「――隊長、エアリス隊長」
気が付くと、目の前にブルーサファイアの双眼があった。
コックピットの中に身を乗り出して、顔を覗き込む部下の顔は心配そうだった。
「…アーシェ」
「大丈夫ですか?もう…こんな所で寝落ちするなんて」
ジークはあくびを噛み殺して、やっと状況を理解する。
“フェンリル”の整備ログの確認を終えて、それから少しだけ目を閉じたのは覚えている。
それからどれくらい経った…?
「いま何時だ」
「もうすぐ正午です」
「1時間と5分…」
狭いシートで寝ていたせいか、首が微かに痛む。
嫌な夢を見てしまった。
生温くて甘ったるい。胸焼けのするような記憶…
「で、何の用だ?」
アーシェが口を尖らせた。
「何って…隊長がなかなか降りてこないから下で整備スタッフが心配してたんですよ」
ジークに直接話しかけることを躊躇した若い整備士達は、直属の部下であるアーシェに頼ったのだ。
さっきまでの寝顔はまだ可愛げあったのに…
アーシェは目の前の上官の眉間を注視する。眉間に深く刻まれた皺。最近の彼はずっとこの調子だ。
これでは、周りも寄り付けないだろう。
「本当に大丈夫ですか?お疲れなんじゃ…」
「大丈夫だから、早くそこを降りてくれ」
「俺が出られない」と不機嫌そうに言う彼に、アーシェは渋々立ち上がる。
途端、揺れた彼女の長い髪から甘い匂いがした。ジークは怪訝そうに彼女を見つめる。
「お前…何か付けてるか?」
「え?」
「香水とか、香りもの」
アーシェはその質問の意図が分からず、首を傾げた。
「香水なら少し…」
駄目でした?と不安げにジークの表情を伺う。
「いや、大丈夫」とジークは淡白に返す。
過度な物で無ければザフトの規定違反では無い。
「…“シャロル”の、No.7」
彼はポツリと呟いた。
それは、まさにアーシェが使っている物だった。ブランドも品名まではっきりと言い当てられて、目を丸くした。
「…すごい、よく分かりましたね」
「それ、甘いからな」
「好きなんです。こういうの」
ジークは内心うんざりしていた。
そういう好みまで同じになるものか…
アーシェと共にリフトに乗り込んで下へ降りる。
「え、“狼”ってそういう意味もあるんです?鼻が効くとか…」
「さすがイヌ科」と呑気に感心する彼女に大きくため息をついた。
「んなわけあるか。たまたま知っていただけだ」
“フェンリル”の足元で待っていた若い整備士に、整備ログを手渡して礼を言う。褐色の肌の少年は緊張した様子でペコペコと何度も頭を下げた。
ふと立ち止まって、後ろを付いて来るアーシェに振り向く。
「…それ」
「はい?」
「俺の前では付けるなよ」
「は?」
アーシェは呆気に取られて足を止めた。
「胸焼けする」
そう言い放って、彼は首に手を当てて骨を鳴らしながら格納庫を後にする。
アーシェは呆然とその背中を見送った。
ついさっき、大丈夫と言ったではないか…
確かに甘めの香りだが、控えめでオフィスにも対応出来るブランドの物だ。15の誕生日にアニタがプレゼントしてくれてから、気に入って同じ物を使い続けていた。
「ねぇ、ヨウラン」
隣に居た整備士に尋ねる。
「私、そんなに匂いキツい?」
ヨウラン・ケントは、訳が分からず「さあ?」と肩を竦めるだけだった。