西洋ファンタジー風世界のゼロと狼


<設定>
・西洋風なファンタジー世界
・狼とは別にオオカミと呼ばれる種族がいる
・オオカミは小さなコミュニティを作り色々な地方で生活
・数年前とあるオオカミの起こした人間への大規模な襲撃からオオカミ狩りが盛んになる





 オオカミ、という言葉に名前は足を止めた。オオカミ、ガルー。そこには侮蔑が含まれていた。

「出たんですって。幸いすぐに仕留めたそうだけど」

「でも怖いわ、もしもうちにも入り込んでいたらって」

「大丈夫よ、うちの門番は厳しいっていうし」

「そうだけど……」

 そこでようやく女たちは来客に気づいた。
 先に名前に笑いかけたのは年嵩の女だった。いらっしゃい、部屋はひとつでいいかしら。連れが何事か言う前に、名前は慌てて頷いた。「大丈夫です」そうしておいて、隣から送られた視線には首を振る。私は平気よ、と。
 それでも彼は不満げだったが、名前の意志が固いのを見ると諦めたらしい。仕方ないなと息をついて、宿の女から鍵を受け取った。
 部屋はベッドが二つと小さなテーブルが一つあるだけの簡素なものだった。それもこの街の規模を考えれば妥当か。ここより北には大きな国があったし、そこには聖地もある。この街はあくまで通過点なのだ。
 だから宿の主人も名前たちを怪しまなかった。巡礼の証、わかりやすく腰に結ばれたそれを見れば、誰もが旅の目的を察してくれる。旅をする上でこれ以上はないというくらい便利な嘘だった。
 そんな大事な証を外套を脱ぐついでに腰ひもから外した。代わりに首からぶら下げておく。聖なる紋様の刻まれたメダル。こんなちっぽけなもので疑いを拭えるなんて……考えてみればおかしな話だ。

「しくじったな」

 鎧戸を開けながらゼロは忌々しげに舌を打った。思い出すのはここに来るまでに聞き及んだ話。最初は門番から、そして街の喧騒の中から、そして先ほどの女たちの会話。ーーしくじった。本当に、その通りだ。でもだからといってどうすることができたろう?名前に、安住の地などないというのに。
 それでもゼロは名前に少しでも心やすらかにと気を配る。先ほどだってそうだ。相部屋だって名前は構わないのに、むしろ他の旅人と同じ部屋になるよりかずっと安心できるのに、なのに彼は名前を一人の女性として扱おうとする。そうされると名前は逆に困ってしまうのだが。

「ひどい騒ぎだったのかしら」

「どうだろう、前の街では聞かなかったから……」

 そこまで言ってゼロは口をつぐんだ。でも名前には彼の描いたものが見えた。狩られたのだ。密やかに。そして忌まわしきものには蓋をして。オオカミがそこにいたことすら忘れようと。

「……大丈夫だ」

 穏やかな声にハッとした。知らぬ間に胸を押さえていた手から力が抜ける。
 ゼロは戸を閉めた。「ここからならいざってときにもすぐ逃げ出せる」窓は街の出入口に向いていた。名前の足なら飛び降り、門番をかわして街を抜けることもできるだろう。そう、名前なら。ーーオオカミの、足ならば。

「……そうね」

 オオカミだから追われるのに、オオカミだから逃げおおせるなんて。とんだ皮肉だ。

「……でも本当にオオカミだったのかしら」

 ずっと。噂話を耳にしてからずっと、胸にあった疑念。ベッドに腰を落ち着けたことで抑えていたものが溢れだした。
 ゼロは何も言わなかった。外套を几帳面に畳み、少ない荷を整えていた。その背中に向かって名前は考える。近隣でオオカミが出た。幸いにも被害者はいないらしい。人々にとっては当たり前の祈りを拒絶した、だからその旅人はオオカミとして処断されたのだーー

「……そんなはずない」

 思考が止まった。……これでは辻褄が合わない。引っ掛かっていたのはこれだ。そうだ、だって。

「祈りの聖句を唱えられぬ者、それすなわちオオカミなりーーなんてのはデタラメよ。でもそれじゃあその人はーー」

「名前、」

 それ以上言ってはいけない、とゼロは首を振った。その目には哀れみがあった。
 名前は唇を噛んだ。悲しい、そう思うことすらオオカミ狩りにおいては許されない。オオカミには死を。それに情を寄せることすら今の世では悪だった。

「濡れ衣を、着せられたのね……」

 このあたりではひとつの宗教が力を持っている。だが相手は旅人だ。強いる必要などなかったろう。ーーオオカミ狩りの今でなければ。その教えに背くことが罪とされる時代でなければ。
 名前は顔をあげた。窓の向こう、もうじき雪を抱く空に祈りを捧げようとした。けれどその旅人が何を支えとしていたか名前は知らない。だから祈りの文句すら出てこない。ただ安らかに。そう願うことしかできなかった。

「……やっぱり失敗だった」

「え?」

 難しい顔をしているゼロ。でもその理由が名前にはわからない。
 彼は名前の向かいに腰をおろした。ぎぃ、と軋むベッド。深い溜め息。沈んだ瞳。「ここに来るべきじゃなかった」無理をしてでも、話を聞いた時点で先を急ぐべきだった。たとえ夜陰に紛れることになっても。

「そんな」

 名前はオオカミだ。でもゼロは違う。ゼロは、人間だ。オオカミ狩りのためにそんな無理はさせられない。それに。

「平気よ。だって、疑われなかったわ。騒ぎのあとだから気をつけなきゃいけないけれど……でもだからって街を避けたら逆に不審がられるわ」

「……そうじゃない」

 ゼロは続ける。そうじゃないんだ、名前と。

「君にそんな顔をさせたくはなかった」

 その顔にはいろいろなものがない交ぜになっていた。そのひとつひとつを名前が掬い上げることはできない。それくらい、複雑な表情だった。

「この旅は俺が君に付き合わせてるだけのものだ。君ひとりならどこか遠くで落ち着ける場所を見つけることだってできたろうに」

「そんなことない、だって私はあなたに、」

「救われたから、って言うんだろう?」

 ゼロは苦く笑った。「そうだな、その通りだ」俺は君を利用している。そう言っておいて、そう言ったゼロの方が傷ついたみたいな顔をした。
 名前はゼロに救われた。一年近く前、雪の日に。オオカミ狩りから逃れ、けれど行きだおれていた名前を拾ったのがゼロだった。目を覚ました名前にゼロは言った。探している男がいると。その手助けをしてほしいと。
 名前に断る道はなかった。術も、理由も。命の恩人だ。ならば彼が何を望もうと何も語らずとも、それでも付き従うのが役目だとその時名前は思った。そうだ、最初はそれだけだった。名前も、ーーゼロも。

「……もうそれだけじゃないもの」

 名前は手を伸ばそうとして、やめた。まだそこまでの勇気はない。人に、ゼロに触れる勇気は。
 だからただ見つめることしかできない。交わらない視線、それでもただひたすらに彼を見つめた。言葉を重ねた。

「あなたの願いは叶えるわ、絶対に、何があっても。でももしも、もしもそれが済んで、それから、それからあなたがーー」

 そこで名前は躊躇った。そういう気配は察していた。けれど、名前にその手の経験はない。だからもしかしたらこれもただの勘違いかもしれない。ただの、思い上がりなのかも。
 唇を舐めた。視線が重なるのを望んでいたのは名前だったのに、今度ばかりは名前の方から目を反らしてしまった。それだけじゃない。なんだか心拍数が高くなったような気もする。
 それを我慢して口を開いたのに。

「あなたが、望むなら……」

 そこまで言って、言葉は萎んでしまった。続きを言おうと、音にしようとするのに舌は空回るばかりで。上滑りして空気だけが震えた。ーーあぁ、なんてこと。こんなのは、はじめてだ。

「名前、」

 ゼロの声がする。どこか、抑えたような。切羽詰まったような。それでいて躊躇いがちで迷いをたぶんに含んだ。声音。響き。それから、衣擦れ。

「ごめんなさい、夕食のことなんだけどーー」

 ガタン、とドアが開いた。さっと風が吹き抜ける。霧散する空気。ゼロはベッドに座り直した。
 闖入者は宿の女だった。彼女は笑いながら、しかし申し訳なさを声と目に貼りつけていた。

「あら、邪魔しちゃったかしら」

「いえ、」

 答えながら、わざとだろうなと名前は思った。きっと部屋に通されて客の気が緩んだところで不意に訪ねる、元からそのつもりだったのだろう。そうすれば客の素顔を暴けるかもしれない。それは女の興味からくるのか、それともオオカミを警戒してか。そのあたりを判じることはできないが。

「それで、なにか御用ですか」

 ゼロも微笑を浮かべた。柔らかな、しかしその裏に苛立ちがあるのを名前は感じ取った。
 女は気づかなかった。表情を緩めて、「いやね、さっき聞き忘れたでしょう?夕食、うちでとる?それとも外で?」ゼロからの目配せに名前も目で答える。どちらでも。それに頷き、彼は「ではこちらで」と言った。それから、「それまで外に出てますので」とも。
 名前は脱いだばかりの外套をまた身に纏った。そして女の目線を気にしてない素振りで腰ひもを、メダルを結んだ。女はほっと息をついた。安心した、そう顔にありありと書かれている。

「それじゃあいってらっしゃい」

 女は夕食の時間を告げると軽やかな足取りで出ていった。途端、ゼロは顔から表情を削ぎ落とす。今にも舌打ちしそうな、そんな顔。

「面倒だな」

「でも行くって言っちゃったし」

 仕方ない。土産にも観光にも興味はないのだけれど。それらしい風を装って出歩かないと、こんな小さな街ではすぐに噂がたってしまう。名前も年頃の女らしく振る舞わないと。適当に細工物を綺麗だとか可愛いとか言っておけばいいか。
 そんなことを考えていた名前の前に手が差し出される。

「私、転んだりしないわよ」

「知ってる」

「迷子の心配もないけれど」

「……それも知ってる」

「じゃあ、」

 どうして、と聞く前に手をとられた。慌ててゼロを見上げたけれど、その横顔からは不機嫌であることしかわからなかった。それから、繋いだ手がひどく熱を持っていたことしか。






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ハッピーハロウィン!
オオカミ事件はジェヴォーダンのベートから
オオカミ狩りについてはゲームBLACK WOLVES SAGAから着想を得ています。
ゼロの過去とか書けなかった(ふわっとした)設定があるので気が向いたら続き書くかも。