ディオニソスの格納庫。
久し振りに自身のホームに戻って息をつく間もないまま、ジークはクロエが差し出した資料を睨んでいた。
「2週間は、長いな…」
ディオニソスの被害状況に暗鬱なため息をついた。
航行不能まで破損したディオニソスの修理は、どんなに急いでもあと2週間はかかるという。
ジークは硬い表情のまま視線を上げた。
今まさに搬入を終えた2機のモビルスーツは、“グフイグナイテッド”
専用の黒いカラーリングを施されたそれらは、イルミとエルヴィンの新しい搭乗機だ。
「こちらの要求は4機のはずだが…」
残るはヘブンズベース戦で“フリッグ”を失ったアーシェの分と、エアリス隊に新たに配属される新人パイロットの分…
「それが…」と、クロエは困ったように眉尻を下げた。
「追加の2機に関しては、司令部から回答がまだなくて…」
ジークは不審の眉を寄せて考え込む。
量産機の配備の手続きが何故そんなに時間がかかる?
「…あとで、俺から直接問い合わせておく」
配備を急がせなければ…
今後は使える戦力は全て使って臨まなければならない。もう計算などはしていられない。エターナル討伐作戦と同じ轍を踏まないよう、向かう敵は全力で叩き潰す。
「ジーク!」
目の前の“グフ”のコックピットが開いた途端、2つの弾んだ声が響いた。
2機から少女と少年が飛び出してくる。無重力の空間にふわりと浮かんだ子供たちは、我先にとジークの腕に飛びついて「おかえりなさい」と満面の笑みを見せた。
嬉しそうに自分を映した無垢な瞳に、硬かったジークの顔も自然と緩んだ。すっかり回復した様子の可愛い部下の姿に安堵を感じながら頭を撫でてやる。
「ただいま。イル、エル」





「やっぱり落ち着きますね。ホームに帰ってきた感じ…」
ディオニソスのレクルーム。クロエが淹れてくれたカモミールティーを口にして、アーシェはふうと息をついた。
「最新鋭のミネルバはお気に召さなかった?」
クロエが苺がのったタルトを差し出して言った。
「快適でしたよ。何もかも…でも、私初めての配属もナスカ級なので、こっちの方が馴染み深いです」
テーブルに並べられた彩り鮮やかなケーキを前に、アーシェの口からは思わずうっとりため息が漏れた。戦闘続きだったミネルバの生活では見られなかった光景だ。
苺のショートケーキはイルミ。レモンパイはエルヴィン、アールグレイのムースケーキはクロエ…
もう一つ用意された自分と同じ苺のタルトに視線をやってアーシェは微笑みを浮かべた。あれはきっと、“あの子”の分。
隊員たちの好みを熟知して選ばれた高級洋菓子店のそれは、長期任務から帰還した自分たちの隊長が差し入れたものだ。
「何より誰も私のこと気にしないでいてくれるので、それがいちばん楽」
ミネルバでは同期の仲間も、他のクルーも、みんな良くしてくれた。良い人達だからこそ居心地が悪かったのだ。彼らと幾つもの戦場を見てきた。彼らの戦争に向き合う姿勢を見る度に、何処か後ろめたい思いがずっとあった。
アーシェの言葉に「だろうな」とグレイが笑った。
「なんたってお前の異名、“魔女”だしな」
“白銀の魔女”
フリッグの部品として夢中になって戦っているうち、誰かが自分を表現した。
以前、「異名や勲章は何の意味もない」と隊長は言っていたが、当事者になってみて改めてそのとおりだと実感する。
これで自分の給料が上がるのであれば少しは有難がるのだが…
アーシェは自嘲気味に笑った。
「まぁ、その“銀色”も今はもう無いんですけどね…」
ジブラルタル基地に置いてきた大破した自身の本体に想いを馳せる。
地球を立つ前、ボロボロになったコックピットに座って“彼女”と語り合った。気性の荒い女神は不甲斐ない部品の自分を責め立てることもなく、何処か諦めたように一言別れの言葉をアーシェに告げて沈黙した。
“彼女”の為に生きることが自分のこの世界での役割だった。
その役割を失ったいま、アーシェには不思議と不安な気持ちはなかった。
――あの人のおかげだ
あの優しいアイスブルーの瞳を想うだけで、胸にぬくもりが湧くのを感じた。
「アーシェ…?」
どこか遠くを見るように瞳を細めたアーシェに、クロエは不思議そうに声をかけた。
「あなた…少し雰囲気変わった?」
「え?」
「なんか、大人っぽくなったっていうか…」
なんだろう?と首を傾げるクロエの隣で、グレイは意味深に唇を吊り上げた。
「そりゃあ、地球で“いい事”あったもんなぁ?」
途端にアーシェの顔はみるみるうちに熱を帯びていく。
「いいこと?」
「実はな」とクロエに事の詳細を伝えようとするグレイを、アーシェは慌てて制止した。