#37

自分の決めたことは曲げたくない。
他人に負けるなんてあり得ない。
謙るなんてもってのほか。
本来、父親によく似たその性格は、母親が与えた空白の5年の間にバグが生じていた。
今の自分は、いざという時に臆病が出てしまう。
アーシェは、病室の入り口で立ち尽くしていた。
冷たさを感じるほど澄んだオッドアイに見つめられると、足がすんでしまいそうになる。
「…そんなに睨まなくても、何もしないわ」
緊張で強張る表情筋をなんとか動かしてぎこちない笑みをつくると、肩を竦めてみせた。
「今日はすぐそこに人も待機させてるし、エアリス隊長にも許可をもらってきた」
警戒心をあらわにしたフィーネにゆっくりと近づいて、持ってきた着替えをベッドサイドに置いた。
「…これは?」
モスグリーンのそれは、ザフトの軍服。
「貴女も一緒に宇宙に上がるんでしょう?その格好じゃシャトルに乗れないから」 
「一時的なものよ」と、不満げなフィーネを宥めるように言う。
彼女が今着ている捕虜服のままでは公衆の面前は歩けない。
薄い布地が覆い隠す身体は、単純に「華奢」と表現するには病的にも思えた。歴戦を戦い抜いてきた兵士だとは思えない彼女の姿を見つめて、アーシェは眉根を寄せた。
定期的に特別な薬の服用が必要な身体だと隊長から聞いていたが、彼女はこの身体に何を抱えているのだろう…
彼女に大敗して大怪我を負った自分より時間がかかった彼女のメンテナンスに、アーシェは漠然と不安を覚えた。
「貴女の処遇については私も知らないけど、今頃隊長が司令部に上手く掛け合っているでしょうね」
「そう…」
フィーネは敵軍の制服を見つめて、諦めたようなため息をついた。
「ここまできてしまったら、もうどうなってもいいわ」
自分と同じ顔、声で吐き出す自暴自棄的な台詞に、アーシェは苦い顔をして言い返す。
「隊長は貴女のこと悪いようにはしないわよ。絶対に」
「フィーネを守る」と彼は改めて自分と約束したのだ。これからの彼女が苦しむようなことはあり得ない。
「知ってるわよ。あの人のことは、あなたよりずっと」
フィーネはふいっと顔を背ける。あからさまに頬を膨らませるその態度は、アーシェ自身覚えがあった。
アーシェはベッド脇の椅子に腰を下ろしてその顔を見つめる。
宇宙に上がる前にフィーネと話がしたいと自ら隊長に頼み込んだ。だが、いざ改めて彼女と対面するとかける言葉が見つからない。
そもそも、自分は此処にきて何をしたかったのだろう…
殺そうとしたことへの謝罪か。自分達の生い立ちを語り合い、傷の舐め合いをしたかったのか。
気まずい沈黙がしばらく続く。
隔離されたこの病室には窓もなく、外界から切り離されたように無音だった。
実際には数分だったかもしれない。アーシェの中で途方もない時間が過ぎたと感じた後、静まり返った病室に「ねぇ」と、2つの同じ音が響いた。
偶然重なったその声に、2人は目を丸くして互いの顔を見る。
「…なに?」
フィーネが不愉快そうに眉を顰めた。
「…貴女こそ、なに?」
咄嗟に返した自身の声色も喧嘩腰になってしまう。
――やっぱり気まずい。
いきなり2人きりは間違いだったかもしれない。
間に隊長を入れたほうが良かった…
アーシェが考えを巡らせていると、フィーネが再び口を開いた。
「…悪かったわね」
「え?」
「…殺そうと、したから。あなたのこと」
フィーネは気まずそうに視線を落とした。手錠をかけられた両手を握りしめ、言葉を絞り出す。
「あなたのせいじゃないのに、あんなこと言ったし…」

『あんたさえいなければッ…!私は生まれずにすんだのに!』

つい先日、自分に向けられた激しい殺意を思い出す。
グリーンとブルーの瞳を憎悪でギラギラと煌かせ叫んでいた時とは違い、いま目の前でベッドに座る彼女は儚げな少女だ。
「あなたの事情は、ジークから聞いてる…」
これまで敵対してきた“アレウス”のパイロット…狂戦士を思わせるあの荒々しい戦いぶりとはかけ離れたその姿に、アーシェは目を見張る。
「私、別にあの“女神”が欲しいわけじゃないわ。あなたになりたいとも思わない…だから、安心して」
これが“フィーネ”か。
私の、クローン…
「ごめんなさい」と伏せられた宝石のような瞳には微かに涙が滲む。
互いに顔を歪めて殺意を突きつけ合った時とは違うその美しい雫に、アーシェは不思議な感慨が湧き上がるのを感じた。
この横顔をずっと昔から知っている。
彼女の右眼は、エメラルド…
遠い記憶を呼び起こしたアーシェは、胸塞がる想いを感じてブルーの双眼を細めた。

――お母様と同じ色だ

彼女が漂わせる物寂しげな雰囲気は、どこか亡き母を思わせた。
何かを諦めて、いつも何かに怯えていた母…
「貴女はお母様似なのね」と思わず口から出かかって、アーシェは慌てて口を噤んだ。自身の出生を呪っていた彼女が、そんなことを言われて喜ぶはずがない。
だが、不幸だった母とフィーネには決定的な違いがあった。

――この子には、愛してくれる人が居る

彼女を守るため強くあり続けようとした男の姿を、アーシェは見てきた。
「フィーネ」
アーシェは静かに呼んだ。改めてその名を口にすると、懐かしいような切ないような心持ちがした。長く探していた無くしものがやっと自分の元に還ってきた感覚だ。
「私も…ごめん」
フィーネが驚いたようにこちら向いた。
「私もあなたを殺そうとしたわ」
彼女の役割を知らず、ただ自分が生き残りたいが為に、衝動的に殺意を向けた。
捕虜への暴行についての罰はしっかり受けると隊長に伝えたが、結局その件について司令部から言及されることはなかった。罪に問われることはなくても、やはりこの罪悪感はずっと消えないだろう。
「あなたのこと何も知らないで、今までのうのうと生きてた。私なんかよりずっと苦労してるはずなのに…私、最低なことをした」
彼女はヘインズの勝手な都合で捨てられ、“ヴァルハラ”で育った。地球軍での生活だって、平穏なものでは無かっただろう。
彼女が生きていた環境を想うと、やりきれない負い目が頭をもたげた。
悲痛な顔で再び謝罪を口にすれば、フィーネは呆気に取られたように眉をあげた。
「あなた…本当に、私のオリジナル?」
「…たぶん」
不信の眼を向けられて、アーシェは戸惑いがちに頷く。ここまで同じ容姿でいて、何も関係が無いことはないだろう。
フィーネはその顔をまじまじと見つめ、何かを考え込んでいた。
「たまには、こういうのも“つまみ食い”したくなるものなのかしらね…」
小さく呆れ声を漏らす。
フィーネの言葉の意味が分からないアーシェはキョトンとして首を傾げた。
その仕草ひとつもフィーネは見逃さず、眉を顰めて再びため息をついた。
「やっぱり…違うわ」
「え?」
「でも」と形の良い唇に微笑みを浮かべた。
「…違うなら、良かった」
意味深な言葉を続けるフィーネに、アーシェは次第に焦ったい思いに駆られた。
不満げな表情を浮かべて思う。
己の中だけで完結させて、はっきり教えてくれないこの感じ…
これまで何度もこのモヤモヤする感覚を経験してきた。
そうだ。
これまでずっと自分に隠し事を続けてきたあの男―自身の隊長ジーク・エアリスにそっくりなのだ。
「…お似合いね、あなた達」
――私とは違うわ
皮肉っぽく言った言葉の意味を、今度はフィーネの方が意味が分からないと首を傾げた。