窓から差し込んだ光に目を細めて、アーシェは気怠い身体を起こした。
覚醒しきらない頭で部屋を見渡す。
ディセンベル市にあるマンションのワンルーム。手狭だが日当たりの良いここが、アーシェの我が家だった。
今日からジュール隊に3日間の休暇が与えられた。
「ゆっくり休め」と言った隊長は、アプリリウスで別件の仕事があるらしい。彼の方こそ身体を休めた方がいいのに。
アーシェは与えられた休暇の使い方に悩んでいた。こんな時に仕事の手を止めてしまったら、雑念に頭の中を占拠されてしまう気がした。
ユニウスセブンの一件から感じていた、頭の中に走る痛痒いような感覚。一応軍医にも相談したが原因は分からず、心因性によるものだろうと言われた。
アーシェはそれがどうにも腑に落ちなかった。
ゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをする。
ふと、デスクに飾った1枚の写真に目が止まる。
写真の中の2人の男女がこちらを見つめている。女性の腕の中には水色の髪の赤ん坊。
亡き両親の写真。
いつも眺めていたその写真が、今日だけは何かが気になる。
首を傾げてそれを見つめていると、ベッドサイドに置かれた携帯が鳴った。
ディスプレイに表示された“アニタ”の名前を確認して一瞬躊躇する。鳴り続けるその音は、自分を責め立てているように感じた。
アーシェは得体の知れない不安を振り払うように頭を振って、それに手を伸ばした。
「まったく…!どういうつもりなんでしょう、開戦なんて!」
海に面したテラス席に吹き抜ける心地良い風。
テーブルに並ぶアフタヌーンティー。
穏やかな時間が流れるカフェで、アニタの口から発せられる言葉は穏やかでは無かった。
「私は生きた心地がしませんでしたよ!お嬢様があそこに居られると思ったら…!」
「アニタ。今その話はやめて」
せっかくの休暇なんだからと、アーシェはお気に入りのカモミールティーを口にする。
アニタが物言いたげにこちらを見てくる。
「辞めないわよ」
キッパリというと、アニタは不満げに眉を寄せた。
「まだ何も言ってないじゃないですか」
「でも、そうでしょう?」
「そうですけど…」
アーシェはわざとらしく大きくため息をついて肩を落とす。
「そんなに私を心配してくれてるなら、今は仕事の話はやめて。もっと楽しい話をしましょ」
「楽しい話って?」
「アニタがこの前行くって言っていたミュージカルのお話とか?」
どうだった?と笑いかける。
アニタはまだ納得のいっていない表情をしていたが、アプリリウスの劇場で観たミュージカルの感想を話し出した。
身分違いの2人の悲しい恋のお話。生のオーケストラをバックに歌うナンバーが良かったとか、主演の2人が美しかったとか。
アーシェはそれを何度も頷きながら聞いた。
ひと通り話し終えると、アニタは切り出した。
「お嬢様…何かありました?」
「どうして?」
「さっきから浮かない顔をされています」
アニタの眉尻が下がる。
そんな彼女の表情に耐えかねて、アーシェは嘆息を吐いた。
「…アニタ」
「はい」
「お父様とお母様は、優しい方だったわよね?」
「何を急に…」
いつも見ていたはずの両親の写真。アーシェにとって、両親の顔が分かる唯一のものだった。
父がテロに巻き込まれて死亡してから、母はその喪失感からか心身が衰弱していった。精神を病んだ母がその時に家族の写真を全て燃やしてしまったのだと、アニタから聞いていた。
生後間も無いアーシェを抱いて撮ったそれは、誰も笑っていなかった。真っ直ぐレンズを見据えるその顔は、一人娘が生まれて幸せであろう時代に撮ったにしては何かがひっかかる。
記憶の中の両親はいつも優しかった。
いつも笑いかけてくれた。
なのに…
心の拠り所であった写真が、今朝は言い様のない不気味さを醸し出していた。
「旦那様も奥様も、お嬢様を愛しておられました。ずっと見てきた私が保証します」
アニタが神妙な面持ちで言った。
「おかしなこと言わないでください」
そう言ったアニタの手は微かに震えていた。
彼女の瞳の奥には僅かな動揺…
アーシェはそれに気付かないふりをして「そうね」と、笑顔を作った。
「ごめんね、変なこと言って。少し疲れてるのよ」