだけだと。
「ここで、そんなふうに泣いて、他人に守られてるあんたに…!私が負けるなんてあり得ない!あんたに殺される前に、私が殺す!」
フィーネの気迫に、イザークは思わずアーシェを抱き込む力を強めた。
鉄の鎖で繋がれた彼女がそれ以上前に進むことは出来ないのは分かっていた。だが、彼女の叫喚は鬼気迫るものがあった。
「フィーネ!」
一際大きい声でジークは叫んだ。
「落ち着け!」
鋭く放った制止の言葉に、暴れていた身体がビクリと跳ねた。
「だから…」
重々しいため息とともに、「なんで」と彼女の歪んだ唇から苛立ちが漏れた。
「なんでよ…ジーク」
噛み付くような視線が鋭く射抜く。
激しい怒りの矛先が今度はジークへ向けられた。
「なんで、邪魔をするの?なんで君がこの子を庇うのよ…」
手錠で拘束された両手がジークの胸を強く打つ。
「ジーク…前に言ったじゃない。私の枷になるものは全部殺すって…なら、この子も殺してよ…」
「フィーネ…」
「ねぇ、何でこの子は生きてるの?何でここにいるの?なんで、君の側にいるのよ…!?」
返答に窮するジークに苛立ったように、彼女の糾弾は続く。
「君が誰と生きようと君の勝手よ?でも、この子だけは駄目なの…!この子が君の側にいるのは耐えられない。この子だけは、君に選んで欲しくない…!」
憎悪で煌めく瞳に、絶望と蔑みが交互に見え隠れした。
「なんで…よりによって、この子なのよ…」
胸を打つ力が次第に弱くなり、やがてその手は縋るようにジークの軍服を握った。
「ねぇ、ジーク…」
「君にとっても、私は“スペア”だった?」
彼女が吐き出した絶望を真正面から受け止めてジークは息を詰めた。
頭を殴られたような衝撃が全身を貫き、彼女を抑えていた腕の力が抜ける。
「違う」と直ぐに否定の言葉が喉元まで迫り上がったにも関わらず、あまりの衝撃に口から出るときには情けないほどの弱々しい呼気に変わった。
昔から、彼女を「スペア」と呼ぶことを誰よりも忌み嫌ってきた。彼女は何かの“代替品”などではないと。
製造コードで監理されてきた自分達にとって、名はただの記号でしかない。だが、彼女のその名だけは許せなかったのだ。
「ほんと…勝手な男ね」
言葉を詰めるジークの様子に、フィーネは弱々しいその顔に失望の色を浮かべた。
「君のそういうところ、大嫌いよ」
言葉の最後は泣き声に変わり、彼女は力無く項垂れた。
ジークは、両手で顔を覆って肩を震わせる彼女に手を伸ばしかけ、直ぐに思い止まった。行き場を失った手を自分の額に当て、嘆くように重い息を吐く。
「…アーシェ」
アーシェに視線をやると、未だ一言も言葉を発しない彼女はただ呆然と見開かれた瞳から大粒の涙を溢していた。
「…すまない」
悲痛な表情で声を絞り出す。
「俺は…お前に、ずっと隠し事してた」
アーシェのこの顔を見たくなくて打ち明けることを躊躇してきた。
いつか、いつかと…
いつにしたって、最善のタイミングなど無かったというのに。
「こいつが、前に話した“フィーネ”…」
フィーネが生きているなら良かったと、そう言って笑った優しい少女が、そのフィーネに銃口を向けるまでに変えてしまった。
唯一無二の存在だと、代わりなどいないと、愛してきたはずのフィーネに絶望を与えたのも自分だ。
自身の甘さに激しい悔恨を感じながら、ジークはアーシェに真実を告げた。
「…お前のクローンだ」
「アーシェの、クローン…?」
ただひとり、この場で事態を飲み込めないイザークが怪訝そうにその言葉を復唱した。同時に腕の中でアーシェが嘲笑を漏らした。
「そんなの…」
震える身体を必死に抑え込むようにイザークの腕にしがみついた彼女は、とめどなく溢れる涙をそのままにジークを睨む。
「そんなの、見れば分かります。だから、私もこの子を殺さなきゃいけない」
「…アーシェ」
「私だって、この子に生きていられるのは不都合でしかないから」
弱々しい姿とは裏腹に、彼女が発する言葉は目の前にいる同じ顔の少女への明確な殺意だ。
「フリッグには私しか無いの。私にもフリッグしか無い…あの子は、私だけのものなのに…」
その口調は自らに言い聞かせているように聞こえた。
「“替え”があったら私、ここに居られない」
「私…廃棄だけはいや」