《――わたくしは、ラクス・クラインです》
いつから忘れてしまったのだろう…
画面越しに自分を見据えてくる清廉な少女の視線に、ミーア・キャンベルは力なく床に崩れ落ちた。
予想打にしない重大なトラブルに、会見場に居る大人達は事態を収拾すべく慌ただしく駆け回っている。
「こちらの放送を止めろだと!?なにをばかな…!」
「命令だよ!いいから早く止めろ!」
《わたくしと同じ顔、同じ声、同じ名をもつ方が今デュランダル議長のお側にいることは知っています…》
尚も自分と同じ声が会見場に響く。ミーアは思わず耳を塞いだ。
《ですが、シーゲル・クラインの娘であり、さきの大戦ではアークエンジェルとともに戦ったわたくしは、今もあの時と同じにかの艦とオーブのアスハ代表のもとにおります》
壇上の隅でガタガタと震えて縮こまる自分のことを気にかけてくれる者は誰もいない。
その扱いだけでも、自分の立場を改めて思いしらされる。
いつの間にかこの感覚を忘れてしまっていた。
世界を騙していることへの罪悪感、不安…
――自分は所詮、贋物なのか。


今日もいつもと同じはずだった。
平和の歌姫“ラクス・クライン”として、用意された原稿を読めばいいだけ。
世界に平和を訴える健気で聡明な少女を演じることが、ミーアに与えられた役割だ。
プラントに向けて声明を発するオーブ代表の放送に、割り込むように演説するのは多少強引に思えたが罪悪感は無かった。世界中の人々がどちらの主張を支持するかなど、明白だったからだ。
ミーアは慣れた様子でカメラの前に立ち、平和の歌姫として世界に語りかけた。
己の私欲の為に戦争を操るロゴスは悪だ。その一員であるロード・ジブリールをオーブは匿っていた。故に過日のザフト軍によるオーブ侵攻は正当だったのだ。ギルバート・デュランダル議長が掲げた“打倒ロゴス”は、必ずや世界を平和に導くだろうと。
一字一句決められた言葉。
自分の言葉ではないが、渡される原稿はいつも平和に対するの理想的な言葉が並び自分の胸を打った。それを読むたび自分も同じ想いだと、この平和への願いを世界中へ届けなければならないと心を奮い立たせた。
想いは“本物”であるはずだった…
《その方の姿に、惑わされないでください》
だが、突如としてオーブ代表の隣に現れた自分と瓜ふたつな少女…本物のラクス・クラインは、真っ向から自分を否定した。
《彼女とわたくしは全く違う者であり、その想いもまた違うということを、まずは申し上げたいと思います》
想いが違う?
ミーアは恐る恐る視線を画面に向ける。
コーディネーターとナチュラル…憎しみ合って殺し合う、終わらない負の連鎖の元凶はロゴスだ。彼らを討つことで世界は真の平和を手に入れることが出来る。
ミーアはこれまでデュランダル議長とともに何度も世の中に訴えてきた。
戦争は悪だ。
議長の言葉は正しい。
現に、ヘブンズベースでの作戦には議長の正義に賛同した兵士があれほどまでに集まったではないか。国籍を越えて集まった義勇軍に、ミーアは平和な未来への希望を見た。
世界は確実に平和へ向かっていた。
なのに、なぜ?
なぜ、彼女は今更現れてそれを否定するのだろう?
脳裏に雨音が響く。
記憶の中の青年が、雨に打たれながら自分に手を差し出した。
『君だって、いつまでもそうしていられるわけないだろう!?』
自分に向かって叫ぶ青年の名は、アスラン・ザラ。
ザフトのトップエリートの彼は、ラクス・クラインとともにミーアの憧れの人だった。偽りでも彼の婚約者として居られることが嬉しかった。
そんな彼は、「議長の言うとおりに動く人形にはなれない」とはっきりと議長を否定し、ザフト軍を見限った。
「一緒に行こう」と差し出された手をミーアは拒絶した。
人形の何がいけないのか。役割でも人の役にたっているのならいいではないか。
憧れの人の手を取ることより、ミーアは“ラクス・クライン”としての今の地位を守ることを選んだ。
“ラクス・クライン”でいるうちは、みんなが自分を愛してくれる。世界中の人々が自分の発する言葉に耳を傾け、自分の平和への願いに賛同してくれる。
人々から向けられる羨望の眼差しや歓声は麻薬だった。国のVIPとして優遇されることの快感を覚えてしまっては、その煌びやかな生活を易易と手放すなど出来なかった。
地味で誰にも必要とされないミーア・キャンベルになんて戻りたくない。
本物のラクスが世界に投げかける問いの意味も、アスランが必死に自分に訴えていたことも、ミーアには何もわからない。
ただはっきりと分かることは、夢のような日々が今この瞬間音をたてて崩れ落ちたということだけだ。
『“役割”が終われば、君も要らなくなるんだぞ!?ミーア!』
捨て去ったはずの本当の名を叫ぶアスランの声を振り払うように、強くかぶりを振った。
「ちがう…私は…」
開戦時からプラントのため、世界のためと働いてきたのはこの私だ。再び世界が混乱の渦に巻き込まれていた中、彼女は今日まで黙っていたではないか。
世間が思う“ラクス・クライン”は勇敢な人物だ。
自ら戦場の最前線に出て前大戦を停戦に導いた英雄…世間が望む“ラクス・クライン”は、今は彼女じゃない。
「私が、“ラクス”よ…」
泣き声に似た弱々しい音を吐き出して、ミーアは冷たくなった手を固く握った。