「お世話になりました」
自分に向けて敬礼するトップエリートの姿に、タリアは複雑な感情を押し殺して笑みをつくった。
「貴方には助けられたわ。ジーク。ありがとう」
その言葉は本心だった。
地球に降りてから激しい戦闘続きだったミネルバが生き残れたのは、彼等エアリス隊の力が大きかった。
ジークに対して全く不満が無いと言ったら嘘になる。
ミネルバにやってきた日、「艦のことは貴女に従う」と言っておきながら結局は彼に操られていたようなものだ。
特殊部隊の隊長である彼がわざわざミネルバに派遣された理由が今ならなんとなく理解出来る。デュランダルは、自身の番犬をお目付け役として寄越したのだ。
「艦長には、最後までご迷惑をおかけしまして…」
「いいえ」そっけなく返してジークの顔を見つめる。
彼の唇には余裕が浮かぶ。初めてこの艦長室で会ったときと同じ顔だ。
彼にかけられた迷惑…ヘブンズベースで捕虜を収容した件のことを言っているのであれば、タリアが口だし出来る事では無かった。
ジブリールの逃亡先について頑なに口を開こうとしなかったあの捕虜の少女から情報を聞き出した彼は、彼女を連れて自身の部隊へと戻るらしい。
彼女からどんな手を使って情報を聞き出したのか、何故ブルーコスモス盟主の側近をお咎め無しで宇宙へとあげるのか、タリアは何も知らない。
だが、ひとつだけタリアの中で確信となったことがあった。
取調室で過ぎったあの疑念…
やはり、彼はシンと同じだったのだ。
そうでなければ、“餓えた狼”などと怖れられる男が何度も敵を逃すはずがない。
衝動的だったシンとは違い、彼の場合は長く綿密にこの件を準備してきたように思えた。
「また任務をご一緒する機会がありましたら、その時は宜しくお願いします。ミネルバの今後一層のご活躍、お祈りしてます」
彼は儀礼的に敬礼する。
「ジーク」
隊長室をあとにしようと踵を返した彼を、タリアは呼び止めた。
彼と共に過ごしたこの数カ月、タリアには節々で感じていた違和感がある。その違和感を、タリアはこの時とばかりに目の前の青年の背中に投げつけた。
「貴方、私のこと嫌いだったでしょ?」
ジークは呆気にとられた表情で振り向くと、眉をあげる。
「まさか…そう思わせてしまったのなら、謝ります。よく言われるんです…任務のことになると言葉がキツいと」
「すみません」と、きまりが悪そうに頭をかいて視線を落とした。
「ただ…もし、仮に無意識にでもそんな態度を取っていたとすれば、それはあなたへ向けたものではないでしょう」
「じゃあ、何に?」
タリアは眉を顰めた。
「…飼い主への、ささやかな反抗ですかね」
彼は再び背中を向け、嘲笑のような息を吐き出した。
「あなたは、あの人のなによりの“お気に入り”ですから」




「――レイ!」
自室に向かっていたレイは背後からかけられた声に足を止めた。
振り返るとアーシェが水色の髪を揺らして駆け寄ってきた。
「やっと見つけた」とアーシェは安堵したように表情を綻ばせる。
「どうした?」
小走りでやってきた彼女の頬は微かに上気していた。艦内中を駆け回っていたのだろうか。
急いでいる様子の彼女の要件がなにか、レイは分かっていた。
「もうすぐ此処をたつの。ルナ達には挨拶したんだけど、レイだけ何処にもいないから…」
今日、ミネルバでの任務を終えた彼女が宇宙へ戻ることはレイも知っていた。搭乗シャトルの出発時刻も。
だから今日は普段より長く射撃訓練をして、“レジェンド”のチェックを入念に行うふりをした。
彼女と顔を合わせないよう避けていたのだ。
「ここまで、ありがとう…レイ。お世話になりました」
その微笑みに、レイは息苦しさに似た感覚を覚えた。胸をチクチクと刺すような、歯がゆい感情…
「こちらこそ。お前がいてくれて助かった」
自分を映す優しいブルーの瞳を見つめて、レイは穏やかに唇を緩めた。
初めて出会ったときからその美しく澄んだサファイアに惹かれていた。数多の戦場を映しても濁ることのないそれを、自分の手で守れたならどんなに幸せだっただろうか。
ずっと心の底で密かに膨らんだこの愛慕が、彼女に気づかれる日は一生こないだろう。
自分は、彼女と同じ時間を歩むことが出来ない。
以前、ミネルバの通路で会ったアーシェの元上官の男の自信に満ちた顔が頭を過る。一人の男として彼女に寄り添い、自分の手で守ると決意出来る彼が羨ましかった。
「…気をつけてな、アーシェ」
「レイも、気をつけて。またね」
彼女から差し出された手を、レイはしっかりと握った。
華奢なその手はディオキアで頭を撫でてくれた時と同じ、優しい温もりがあった。
去っていく想い人の背中を見つめながら、レイは改めて決意していた。
彼女とともに生きることが出来ない自分でも、彼女にしてやれることは唯一あった。
――ギルのもとで、争いのない平和な世界をつくる。
ギルが目指す世界は人類の理想だ。
もう二度と自分たちのような想いをする人間は現れない、秩序正しい平和な世界…
ギルの言うことはいつだって正しかった。
自分に愛情をかけてくれた優しい人の理想に間違いなどありはしない。

きっと、彼女もその正しい世界で笑ってくれるはずだ。