#19

アーシェは滑走路の突端に座って、海の上に投げ出した足を揺らしていた。
涙で濡れた頬を潮風が撫でる。
ミネルバに居ると誰かしらに会ってしまう。こんな姿を見られるわけにはいかないと外に出てみたが、今の自分は目の前に広がる穏やかな海にさえ苛立ちを覚えてしまう。
自分はこんなにも苦しいのに…
叫びたいのに、声を出す気力もない。
声をあげて泣けたならどんなに気持ちが晴れたことだろう。正しい泣き方など、これまで教えられてこなかった。
アーシェは伝う涙を拭うこともせず、穏やかに揺れる海面を睨んだ。
『兵器として人間を造ったなんて、研究人生の汚点ですからね』
アニタの冷たい声が頭を過る。
「私だって…」
――望んで生まれたわけじゃない
これまで立ち寄った基地でも一部のザフト兵はエアリス隊所属のアーシェを遠巻きに眺めていた。名も知らない人間からの畏怖と猜疑の視線など、アーシェは気に留めていなかった。それを気にするほど自分は弱くないという自信があった。
だが、17年一緒にいた人物からの裏切りは流石に堪える。
アニタが居なくなってしまったら、自分は本当に独りなのだ。
同期の友人達もエアリス隊の仲間も大切ではあるが“家族”ではない。生家を失ったアーシェにとって、アニタだけが「ただいま」と言える場所だった。
これでは本当にただの兵器になってしまった…
目の前の景色がぼんやりと霞んだ。

「――アーシェ・ヘインズ」

突然、背後で自分を呼ぶ声がした。
アーシェはハッとして顔をあげる。
清廉な声だった。
間違えるはずのない懐かしいその声に、アーシェは一瞬振り返ることを躊躇した。
会いたいと思いながら、その想いに気付かないふりをしていた人。でも、今ここにいるはずの無い人だ…
意を決してゆっくりと振り返る。
目の前で、月明かりに照らされたシルバーブロンドが揺れた。
「ジュール、隊長…」


思い詰めて幻覚を見てしまったのかと思った。
アーシェは大きく瞬きをして、目の前の青年を凝視する。
「アーシェ」
再び名を呼ばれ、慌てて立ち上がった。
「ぇ、あっ…」
瞬間、身体が後ろへとよろめいた。
「アーシェ!」
小さく悲鳴をあげたアーシェの腕を、イザークが咄嗟に掴む。
気付くと目の前は白い軍服。恐る恐る顔を上げれば、アイスブルーの瞳が焦ったように自分を見下ろしていた。
大丈夫か?と問う彼に、アーシェは声を出せず小さく頷くだけだった。
「海に落ちるかと…」
イザークはホッとしたように息をついた。
胸に引き寄せられる形となったアーシェは、呆然と彼を見つめる。
「…本物、だ」
思わず間の抜けた声を漏らした。
かつての上官。ずっと憧れてきた人だ。
「お前…どうした、その顔…」
アーシェの涙で濡れた頬に気付いて、イザークは一驚した。
「ッ…なんで泣いている!」
慌てた様子でアーシェの両肩を掴んで問いただす。
「ジュール隊長こそ、どうして…ここ、地球…」
目の前に居る人物が本物だとやっと認識した途端、アーシェの目からとめどなく涙があふれた。
「そんなことは今はどうでもいい!何故、泣いている!?こんな夜中に、こんな所で、ひとりで…!」
何か答えなければと涙を拭うが、それでも深いブルーの瞳から溢れるそれは止まらない。
堰を切ったように溢れ出した感情に、アーシェ自身がいちばん動揺していた。 
どうして急に涙があふれるのだろう。どうして、こんなにも安心してしまうのだろう…
「どこか痛むのか?それともミネルバで何かあったか?あ、あいつか?ジークに何かされたか…!」
矢継ぎ早に投げかけられる言葉に、アーシェはただ黙って首を振る。しゃくりあげるのを我慢するように、唇をキツく結んだ。
そんなアーシェの姿に、イザークは眉を下げて困惑の表情を浮かべるしか出来なかった。
少し何かを考えて、息を吐く。
そして、再びアーシェを胸に抱き寄せた。
アーシェの身体を懐かしい香りが包み込む。宇宙にいた頃、常に隣にあった心地よい香りが何に似ているのか、アーシェは地球に降りから初めて気がついた。
澄みきったそれは、朝の風によく似ている。