銀色の女神を映して、青い宝石は揺れた。
「さあ、お仕事よ。ワルキューレ」
パイロットスーツに着替えたアーシェは、キャットウォークの手すりを軽快に蹴り出して“ワルキューレ”の胸部へと身体を流した。
アーシェの呼びかけに応えるように、“ワルキューレ”の眼に光が宿る。
初陣は思いのほか早くやって来た。
プラント付近の宙域に、地球連合軍の旧型コロニーらしき大型構造物が移動中だというのだ。
プラントへの直接攻撃であれば、まだだいぶ距離がある。構造物の正体と意図がわからない以上、停止を第一に考えろとの命令だった。
「停止よ、停止。危ないものかもしれないから、壊しちゃダメ」
コックピットに滑り込んで、初陣に興奮を隠せない様子のパートナーに言い聞かせる。
ちょうどいいタイミングでの出撃だ。不謹慎な考えが頭を過ぎった。
“このまま”ボルテールに居るのは気まずい…
「ねえ、ワルキューレ」
アーシェは表情を陰らせてヘルメットのバイザーを下ろした。
「貴女の製作者は、貴女に何を期待してた?」
その問いに“ワルキューレ”は応えなかった。
まだ“生まれたて”の思考は、“フリッグ”と比べると少し幼い。
「私はね、終わらせたいから戦うのよ。戦争がなければ、私達みたいな兵器を造る必要はなくなるもの」
“ワルキューレ”の戦う意味が、自分の願いと同じであって欲しい…
「もし、貴女も…貴女の製作者も、本当に平和を願っているのなら力を貸してね。私、信じたいのよ」
こんな独り言など何も解決しないと分かっていながら、“ワルキューレ”に信頼の言葉を語るのは、いま自身の中に渦巻く不安や疑念を消し去りたいからだ。
2人のラクス・クラインの放送に、ジュール隊も騒然としていた。
艦内中、何処へ行ってもクルー達がどちらが本物か偽物かと意見を交わす場面に遭遇する。
浮足立つ彼等の姿に、アーシェは改めて“ラクス・クライン”という少女の影響力を実感した。
プラントの歌姫として愛された彼女は、その優しい歌で多くの人々を癒やしてきた。ただ優しく平和を訴えるだけではなく、ときには自ら前線に出て戦う勇敢な少女。
プラントの政治家として何かを成し遂げようとするならば、ラクス・クラインが味方であるということは何より心強い。
地球に降りる前、自身の隊長は言っていた。「正当性を示すには多少の演出は必要だ」と。
まさか、そこまでの演出をするものか?
“ワルキューレ”を与えられてから感じたザフトの最高司令官への違和感が、ここにきて一層深まっていく。
「あぁ…もう…!」
アーシェは暗い想像を振り払うように頭を振った。
もしかしたら、こうして混乱させることが敵の思惑なのかもしれない。
必ずしもあちらが正しいとは限らない。
前大戦の英雄の主張は、今対戦でも正しいのか?
まして、ロゴスに与した国の言うことを信じられるか?
カメラが外の映像を映し出した。“ワルキューレ”の前を白いパイロットスーツが流れて、ペールブルーの“グフイグナイテッド”のコックピットに吸い込まれていく。
イザークだ。
アーシェはそれを寂しげに見つめ、数時間前の彼とのやり取りを思い出す。
2人のラクス・クラインの会見の後、彼はアーシェを隊長室に呼び出した。
険しい表情でアーシェを迎えた彼は、エアリス隊のディオニソスが被弾した理由を尋ねた。エアリス隊の任務は何だったのかと。
アーシェは咄嗟に嘘をついた。
『――分かりません、私はミネルバにいた時でしたので。ただ、“敵艦”と交戦して被弾したとしか』
自分だって何も分からない。エアリス隊の任務は特殊で、全てを把握しているのは隊長であるジーク・エアリスだけだ。
その答えは半分事実で、半分は嘘だった。
自分たちに与えられる任務は秘密任務であり、友軍であっても詳細を教えることは出来ない。
だが、特殊部隊の隊員として課せられた守秘義務を抜きにしても、アーシェは“敵艦”がクライン派の艦エターナルであることをイザークには言えないと思った。
アーシェを真っ直ぐ見据えたアイスブルーの瞳には、不信が宿っていた。
それはジークに向けたものか、自分へか…
どちらにしろ、いま自分は恋人に嘘をついてしまった。そのことが、アーシェを酷く動揺させた。
エアリス隊はミネルバが行った“エンジェルダウン作戦”に続き、同盟艦であるエターナルの討伐任務を下されていた。結果、“フリーダム”の予期せぬ反撃に合い多大な損害を被った。
「上からの命令だ」とジークはいつものように言い切った。アーシェも、どこか腑に落ちない思いを抱きながらも、無理やり自分を納得させたのだ。
自分が“エンジェルダウン作戦”に参加したことも、ジークがアスラン・ザラをスパイとして断罪したことも、エアリス隊がエターナルを討とうとしたことも、全てザフト兵として正しい行いだったと今日まで信じてきた。
イザークが、かつての戦友であるアスランの逃亡事件について憤りを感じていたことは知っている。
2人のラクス。
ラクスの婚約者であったアスラン・ザラの逃亡。
エアリス隊が行ったクライン派の討伐。
これらを結びつけた時、イザークのエアリス隊への信頼が揺らぐのは当然だ。
デュランダル議長が嘘を付いていたかより、アーシェは自分の信じてきた道や仲間を、イザークに否定されることが何より恐ろしく思えた。
自分の正体を知った上で受け入れてくれた彼に軽蔑されたくない。
動揺を必死に隠そうとするアーシェをイザークは黙って見つめ、諦めのようなため息と共に二つ目の質問をした。
『ならば、お前はあの会見をどう見る?』
『どう、ですか…』
『どちらが本当で、どちらが偽りか…お前はどう思った?』
正直な意見を聞きたいと、彼は冷静な声色で言った。
彼のその謹厳な態度に、その時ばかりは目眩を覚えた。
澄んだアイスブルーの視線が鋭利な刃物となってアーシェの胸を切り開き、内に秘めた“兵器”としての不道徳な感情を全て暴かれるような気がした。
怖気づいたように後退りをしたアーシェは、乾いた口からやっとの思いで言葉を吐いた。
『…なにも』
『何も、だと?』
あまりにも素っ気なく反抗的な口調に、イザークが不愉快そうに眉を顰める。
『どちらが本物か贋物かなんて関係ないです。私の上官は、ラクス・クラインではありませんから』
意を決したように拳を強く握り、イザークを見つめ返す。
『私達にはプラントの命令が絶対です。プラントの決定に従って確実に任務を遂行する…今迄もこれからも、その事実は変わらない。だから、何も思いません。ここで揺らいだら敵の思うつぼです』
イザークに反抗するつもりはない。ただ、ここで自分自身に強く言い聞かせないと、戦う決意が揺らいでしまいそうだった。
自分たちはザフトの軍人で、信じるべきは祖国であるプラントだ。そのプラントが、“真の平和”を目指して今行動を起こしている。
悪いのは戦争。
自分も、フィーネも、エアリス隊のみんなも、戦争のせいで生み出された。
その戦争を作り出してきた“ロゴス”は悪で、それを討とうとするプラントは正しい。
それでいい。
この道を進めば、必ず求めていた未来はある…
逃げるように隊長室を後にするアーシェの背中に、イザークは低く言葉を投げた。
『“敵”って、誰だよ?』
ハッチが開き、管制の指示がアーシェの意識を呼び戻す。
次々にカタパルトへ流れるジュール隊に続きながら、アーシェは哀しく呟いた。
「どちらにしろ、私はここでしか戦えないんです。ジュール隊長」
此処で生きろと最初から他人に決められていた。狭い世界だが、それでもどうにか足掻こうと決意した矢先だ。たった一人の少女の言葉に、心をかき乱されてはいけない。
先を行く“グフイグナイテッド”の後ろ姿を見つめた。
彼は、その気になれば何処へでも飛んで行ける。
もし彼がプラントを見限ることがあれば、自分はその後を追えない。
どちらが本当で、どちらが偽りか。敵とは誰か…
いまイザークの中にある疑念が、これ以上膨らまなければいい。
随分と浅はかで身勝手な願いだ。だが、今のアーシェは本気でそう願っていた。
「おいてかないで…」
泣きそうに絞り出した声は、漆黒の闇を悠然と進む気高い戦士の背中には届かない。