土曜日。臨時の職員会議があるとか何とかで、常よりも早く授業が終わった。ここから逆算すると13時頃には毛利探偵事務所前には着けるだろうか。そう、メールを打つ。透へ、名前より。透から買い与えられた彼と色違いのスマートフォンもだいぶ手に馴染んできた。
見計らって2年B組の前を通ると、鈴木園子が声をかけてくれた。「あら、ちょうどいいところに」それは名前にとっても同じだ。
「アンタ今日暇だったりする?」
「ええ、空いてますよ」
にっこり。この笑顔は透受け売りのもので。いやはや、自然に浮かべられる彼が恐ろしい。
答えると、世良真純がずいっと身を乗り出す。名前を捉える深い色の目。彼よりは明るいのだなと名前はぼんやりと思う。彼のそれはもっと暗くて、鋭利な刃物のようだった。
「ボクたちこれから毛利探偵事務所に行こうと思うんだけど、キミもどう?」
「あら、いいんですか?」
毛利蘭にお伺いを立てる。優しい彼女は柔らかく笑った。「もちろん、大歓迎」まぁうれしい!その言葉に偽りはない。ちょうど、名前も彼女の父やベルモットが気に掛ける少年に会いたいと思っていたところだ。
計画では世良真純だけに用があったが、向こうから誘ってくれるなら好都合というもの。なんやかんやと理由をつけて、彼女を探偵事務所前まで連れていくつもりだったが、なんてラッキーなんだろう。
「お、おい何だよ!?バーベキューって……」
道中。早々に切られた電話に向かって、真純は吠える。江戸川少年は友人たちとバーベキューに行っているらしい。「そういう事は早く言ってくれよ!!」その剣幕に、蘭はたじたじだ。
「なに?なに?蘭家に行くのはあの眼鏡のガキンチョが目当てなの?」
「ま、まぁ……小五郎さんの弟子の安室って人にも会いたかったのもあるけど……」
「ちょうどアルバイトが入っていればいいんですけどね」
この言い方。完全に透はおまけだ。付属品だ。ついでだ。世良真純は随分と江戸川少年に入れ込んでいるらしい。照れ隠しに鼻を掻く姿からもそれはよく分かる。
ついでに言っておくと今日透はバイトを休んでいるので探偵事務所に行っても会えないのだが……それを今教えてしまっては予定が狂うので黙っておこうと思う。
「それより君達、会った事あるか?灰原って子……」
「うん!哀ちゃんでしょ?あっ、灰原哀ちゃんっていうのはコナン君のお友達ね」
後半は名前に向けての言葉だ。「へぇ、そうなんですか」名前は曖昧に笑む。それ以外になんと言えばいいのか。灰原哀という少女を名前は知らないし、そもそも江戸川コナンにしても実際に見たことはないのだから。
それにしても。なぜ世良真純は灰原哀という少女を気にかけるのだろう。
名前は聞き役に徹しながら考えたけれど、結局その理由は思い当たらなかった。気になる点といえば『大人の女性が子供になったかのよう』と『それは江戸川少年とも共通している』というところか。世良真純も引っかかっているようだし、灰原哀と江戸川コナンには何かあるのかもしれない。
「え〜〜帰っちゃうの!?」
世良真純の用件は江戸川コナンと安室透にしかなかったらしい。喫茶ポアロで透が休みであることを確認すると、早々に帰ると言いだした。
「ごめんなさい、わたしがお兄様の予定を把握していなかったばかりに……」
「いいよいいよ!次の機会の楽しみに取っておくからさ……」
真純は朗らかに笑い、ウインクした。顔の造りのせいかひどく様になっている。
「しっかしあんた、底無しに明るいわね!」
園子に言葉に名前は内心大きく頷いた。本当に。この明るさは彼にはないものだ。一瞬、笑いながらウインクする彼を想像してみたが。……鳥肌が立った。人間、キャラクターというものがある。向き不向き。適材適所。彼は彼のまま、仏頂面の皮肉屋でいればいい。
「まぁ、昔、全然笑わない人がいてさ……」
なるほど。彼は昔から”ああ”だったのか。というか、彼にも幼少期があったのだなと名前は失礼なことを思う。思うが、それでも全く想像できない。彼には赤ん坊だった頃などなく、産まれた時からあのサイズで目の下には深い隈があってニヒルな笑みを浮かべていたのでは?人間としてはあり得ないが、赤井秀一ならなくもないだろう。産まれた瞬間からライフルを玩具にしてそうだ。
「その人を何とか笑わせてやろうと思ってたら……」
そこで、真純の顔色が変わった。笑顔から驚愕へ。鞄を放り出し、彼女は駆け出した。その横顔は少しだけ彼に似ている。血の繋がり。本当に兄妹なのだな、と実感する。
「し、知り合いが……いたと思ったけど……」
雑踏に素早く目を走らせながら、真純はそう言った。しかし目的の人物がいないと分かり、肩を落とす。「ごめんよ、いきなり走り出して」その目は、いまだ悲しみを引きずっていた。