「それは、ぜったい昔の女ね」
ルナマリアがきっぱりと言い切った。
アーシェと同室の彼女は、ベッドに座って薄紅色の小瓶を眺める。
「じゃなきゃ、女物の香水なんて言い当てられないわ」
向かい側のベッドに座るアーシェは、難しい顔をして首を捻った。
カーペンタリアを出てから数日、自分の上官の様子がどうもおかしい。
常に難しい顔をして何かを考え込んでいる。充分に睡眠を取れていないのか、切れ長の目の下には薄っすらと隈が浮かんでいた。
そしてさっきのあの言い方。
機嫌もだいぶ悪い…
彼は近寄りがたい雰囲気ではあるが、他人に自身の機嫌をぶつける人ではなかったはずだ。
「エアリス隊長の御眼鏡に適う人がどんなものか、気になるわね」
ルナマリアが興味深そうに言った。
「もしそうなら、きっと凄く綺麗な人よ」
アーシェがため息混じりに答える。
以前、休暇中の彼に街で会ったときも隣に連れていたのは美しい人だった。それなのに彼は彼女のことを「興味がない」と言ったのだから、彼が忘れられないほどの女性となれば相当だろう。
「アーシェは?どうなのよ」
ルナマリアが身を乗り出して尋ねた。
青みがかった紫色の瞳に好奇心が光る。
「何が?」
「エアリス隊長よ!わざわざ秘書官から引き抜かれるなんて、相当気に入られてる証拠でしょ?」
「隊長は、能力をかっただけって言ってるわ」
アーシェ自身の能力というより、“フリッグ”だ。
彼が自分に向ける感情は、“フリッグ”への好奇心だとアーシェは感じていた。
戦場でどれだけ戦えるのか見てみたい。
“力”を前に胸が踊るのは、自分たちの性だと同類のアーシェはよく理解していた。
別の答えを期待して瞳を輝かせる目の前の少女に、そんなことを言えるはずもなく、アーシェは曖昧に「分からない」とはぐらかした。
ルナマリアは、つまらないと頬を膨らませる。
その様子にアーシェは士官学校時代に戻ったような懐かしさを覚えて、思わず頬を緩ませた。
士官学校でも同室だった2人は、こうしてよく遅くまで他愛のない話に花を咲かせた。
「じゃあ、アーシェは誰がいいの?」
ベッドに仰向けに倒れ込んだ彼女が言う。
「誰って…」
ふいに頭を過ぎった、アイスブルーの瞳。
アーシェはハッとした。
何故いま思い出してしまうのか…
最近の忙しい日々のおかげで、やっと忘れられそうだと安堵していたのに。
アーシェは動揺を必死に隠して、「誰もいないわ」と笑ってみせた。
デスクトップを見つめるアイスブルーの瞳は険しかった。
イザーク・ジュールは、切り揃えられたシルバーブロンドの前髪の下に深い皺を寄せていた。
デスクトップから視線を外さないまま、側に控えていた部下に書類を差し出して言う。
「この報告書、やり直しだ。書いた奴に返して来てくれ…アーシェ」
アーシェ。
口に出た名前にハッとして顔を上げた。
差し出された書類を受け取った“緑”を身に纏う青年が、笑いを堪えるように口をギュッと結んでいた。
「イザーク、お前…」
ディアッカ・エルスマンは面白いものをみたというように、クックっと笑う。
イザークは気まずそうに、大きなため息をついて肩を落とした。
「悪いな。“アーシェ”じゃなくて、俺で」
揶揄うディアッカを、イザークは僅かに頬を赤らめて睨む。
「早く新しい秘書官付けろよ。事務処理まで大変だろ」
「人手不足でな、配属されるまでもうしばらくかかる」
背もたれに身体を預けて息を吐く。
アイスブルーの目の下に、疲労が見て取れた。
「アーシェが居ればなぁ…」
ディアッカは、以前の秘書官に想いを馳せた。
イザークの隣に常に付き従っていた、水色の少女。控えめで物静かな印象だが、秘書官としては優秀だった。
そんな彼女は、今や特殊部隊のパイロットだ。
「確か、今は地球に降りて“ミネルバ”にいるとか」
ディアッカが言う。
「ミネルバに?」
イザークは眉を顰めた。
「エアリス隊長としばらくミネルバの増援なんだと。こないだ、軍本部でグレイに会ったんだよ」
グレイ・ワイアード。エアリス隊の副隊長だ。
「ミネルバ…か」
確か議長が随分と気に掛けてると噂の新型戦艦だ。
議長の扱いを見ていると、ザフトの花形を演じる意図があるように思う。
イザークは戦争に対して“花形”などという考えは嫌いだった。
「アーシェの奴、本当に大丈夫なのか?」
ディアッカが憂わしげな表現を浮かべた。
「急にそんなとこ配属されて…」
「あいつなら大丈夫だよ」
最後の日、意気強く自分に敬礼した深い青の瞳を思い出す。
あの日見た彼女は、今まで知っていたアーシェ・ヘインズでは無かった。
「きっと、大丈夫だ」
イザークは自分に言い聞かせるように、ゆっくりと呟いた。