いくら事件に遭遇しやすいと言ってもものには"限度"というのがあるだろう。
なのに彼らはーー毛利蘭と江戸川コナンはーー名前の想像の遥か上をいく。
「ええっ!?昨夜怪盗キッドが来たァ!?園子の部屋に!?」
「そうなのよー!まるでピーターパンみたいに窓辺に立っててさー」
先日ボーリング場で殺人事件に巻き込まれたというのに、今度は怪盗キッドが園子のおじの宝石を狙っているという。いやまぁ、これに関しては今回に限ったことではない……というより、もはや恒例行事なのだと蘭から聞いた。だから彼女らが原因ではないのだろうけれど、この事件への巻き込まれ体質は心配になる。蘭も園子も一介の女子高生なのだから。
「あの、園子さんに怪我は」
「そんなのあるわけないじゃない。だってあのキッド様よ!」
おずおずと訊ねるも、当の本人に笑い飛ばされた。たしかに怪盗キッドは女性に危害を加えないというが。しかし園子は可愛らしい少女であるし、万が一があるとも限らない。
ーー気を引き締めていこう。
怪盗キッドへの興味から園子の誘いに応じた名前であるが、彼女の話から目的は切り替わった。彼女らの身の安全、最優先事項はこれだ。園子については凄腕の男がついているから大丈夫ーーと安心していると足を掬われかねない。
こうなるならベルツリー急行でキッドに会えなかったのは僥倖だったやもしれない。1度その力のほどを見極めてしまったらきっと名前は満足して今回の誘いも辞退していたろうから。あの列車で気を失っていたおかげだ。ありがとう、赤井秀一……などと思うわけがない!
「どしたの、名前」
「いえ、それからどうなったのか気になって」
「それがさぁ、ウチの警備員に見つかってすぐに退散しちゃったのよ……」
慌てて言い繕ったが、内心では嵐が吹き荒れる名前であった。
「…………」
目的地である鈴木大博物館は困惑に満ちていた。そりゃあそうだろう。大の男が展示用の台座の上に胡座をかいて座っているのだから。噂の宝石を見に来た客は呆気にとられた顔をするしかない。それをものともせずただ怪盗キッドだけを警戒する京極真という男はまことの武人だーーと、名前は感心した。彼の腕前はボーリング場の一件の際に知ったが、心の方も随分と鍛えられている。彼ならば園子を守ることができるだろう。園子のおじも「でかした!」と満足顔だ。
「だがねぇ……」
納得していないのは警察の方だった。これもまた無理からぬことだ。いくら強いと言っても京極真とて高校生、警察からすれば守るべき市民の一人にすぎない。
「私からも秘策がございますわ……」
揉める次郎吉と警察、二人の間に割って入ったのは園子の母であった。秘策?首をかしげる一同を前に、彼女は体を被っていた布を取り去った。
「パリのデザイナーに特注し、今日届いたばかりの……世界に一着だけしかないこのお洋服ですわ!!」
得意気な顔をすると園子に似ているな、などと名前はどうでもいいことを思った。何しろこの時には完全に自分は部外者であると思っていたからだ。
しかしそうは問屋が卸さない。
「もちろん園子やお友達のお洋服も用意してありますのよ?」
「え?わたしも!?」
学校帰りに寄っただけなのに……。そう声を上げたのは蘭だけであったが、気持ちは名前も同じだ。あわよくば怪盗キッドに、と考えただけであって警護に加わる気はさらさらなかった。というか、警察でもなんでもない一般市民を入れて大丈夫なのだろうか?怪盗キッドは変装の達人。人を増やすのは愚策ではと思ってしまうのは名前がキッドのことを知らないからなのだろうか。それとも鈴木家ではこれが当たり前なのか。
「え、これ全部特注品なんですか!?」
案内された小部屋に並ぶ色とりどりの華やかな衣装の群れに、蘭も名前も驚いた。だが園子も園子の母も「それがどうかした?」という顔で素直に肯定してくれる。
「……すごいですね」
「うん……」
名前は蘭と顔を見合わせた。二人にはわからない世界だ。怪盗キッド対策のための特注の衣装というなら人数分だけ用意しておくのが普通だろう。ただ鈴木家が普通でなかっただけで。
「好きなの選んでくれていいから」
それじゃあ、と園子の母は去っていった。「ちゃんと頬をつねってから着替えるのを忘れずに」と念をおして。
「好きなの選んでって言われても……」
蘭は怖々一着のドレスに触れた。「パリの特注品なんだよね……」ひきつった顔の彼女。その気持ちが痛いほど名前にもわかるので、大きく頷いた。
「汚したら……って考えると触れるのも躊躇われますね……」
「だよね……」
乾いた笑いが二人の口から漏れる。怪盗キッドが何を仕掛けるか。わからない中で高価な品を身につけるのは庶民にはハードルが高い。高すぎる。一着いくらかしらということに気をとられてキッドどころではない。
「そんなの気にしなくていいってー!」
園子は軽快に笑って、「わたし、これにしよっと」さっと一着手に取り、
「じゃあ着替えてくるね!」
と、部屋を出ていった。この時点で名前の頭に浮かんだのは「どうしてここで着替えないんだろう」という疑問だけであった。
「どうしよう……でも決めなきゃ進まないよね」
「そう、ですね……」
とはいっても。
「あんまり派手じゃないのがいいんだけどなぁ」
深紅のドレスを戻しながら蘭がぼやく。それは色もそうだが胸元も大きく開いたタイプで、子どもには敷居が高い。いったい誰向けに用意したのだろうか。園子も選びそうにないというのに。
「でも蘭さんはスタイルもいいですし……、こういうのはどうでしょう?」
名前が差し出したのはマーメイドドレス。女性らしいラインが蘭にぴったりだ。色も淡い青で派手ではないし、と思ったのだが。
「うーん、ロングドレスはちょっと……」
動きにくそうだから、と蘭は言う。
「わたしより名前ちゃんの方が似合うんじゃない?大人っぽくて」
「いえ、わたくしも動きにくいのは……何があるかわかりませんし」
いざというとき、そう、彼女らが危険に脅かされたとき。ドレスで動きが鈍るなんてもっての他であるし、かといって借り物のドレスを裂くわけにもいかない。ここは慎重に選ばないと。……でもあのドレスの色はよかった。透の目の色に似ていてーー綺麗だった。こんなときでなければ私もーー、
「そっか……じゃあミニドレスでいいのないか探さないとね」
でも残念、名前ちゃんが着たとこ見たかったな。微笑む蘭は、名前の心を見透かしたかのように言う。
「いつか安室さんと……って時にはわたしも園子も絶対呼んでね」
「……はい」
そんな日は永遠に来ないとわかっている。名前は夢見がちな乙女ではない。名前にとって、今がもう十二分に夢のような時間だから。それ以上は望まない。望んではいけない。ーー透に、求めてはいけない。
「でも蘭さんも呼んでくれなきゃイヤですよ?新一さんのこともわたくし知りませんし、蘭さんの夫として相応しいかどうか見極めさせてくださらないと」
だからこれは夢物語。叶わぬ夢の話。名前がその日を迎えることも、蘭の晴れ姿を見ることもきっとないだろうけれど。
それでも想像の世界は名前にはもったいないほど美しかった。