通話を切った携帯のディスプレイをしばらく眺めたアニタは、一度大きく息を吐いてそれを床に投げ捨てた。
プラント、マイウス市の郊外にある豪邸。
かつて、プラント経済界の雄といわれた資産家アルフォンス・ヘインズの邸宅は、彼の死後、幾人の資産家の手に渡ったが、自宅で夫人が自殺しているといういわく付きから長らく新しい主人を見つけられずにいた。そのままでは引き取り手が無いと判断した管理会社によって、近々取り壊しが決まったそうだ。
荒れ果てた広いリビングを見回して、アニタはかつてこの家が栄華を極めていた時代を思い出す。
自分に手を引かれて歩く淡いブルーの髪の少女。
その愛らしい顔立ちは、天使のようだった。ただ、アニタはその顔に笑顔を教えてやることは出来なかった。
教えたのはモビルスーツの操縦の仕方、戦争の仕組み、世界の経済、政治…
幼い少女の小さな身体に詰め込んだのは、私欲にまみれた大人のエゴだ。
それでも、今は素敵な女性になってくれた…
「気は済んだか?アニタ・ドナート」
背後で飄々とした男の声がした。
アニタは振り返らずに「ええ、お陰様で」と、真っ直ぐ前を見据えた。
目の前にあるリビングから廊下へ繋がる扉には、ブロンドの若い女が立っていた。彼女もこちらを真っ直ぐ見つめ返す。
「悪いな」と、背後の男が言った。
髪色と同じ紅い瞳が印象的な青年だった。
2人ともザフトでも連合でもない、見慣れない黒い軍服に身を包んでいた。
前後に立ちはだかる彼等の容姿に、アニタは感心していた。
兵器にしてはよく出来てる、と彼等を造った同業者を称える。
“獣の群れ”というから、もっと野蛮なものを想像していた…
「本当はあんたに何の恨みもないんだ。あんたは俺らの製作者じゃないしな」
青年は紅い瞳を伏せて言う。
「可哀想に。あんたが作った“失敗作”、うちの厄介な獣がご執心なんだ。しかも、“オリジナル”までこちら側に来てしまったとなれば、もう無関係じゃなくなった」
「失敗作…あの子、生きてるの…」
「ああ、ただ…幸せとは言えない生き方でな」
そういうことか。アニタはひとり納得した。
“ヴァルハラ計画”
かつてプラント主導で行われていた戦闘用コーディネーターの製造は、今ではただの噂話だ。いくら国が躍起になって隠蔽したとはいえ、同業者の自分にさえプロジェクトに関わったという人物の存在が伝わってこないのは妙だと思っていた。
自分の後頭部に突き付けられた銃口で、アニタは全てを理解した。
不思議と恐怖は無かった。 
「ヴァルハラ製は、忠実な番犬なはずでは?」
アニタが冷静に尋ねる。
「忠実よ」
目の前の女が冷たい声で言い放つ。
「プラントの害になることは何一つしてないわ。貴女ひとりが“失踪”しても、プラントには何も影響がないでしょう?」
青年が続けて語った。
「だが、俺らには影響がある。プラントなんかより、俺たちには守りたい人が居るんだ…こうみえて、獣は群れのリーダーに忠実でね」
流暢に語る彼の表情は冷たかった。
動作に一片の迷いも無い。もう何度も繰り返してきた“仕事”なのだろう。
「あいつは、いずれこの国の上に立つ人間だ。その為にもヴァルハラは神話でなきゃいけない」
誰が語り出したか分からない物語の中の生き物のまま、人々の記憶から消える。
「もうすぐ今のかたちの戦争は終わる。そうなると、俺たちもそろそろ人間になりたくなった」
「今さらだけどね…貴女達のような大人に勝手に決められた運命に、抗いたいのよ」
彼らは声を揃えて再び謝罪を吐いた。
語られる言葉に、アニタは自分に笑いかける深いブルーの双眼を思い浮かべていた。
これは、神の禁忌を侵した罰だ。
今、自分に銃口を向けるのが彼女で無いだけまし…
記憶を失ってから唯一の家族として自分を頼る彼女に、いつの間にか「赦された」と錯覚していた。昔から彼女が自分に素直なのは、そうプログラムしたからだというのに。
製作者として情を移してはいけないと心に決めていたのに、17年という歳月はあまりに長すぎた…
アニタはゆっくりと瞳を閉じた。

ごめんなさい、私の美しい芸術
愛していたわ