「…ここに居たのか」
頭上から降ってきた男の声が、フィーネの意識を現実へと引き戻した。
顔をあげるとジークが複雑な表情でこちらを見下ろしてくる。
「探したぞ。勝手に居なくなるなよ」
「また逃げたかと思った?」
「いや…」
ジークは“ワルキューレ”のコックピットハッチに腰を降ろすと、手にしていたドリンクボトルをフィーネに差し出した。
「時間だ」
ああ、もうそんな時間なのか。
フィーネはコックピットのモニターを見やって息をつく。
こんなに長く繋がってみても、まだ“ワルキューレ”の考えていることが分からない…
脳裏に焼き付く今までの戦場のイメージを与えてこの戦乙女を奮い立たせようにも、彼女は素直に自分の話に耳を傾けようとしてくれない。
“フリッグ”をもとにして造られた機体は、完全に同調するには難しかった。
演習で動かしてみてよく分かった。やはり“フリッグ”との相性はアーシェの方が上だ。
もとより自分は“フリッグ”との同調率が劣っていたからヘインズに棄てられたのだ。完全に自分の手足として動かすには、アーシェ以上に体力が要る。
「長くここに居るのはやめろ。コイツに頭ん中持っていかれるぞ」
「大丈夫よ。中途半端にしか繋がれてないもの。一体になるにはもっとお話が必要」
ジークが疲れたような溜息を吐き出して、軍服のポケットから赤い錠剤が入ったケースを取りだした。それを振って手のひらに2錠落とす。
半透明のケースにぼんやり透けて見える赤を見つめたフィーネは、ホッとしている自分の胸中に気づいて自嘲した。どんな美味しい食事より、この毒々しいほど鮮やかな赤を身体は欲しているのだ。
フィーネはシートから身を起こして彼に向かって口を開けてみせる。放り込まれた薬は、舌の上で転がすとピリと微かな刺激と苦味を感じた。
まるで雛鳥の餌付けだ。
ボトルの水で薬を飲み下しながら思う。
この窮屈なコックピットが自分にとって何より安心出来る“巣”で、この苦い薬が自分の命を繋ぐ餌。せっせと決まった時間に餌を与えてくれるのは、新しい飼い主だ。
しっかり飲み込んだことを証明するためもう一度口を開けてみせれば、飼い主は優しく頬を撫でてくれる。
「今日はここまでにしておけ。顔色が悪い」
フィーネは心地よさそうに瞳を細めて頷く。
ジークは以前「お前を飼う気はない」と言った。そういう関係では嫌なのだと、フィーネを抱きながら甘く蕩けるほどの言葉を全身に浴びせて…
だが、彼はフィーネにとって生命線ともいえる薬をフィーネの自由にさせることは決して許さなかった。フィーネがプラントの為に戦う兵器として完成してからも、薬は厳重にロックした場所に保管し必要な分だけ自らの手で与える。
優しい彼は、時おり狂気じみた執着をみせる。抑えきれなかった歪んだ感情の片鱗を目の当たりにする度に、フィーネは背筋が凍る思いがした。
それでも、それを拒むことなく素直に受け入れてしまうのは、フィーネも同じように彼に執着しているからだ。
――もう、お互いに病気だ
私だって、彼を繋ぎ止めておく方法があるのならどんなことだってするだろう。
彼が自分に執着をみせているうちは、まだ安心出来る。
“ヴァルハラ製”は死ぬことを恐れない。生に執着するに値する何かを持たなければ、たちまち死が放つ魅惑に引っ張られていってしまう。
恋人に一途に想われることは幸せなことだとアーシェは言っていたが、この関係が果たして世間でいう恋人なのかフィーネには分からなかった。
普通の恋人がどういうものか、健全な男女の恋愛をフィーネは知らない。恐らくジークも。
自分達の関係を「幸せだ」と呑気に評したアーシェは、自身の恋人の話をする時はとても幸せそうな顔をしていた。
深いブルーの双眸を細めて、別部隊の隊長だというその恋人に想いを馳せる。元上官で憧れの人だったと。今の自分のありのままを受け入れてくれる素敵な人だと語るその顔は、年相応に恋をする乙女の顔だった。
どこまでの関係なのかとフィーネが尋ねれば、たちまち頬を紅く染めて恥ずかしそうに俯いて言った。「キスを一度」と。
――アーシェは可愛い
可愛くて、純粋で、たまに驚くほど良識的な発言をする優しい子。
思えば、自分を殺そうとした時も上手く引き金を引けていなかった…
――やっぱり、あの子は何処か私とは違う。
「ねぇ、ひとつだけ教えて」
隊長室へ戻るジークを追いながら、フィーネは尋ねた。
「ひとつだけ。他は深く聞かないわ」
「なんだ?」
「アーシェを、ディオニソスから離したのはどうして?」
ジークの足が止まる。
「…人事交流」
「うそ」とフィーネは眉を寄せた。
「この状況でエースを手放すの?随分と余裕ね」
ここ数日でまた戦況は混迷を極めている。
ザフトはオーブを討ち損ね、またもジブリールの逃亡を許した。さらに、ここにきてデュランダルが側においていた平和の歌姫に贋者疑惑まで浮上してしまった。
自分こそが本物だと、オーブ代表とともに世界にデュランダルへの疑念を投げかけた少女の登場は、これまでデュランダルが掲げる“正義”に熱狂していた世界に一石を投じるかたちとなった。
同じ顔、同じ声を持つ2人のどちらが本物かなど、狼狽するデュランダル側の歌姫の様子で直ぐに分かった。
何も答えないジークの背中に再び声を投げる。咎めるものではない。穏やかに諭すような音だった。
「ジーク」
飼い主の嘘を、番犬が知らなかったとは思えない。
恐らくこの綻びは彼の計画にも影響を及ぼすことだろう。
「アーシェは、俺のところよりジュール隊にいた方がいい。あいつは俺達とは造りが違う。番犬じゃない…」
ジークは観念したように深い息を吐いた。
「イザーク・ジュールは良いやつだ。清々しいほど真っ直ぐで、義侠心が強い。男の俺でもかっこいいと思う」
ジークがそこまで言うのは珍しい。
“ワルキューレ”を初めて見に行った際に一緒に居たあの銀髪の青年…アーシェが愛らしい表情で想いを語り、同胞以外に心を開かないジークが認める男というなら相当だろう。
「俺はイザークを戦士としてもひとりの男としても気に入ってる。だからこそ、“万一のとき”にあの二人を引き離すことはしたくない」
「そう…」
フィーネは物憂げに視線を落とす。
寂しげな口ぶりから察するに、そのお気に入りの戦友はジークが言う“万一のとき”に共に戦ってくれる男ではないということか。
その男は、普通の人間なのだ。
「勿論、万一のときなどこないよう努める。イザークも俺に付いてきてくれると信じたい。だが、最近あてが外れ続けててな…想定しうるリスクへの備えはあった方がいいだろ。アーシェまで巻き込むのは酷だ」
「私はいいんだ?」
「だって、お前は俺のだろ?」
ようやく振り返ったジークは、当然だというように勝ち気な笑みを浮かべた。
「居てくれよ。お前が居ないと頑張れない」
再び歩き出したジークを追いかけて、フィーネは彼の腕を掴んだ。
「…なんだよ」
ジークを見上げる視線に目一杯の抗議の意を込める。
「君が歩くの速いからよ」
あれほど自分を求めておきなら、彼はどんどん先へ行く…
「側にいて欲しいなら、もう少しゆっくり歩いてくれる?」
はやく“ワルキューレ”を自分のものにしなければ。
湧き上がる焦燥が胸を圧迫する。
その息苦しさに思わず「怖い」と弱音を漏らしそうになるのをグッと堪えて俯いた。
弱いままで側に居ていいわけがない。このままだと追いていかれてしまう。
フィーネはジークの腕を抱え込んだ。キツく、決して離されないように。
「なんだ、今日は甘えたか?」
ジークは揶揄うように喉の奥を鳴らして笑った。
周囲を見回して部下の姿がないのを確認してから、「ほら」とフィーネの手を握ってくれる。
「こっちの方が歩きやすい」
この人は、ジーク・エアリスという男は、同胞の未来を守ることが責務だと信じて戦い続けてきた。
絡めたこの手は、多くの人間の血で染まった手だ。世界を呪い、「同胞のために」と犯してきた多くの罪を、彼はひとつも忘れてはいない。
大人のエゴによって生み出された哀れな子ども達を救うなど、途方もない責務を託した人物が恨めしい。
彼のしていることは、“親”が犯した罪の尻拭いだ。
自分に笑いかけるジークの顔にその人物を重ねて、フィーネは心の中で問う。
――この人のことは、誰が守ってくれるの?