デリシャス・デス

 透はよくビデオを借りてきた。その多くが刑事ものか推理ものだった。時々アクションものも借りてくることがあったけれど、だいたいが犯罪を描いたものだった。
 洋画の場合、彼は吹き替えのものを借りてきた。「日本語の勉強になるだろう?」そう言った彼の顔は笑っていた。それは何か企んでますよって顔だった。
 今日も透はレンタルビデオをデッキにセットする。テーブルに置かれたDVDケース。食後のコーヒーを並べて、代わりに名前はそれを手に取った。女が3人映ったジャケット。下部にはデカデカとタイトルが書かれている。なるほど、今夜は推理ものを観るらしい。上映時間は94分。食後にはちょうどいいか。
 有名な作品だったけれど、名前はその女探偵の名前しか知らなかった。それを伝えると、透は驚いた。「信じられないな」そんなこと言われても。「私は探偵じゃないからね」あなたと違って。

「そもそも映画を観る習慣なんてなかったもの」

 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市。ブロードウェイから一本入ったところにある共同住宅。その一室が名前の家だった。
 テレビは置いていたが、ニュースくらいしか見るものはなかった。あとはベッドとテーブル。それから遺品の本。レジエンド作成のための書籍や新聞、雑誌の類。必要最低限のものだけでも生活に困ることはなかった。観葉植物なんてもってのほかだ――名前はリビングに鎮座する緑に目をやる。アメリカでの生活に、もはや懐かしさすら覚えた。

「これから色々なものを観るといい。娯楽だけでなく、勉強のためにも」

 『シカゴ特捜隊M』や『アンタッチャブル』にハマるきっかけを名前に与えた男はそう言って、彼女の頭に手を乗せた。「デザート、持ってくるよ」ソファに名前を残し、透はキッチンに消える。テレビの中では男も女も新聞を片手に右往左往。

「止めなくていいの?」

「僕はもう何度も観たからね」

「そう……」

 つまりこれは完全に名前のための上映会というわけだ。ならば今日こそは犯人を当ててやろう。そう意気込む。
 けれど第1の殺人が起きて、捜査課の警部が探偵役の老婦人と出会う頃には、透の持ってきたビスケットサンドイッチに夢中になっていた。フレッシュベリ−とストロベリーの酸味とバニラアイスの甘味が混じり合ってそれどころではないのだ。冬場のアイスは格別というのも頷ける。暖房を効かせた室内にとろけるアイスクリーム。なんたる贅沢だろうか!

「それで?犯人は当てられそう?」

 …………。

「ま、まだ、これからだから」

 不意打ちに、ビスケットを喉に詰まらせた。咳き込む名前を横目に透は笑い声を噛み殺す。自分はすっかり犯人が分かってるからって。名前が涙目で睨むと、彼は「悪かったよ」と頭を撫でた。でも名前は見逃さない。彼の頬がまだ緩んでるってことを。

「…………」

 これはなんとしても犯人を当ててみせなければ。
 一挙手一投足見逃してなるものか。そんな目でテレビ画面に見入っていた名前だったが、やはりというかなんというか。場面が誕生パーティに移り変わるとそちらに気を取られてしまった。メイド特製スペシャル・ケーキ!チョコレート、バター、砂糖、レーズンを使った<甘美なる死>とはいったいどんなケーキなんだろう。

「チョコのスポンジにチョコのムース、バターチョコレートトラッフルを乗せたものしゃなかったかな」

 名前の関心がすっかり移ったのを感じ取って、「今度作ってあげるよ」とまで言ってくれる。
 「ありがとう」名前を殺すのは透じゃなくてカロリーになるかもしれない。それは困るので、運動量を増やさなくては。1時間のブレストストロークで700キロカロリー燃焼できるから、3時間くらい泳げばいいだろうか。
 極めてくだらない、けれど本人にとっては真剣なことを考えている間にも、テレビの中は進んでいく。ついに第2、第3の殺人が起きた。大粒の雨が降る中、慟哭する二人の女性――。
 その声に紛れるように、透はぽつりと呟く。

「……FBIもヤツの妹も、赤井を死んだと思ってるみたいだ」

 「ほんとうに死んでるのかも」名前はちらりと目線を上げた。透は両手の甲で顎を支えながら、テレビを観ている。けれどその中で語られ始める真相にはてんで興味がないようだ。彼はドラマ越しに別のものを見ていた。

「どうかな、あるいはまったくの別人として生きているかもしれない」

 ニンジャみたい、と名前は思う。変わり身の術だったか、そんなものを彼らは使っていた。名前が思い浮かべるのはスコッチから借りたコミック。それにライを重ね合わせて……なるほど、あり得なくはないかと頷く。

「とんだ超人ね」

「……まぁ、さすがに誰の協力もなしに生きてるってのは考えにくいけどね」

 赤井秀一は死んだ。彼と協力関係になり得る人物たちを張った結果、透はその結論に至った。けれど疑念は拭えないらしい。……いや、そうじゃない。恐らく透はどこかで生きていることを望んでいるのだ。それは赤井の実力を認めているがゆえ。そして名前も、彼なら組織を欺くことすら容易いのではないかと心のどこかで思ってしまっている。

「とはいえ、これ以上赤井の件で組織の力を借りるのは難しそうだ」

 透はそう締めくくった。「残念」名前のそれは代弁でもある。「ジンに赤っ恥をかかせるチャンスだったのに」透は堪えきれずに声を上げて笑った。

「名前は本当にジンが嫌いなんだな」

「嫌いじゃない、嫌なだけ」

「つまりおそろいってことだ」

「他はてんで重ならないけどね」

 エンディングを迎えたドラマを前に、名前は溜息を吐いた。犯人は女主人で、彼女は身元を偽っていたという結末。「さっきの話、ヒントになってたのね」結局、名前は透の掌の上なのだ。