狭く薄暗い空間の中で、アーシェは大きく深呼吸をした。
「フリッグ・スキャルブ」
“彼女”の名を呼ぶと、立ち上ったモニターによってコックピット内が明るくなる。
身体が小さく震えた。その原因が、初めての実戦への恐怖でも、緊張でも無いことを、アーシェ自身分かっていた。
生き物のようなこの機体フリッグ・スキャルブは、パーツであるアーシェに初陣への期待を伝えてくる。
「そんなこと、分かってるわよ。フリッグ」
演習で制限されていた“トドメを刺すこと”を、今後はどんなにやっても誰にも怒られない。
「暴れさせろ」とフリッグがアーシェの脳内で叫ぶ。神話に描かれた愛と豊穣の女神は、その名に似合わず気が強過ぎだ。
お父様は機体の名付けを間違えたわ…
アーシェはそんなことを考えて、ため息をついた。
《アーシェ》
突然開かれた回線に、ハッとして顔を上げる。
「…隊長」
《なんだ、案外平気な顔してるのな》
ジークは拍子抜けしたとでもいうような表情で言う。
《緊張でメソメソしてるかと》
「しませんよ」
アーシェはキッパリ言い返す。その反応に、ジークは満足気に笑った。
専用にデザインされた黒いパイロットスーツに身を包んだ彼も、今は一段と機嫌が良いように見える。
「どんな状況ですか?」
《ウィンダム30。さらにアーモリーワンで強奪されたカオスと不明な新型1》
「あの、ボギーワン…ですか」
《どうも厄介なのに好かれてるらしいな、ミネルバは》
ジークは、やれやれと息をついた。
《発進後の指揮はアスランに任せてあるが、指示通りに動くのも勝手に楽しむのもお前の自由だ》
「え?」
指揮に従わなくていいというのは、軍としてどうなのだろうか。
《俺たちにはそれが許されてんだよ》
ジークは首を左右に傾けて骨を鳴らした。面倒ごとがある時に見せる彼の癖だと、アーシェは最近分かってきた。
その後、何か思案するような表情を浮かべて言う。
《5機、かな》
「5機?」
《ノルマだよ。初陣だし、とりあえずそのくらい落とせたら上出来だろ。シンとアスランもいるから一人でそんなに数はこなせない》
その軽い語り口が、アーシェの負けん気に引っかかった。
アーシェは唇に余裕を浮かべてみせた。
「10機で」
その言葉に、ジークは感心したように黒い瞳を細めた。
「期待してるよ。新人」
そう言って回線は切れた。
モニターに機体名が表示される。アーシェは、それを指でなぞって微笑んだ。
「待たせたね、フリッグ・スキャルブ。じゃあ、行こうか」
《インパルス、セイバー、フェンリル、フリッグ、各機、順に発進願います。ザクは別命あるまで待機》
ミネルバの管制担当、メイリン・ホークが告げる。
シンの“インパルス”がカタパルトへと運ばれていく。
それにアスランの“セイバー”も続く。
《本当にいいんですか?》
モニターに映ったアスランは気まずそうに言った。
《モビルスーツ隊の指揮は、やはりエアリス隊長の方が…》
「嫌だ」
ジークは言い放つ。
「艦長にも言っただろ?俺、そういうの得意じゃねぇんだよ。基本、俺の隊って好きなようにさせてるし」
エアリス隊であれば、「好きにしろ」と戦場に放ってやるだけでこちらが求める戦果をあげてくる。ジークは彼らの箍が外れないよう手綱を握っているだけでいい。
せっかく久しぶりに隊長の立場を忘れて戦える戦場だ。余計なものは背負いたくない。
「俺はまだここのパイロットのこと分かってないし、お前の方が適任だ」
そう一方的に回線を切る。最後に映ったアスランの顔はやはり困惑の表情だった。環境が目まぐるしく変わったせいだろうか、プラントで会ってから彼はいつもあの顔だ。
だが、ジークはアスラン・ザラの実力を認めている。
実力があるからこそ、あのデュランダルも彼を再びこの戦場へと戻したのだ。
先の大戦で伝説となった機体、“フリーダム”と“ジャスティス”。
大戦中、直接剣を交える事は叶わなかったが、敵であればどんなに楽しい相手だっただろう…
“インパルス”、“セイバー”が次々と発進していく。
ジークは瞳を閉じた。
敵は32。
うち、白い新型が1。
不明艦“ボギーワン”がミネルバを追って宇宙から降下したきたと考えると、可能性が無いわけではない。
進路がグリーンに変わる。
一度深く息を吐く。
そして管制に告げた。
「ジーク・エアリス。フェンリル、出るぞ!」
全身にかかる重力を感じながら、黒い機体が快晴の空を駆けた。
遠くで群れとなって向かって来る敵機を見据える。
記憶の中の、澄んだ空と同じ髪の少女に思いを馳せた。
「ここでしか、生きられないんだよな。俺も…お前も」