村娘と牧師の独歩
<注意>
牧師独歩さんと村娘のパラレルです。
花袋→主人公要素があります。
村でたったひとつの聖堂。その脇にあるベンチに探し人はいた。
「牧師さま」
駆け寄りたいのを我慢し、淑やかに歩を進める。
「こんにちは」名前が軽く頭を下げると、牧師は片手をひょいと挙げた。「よう」気の抜けた笑み。およそ牧師らしからぬーーとはいっても名前が知っているのは前牧師くらいなものだがーーそれ。しかし名前にとってはそのくらいがちょうどよかった。これが今の牧師の好きなところのひとつだといってもいい。
もうひとつは名前のためにさっと隣を空けてくれる気遣いである。それをさりげなく行えるのがなんとも憎らしい。年頃の娘でときめかないものはいないだろう、なんて。考えながら名前は腰をおろす。
「お昼はもう済まされました?」
挨拶もそこそこに名前はバスケットを示した。「これ、よかったら」中身は作りたてのキドニーパイだ。
牧師は「助かった」と破顔した。
「名前が来てくんなきゃメシ抜きになるとこだったぜ」
「まぁ」
冗談っぽい言い回しだが、しかし彼なら本当にそうするかもしれない。そう思わせるものが彼にはあった。
「いけません、そんな。あなたさまにもしものことがあったらわたくし、」
「でも名前は来たじゃないか」
だから問題ない、と彼は言う。笑う瞳。蠱惑な光。すべてを見透かすような眼差し。名前の頬に熱がのぼる。居たたまれない。居心地が悪い。それが何故だかわからないのだけれどーー。
「それより、」教役者の手が伸びる。手袋越しの温もり。潔癖なまでの白。それが名前の髪を一房持ち上げる。耳を掠める指先に肩が震える。
「牧師さま、じゃあないだろ」
持ち上げ、耳にかけられる。それだけ。時間にしたらほんの数秒、なのに永遠のようで刹那のようだった。
「名前、呼んで」耳朶を擽る甘い響き。これに抗える者がこの世にどれだけいるだろう!少なくとも名前には不可能だった。
「……独歩さん、」
おずおずと口を開く。蚊の鳴くような声。けれど牧師は満足したらしい。
「よくできました」
教師のような台詞とは裏腹の甘やかな声音。頭を撫でられ、それだけなのに家族には感じない何かが胸に灯る。暖かで穏やかで、それでいて激流のような何かが。
「さ、どうせならその手で食べさせてくれよ」
「……もう」
はしたないと口を尖らすが、独歩が聞いてくれることはない。子どものように口を開けて待っている。雛鳥には到底似つかぬというのにそれはそれで画になるのだから不思議だ。
仕方がない。そんな口調で受け入れた名前であったが、はにかみは隠しきれない。
「今回限りですよ」
いそいそとバスケットを開ける名前を独歩はそっと見つめた。その目は夢見るごとき色合いをしていたのだが、名前が顔を上げた時にはすっかり掻き消されていた。
「ん、うまい」
「よかった、お口に合って」
「それは余計な心配だったな。今までアンタのメシが外れたことがあったか?」
これまで数えきれないほど彼に手料理を振る舞ってきたが、確かに彼は1度たりとも不平を言ったことはない。だがしかしそれとこれとは別というもの。
「人は失敗する生き物ですから」それになにより彼には自分の一番を振る舞わねば気が済まない。少しのことでも気になってしまう。最近ではそれももう日常になっているから名前も諦めがついてきた。
彼の言葉が嘘ではないのはペロリときれいに食べ終えてもらえたことからもわかった。これで名前の用はひとつ済んでしまった。しかしもうひとつを切り出すのは口が重いし気が引ける。かといって立ち去りがたいのも事実で、名前は独歩の脇に置かれた本に目を止めた。
「独歩さんは今日も読書ですか?」
「まぁな、ここじゃ他にすることもないし」
「鄙びた土地ですから」
よくいえば歴史あるーー正しくいうなら時間に取り残された、そんな土地。それがこの村、名前が生まれ育ち、1年ほど前には独歩が赴任してきた場所だ。娯楽施設はおろか日々の暮らしに代わり映えなどひとつもない。あるのは古くから続く慣習だけだ。
「……なにかあったな」
ハッ、と名前は瞠目した。自身でも気づかぬうちに沈んでいた意識。看破され、苦笑するしかない。
「独歩さんに隠し事はできませんね」本来ならば秘めておくべきーーあるいは詳らかにすべきーー事柄。これを教役者たる彼に打ち明けるのは後ろめたく、まず何より申し訳なく思うのだが、
「言ったろ?なんでも話してくれって」
鷹揚な微笑はとても名前とさして歳が離れているとは思えない。それほどに落ち着いており、尊敬に値するほど悠然としていた。だからつい、名前は頼ってしまう。この年若い教役者に。指導者に。ーー神の赦しを、求めてしまう。
「"あの件"か?」
察しのいい彼に、名前はこくりと頷く。それでもまだ躊躇いは抜けきらない。これ以上この人を巻き込んでもいいのだろうか。
「……大丈夫だ」
名前の迷いまで見抜いてか、握りしめた拳に手が添えられる。「大丈夫」繰返し囁き、柔くほどかれる指。大丈夫。打ち寄せる波のような声に、強ばりが解けていく。
「……わたくしは、どうすればよいのでしょう」
答えはない。名前も欲してはいなかった。ただ本当にどうしたらよいのか、どうするのが最善か、行き場のない思いを吐き出した。
村には春の和やかな風が吹いていた。草と花と土の生き生きとした匂い。なのに名前からは夜の気配が消えなかった。夜の水底のような冷たさが。膚にまとわりついて、消えなかった。
「……告発する気はないんだな」
「……はい」
独歩は「そうか」と言うだけだった。それだけなのが名前にはひどくありがたかった。咎めないのも諭さないのも。教役者としてはよくないにも関わらずーー彼は名前の気持ちを尊重してくれる。名前の臆病さを詰らないでいてくれる。
「吸血鬼、なんてなぁ」
厄介なヤツに目をつけられたな。かわいそうに、と肩を抱かれ、引き寄せられる。あっと思う間もない。頤を反らされ、目元を撫でられた。
「顔色が悪い」眠れなかったか、と確信を持って訊ねられる。朝鏡を見たときには気がつかなかった。これまでだって。家族も幼馴染みも誰一人として気づかなかったというのに。この人だけは今日も、これまでも些細なことすら見逃さない。名前を案じ、労ってくれる。だから名前は話してしまう。自分一人に秘めておこうとした出来事を。
「……昨晩もあの方はわたくしの元を訪れました」
最初は夢だと思った。
それは独歩が赴任して少しした頃だったか。ある夜、名前はふと目が覚めた。それだけでは飽きたらず、なぜか夜風に当たろうとバルコニーに出てしまった。それはある種の予感だったのかもしれない。もしくは吸血鬼の誘いだったのかも。
とにかくその夜、名前は吸血鬼と出会ってしまった。
「なのに1度も血を吸ってこない、と」
「そうなんです。相変わらず聞いても要領を得ないことばかりで」
吸血鬼は伝承通り美しい顔立ちをしていた。何より月明かりを反射する金糸が一番きれいだと名前は思ってしまった。そのなめらかな色に目を奪われている間に、吸血鬼は名前の前に降り立っていた。
一目惚れだ、と吸血鬼は言った。それが嘘だと判じることが名前にはできなかった。だってその目はあまりに熱っぽくて、吸い込まれるほどきらきら輝いていたのだから。
おまけに吸血鬼は人懐っこい性格をしていた。子犬のようなーーというのはさすがに失礼だろうが。思わず比較してしまうほど不実や空言とは縁遠く見えた。それこそが悪魔である証だーーと人は言うだろう。名前もそれを否定できない。否定できないけれど、でも彼を告発することもできないでいた。
「……こんなこと知ったらこの村は混乱するでしょうね」
「……そうだな」
村には古い慣習が生きている。そして村人の多くは敬虔な教徒であった。そんな土地で悪魔騒ぎなどーー想像するだけで身震いがする。
名前が思い浮かべるのはかつてここと似たような土地で起きた悲劇だ。村中を巻き込んだ偽りの魔女裁判。魔女の存在は否定されず、なのに魔女ではない者が処刑された惨劇。それは決して他人事ではなかった。悪魔と関わった名前は魔女とされるかもしれない。そしてその血縁も、また。そうして生まれた疑念は拭われることなく巡り、やがて丘には多くの罪なき者の体が吊るされることになる。
ーーそれだけは許されない。
「……まぁ、名前が悪いヤツじゃないって言うんならいいさ。でも何かあったんならその時は迷わず俺を呼べよ。すぐに助けてやるから」
「はい、大丈夫です。ちゃんとロザリオも肌身離さず持っていますから……独歩さんが来るまで耐えてみせます」
「よしよし」
その意気だ。そう言って、ぐしゃぐしゃにかき回される名前の頭。でも悪い気はしない。むしろ、心地がいい。緊張していた体から自然と力が抜けていく。
「眠っていいぞ」
肩に預けたままの頭が今度は優しく撫でられる。梳る手は愛撫されているような繊細さで、名前の瞼は次第に重くなっていった。
「いいんですか?」
「そりゃもちろん。むしろ役得ってな」
「そう、ですか……」
疑問に思ったのは確かだが、深く考えることはしなかった。どうせ教えちゃくれないだろうし……それに今はこの安寧に身を委ねることだけ考えたい。絶対的な安心感。自宅では得ることのない感覚に、名前の意識は沈んでいく。
だから気づかなかった。独歩が苦い顔をしていたことにも。
「まったく、花袋のヤツは……」
件の吸血鬼と清廉なる教役者は知己の仲だということにも。
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元ネタ?はセイラム魔女裁判です。ほとんどその要素はなくなってますけど。
召装ガチャに興奮した結果です。
牧師の独歩さん、吸血鬼の花袋さん、幼馴染みの藤村くんです。設定だけは逆ハーでした。