司書と不思議なお茶会

2017年10月イベント『調査任務ー不思議なお茶会』回想のネタバレをたぶんに含みます。







 ーー In another moment down went Alice after it, never once considering how in the world she was to get out again.

 名前は目をぱちぱちさせました。なんだか長い夢を見ていたような気分です。でもそれがどんなだったかさっぱり思い出せません。
 名前の前には大きな大きなテーブルがありました。どれくらい大きいかって、向かいにあるティーカップがパンくずみたいです。名前は思いました。
 「これも夢なのかしら。でもそれならずいぶんとヘンテコな夢ね、だってこんなに大きなテーブルがあってティーカップも山ほど並んでるのにわたくし以外には3人しかいないんだもの」、と。

「どうかしたか?」

 そのうちの一人が口を開きました。赤い頭巾に黒い髪。頭巾からはふさふさの耳が生えています。でも髪よりずっと濃い黒色をしていたのでそれはただの飾りのようでした。それじゃあ耳が4つあることになるのだけれどーー赤頭巾はちっとも気にしていないようです。
 チグハグな人は静かな目で、けれど確かに名前を案じていました。悪い人じゃあなさそうね。名前はほっとして口を開こうとしました。でも何を言えばいいのかわかりません。どうしたのかって?名前がどうかしているのは事実です。
 思い出せないのは夢だけではありませんでした。名前には自分の名前以外がなかったのです。今まで何をしていたのか、どこから来たのか、どうしてここにいるのか。全部全部穴の中に落っことしてきてしまいました。今の名前はただの女の子なのです。
 名前は慎重に切り出すことにしました。

「ここはどこなんでしょうか?」

 まずは一番気になることから聞きました。大きな木の下にある大きなテーブル。大きなおうちは耳の煙突に毛皮の屋根でできています。こんなのは初めて見ました。
 赤頭巾は言いました。「ここは三月ウサギの家だ」はて、しかしウサギの姿などどこにもありません。家主はどこへ行ったのでしょう。
 「そんなのどうだっていいだろ」イカレ帽子屋は言いました。

「それよりほら、紅茶が冷めちまう」

 飲めと言われれば仕方ありません。名前はティーカップを傾けました。はぐらかされたようです。でもそれも仕方ありません。帽子屋は気狂いだと相場が決まっているのですから。

「さて何をしましょうか?ババ抜き謎解き、なんでもいいですよ」

 女王様は笑います。今日は機嫌がいいようで、名前は胸を撫で下ろしました。名前だって首を切られるのはごめんです。でもクロケー場に行かなくていいのかしらとは思いました。

「謎解きってどんなのですの」

 イカレ帽子屋は人差し指を立てました。

「"カラスが書き物机が似てるのはどうして?"、だ」

 「カラスと机は全然違うだろう」現実主義者の赤頭巾は言いました。「カラスは生きてるし机は生きてない」ひょいと肩を竦め、それからタルトを切り分け始めました。素晴らしいナイフ捌きです。
 彼は半分を名前の前の真っ白なお皿に乗せようとしました。

「そんなには食べられないわ」

 名前が言うと、赤頭巾はそれをさらに半分にしました。つまり名前の取り分は4分の1。残りは赤頭巾のお腹に入ってしまいました。「お腹空いてたんだ」赤頭巾は口早に言います。
 意外でした。「なんにも恥ずかしいことありませんわ」名前は赤頭巾がすっかり気に入りました。この世界には気狂いしかいないって話は頭から抜け落ちています。
 「そうかな」赤頭巾の方も名前に気を許しているようです。頬が緩みました。

「答えのない問いですねぇ」

 女王様は唸ります。「しかしそれ故におもしろい」机は木でできているし、木にはカラスが止まる。でもそれじゃあ美しくない。女王様は自分が出した答えに納得がいかない様子。

「時間ならたっぷりあるぜ」

 帽子屋は皮肉っぽく笑います。
 「なにしろ俺の時計はずうっと6時のまんまだからな」帽子屋に睨まれた女王様、しかし彼はどこ吹く風。名前はバラバラにされた時間に同情します。あぁなんてかわいそうだこと!

「アンタの答えは?」

 ついに名前の番が回ってきました。さて、どうしましょう?
 「カラスにも机にも足はあるし、どちらもflatだし、どちらもひっくり返せないわ」ーーでもそのいずれの答えも今口にするのは正しくないと名前は思いました。
 「じゃあ正しいってなんなのかしら?」どこかで聞いたことがあるような、あるいは読んだことがあるような。ピンときたのは最初に浮かんだ言葉でした。

「わかりません、ねぇ、答えはなんですの?」

 帽子屋はニヤリと笑いました。

「さっぱり」

「まぁ」

 名前は声を上げてしまいました。
 「なんだそれは」赤頭巾は呆れています。「それじゃ謎解きにならないだろう」
 でも名前は内心納得がいっていました。きっとこうなる予感はあったのです。やはり名前の言葉は正解だったのでしょう。「まるで物語ね」筋書きが決まっているものを眺めているようだ、と名前は思いました。その時何かが引っ掛かったのですが、「食べないのか」と赤頭巾に言われ露となってしまいました。
 赤頭巾が切り分けてくれたタルトにはイチゴとブルーベリーが乗っていました。赤と紫が光に反射してきらきらしています。食べて食べてと言っているみたいに。
 謎解きに夢中でほったらかしだったフォークをようやく動かします。

「……おいしいわ」

「だろう?」

 赤頭巾は嬉しそうです。「他にもあるよ」彼のお皿は空っぽになったはずなのに、いつの間にか新しいお菓子でいっぱいになっていました。「クッキーはどう?カップケーキは?」赤頭巾は次から次に勧めてきます。その目はたいへん無邪気なもので、先ほどの名前の言葉はどうも忘れているようでした。
 「ありがとう」厚意を断るのは名前にはできません。お行儀が悪いのは承知で、タルトもそこそこにクッキーを頬ばります。
 不満顔なのは帽子屋でした。

「なんでお前が得意気なんだよ」

「まぁまぁ、よいではないですか」

 女王様はとりなすように言いました。

「あなたが作ったわけでもないのですから」

 でもそこは女王様。火に油を注ぐことしかしません。

「ハァ?これは俺のお茶会だろうが」

 帽子屋はすっかりお怒りです。ただでさえ気が短いのです。気狂いの上に短気なのですからそりゃもう取り扱い注意といったところでしょう。
 名前は慌てました。「ありがとうございます、帽子屋さん」すると彼はフンと鼻を鳴らしました。でも少しは溜飲を下げたようです。眉間の皺は減っていましたから。

「まぁいいけどよ」

 そう言って紅茶を飲み干します。でも不思議なことにカップの中身はちっとも減っていません。おかしな世界のお茶会はやっぱりおかしなものでした。
 「さてさて、」女王様が手を叩きます。

「ワタクシとしてはお嬢さんがお話をしてくれるのに一票を投じたいところなのですが」

 これには名前もびっくりです。まさか女王様が言い出すとは思いませんでした。でもその内容自体には既視感がありました。誰かが言い出すのを待っていたような気さえします。
 「ええ、でも……」名前は唇を湿らせました。

「ごめんなさい、わたくし、なんにも知りませんの」

「なんにも?」

 そりゃおかしな話だ、と帽子屋は笑います。バカにしたような笑いです。赤頭巾は沈黙を守っていました。いえ、単に口の中がお菓子で埋まっているだけかもしれません。
 「それは面白い!」女王様はといえば目を輝かせていました。

「なんにも知らないってことはないだろ」

 こう言ったのは帽子屋です。

「だってお前はアリスじゃないか」

「アリスですって?」

 名前はすっとんきょうな声を上げました。びっくりしすぎて紅茶が波立つほどです。名前は名前であってアリスなんて名前ではないのですから。名前がアリスになるのは逆立ちしたってできっこありません。机やカラスとおんなじで。

「わたくし、アリスなんかじゃあないわ。だって名前ですもの」

 しかし帽子屋は首を捻ります。

「そりゃあお前、アリスの名前ってことだろ」

 首を捻りたいのは名前の方です。アリスが名前なわけないし名前がアリスなわけもありません。名前にはわかっているのです。
 なのに帽子屋があまりに当然といった顔をしているものだから言葉に詰まってしまいました。困り果てて、帽子屋の向こうにいる女王様に目を移します。
 女王様はにっこり笑って言いました。

「ええ、そうです。あなたはアリスの名前、そう決まっているんですよ」

 名前はすっかり弱ってしまいます。2対1。これじゃ絶対勝てっこありません。
 それでも一縷の望みをかけてすぐ隣に座る赤頭巾を見やりました。
 赤頭巾はちょっと首を傾けたあと、

「アンタがアリスでなにか問題があるのか?」

 と逆に訊ねてきました。その目は本当に不思議がったものでした。名前がアリスでアリスが名前なことになんの疑いも持っていません。
 名前はほとほと参ってしまいました。3対1。多数決の原理により弱者は淘汰されます。それがルールなのです。

「わたくしはアリスなのですね……」

 口に出してみればなんてことありません。さっきまではあんなに絶対だと信じていたものがあっさり崩れ去ります。名前はアリス、アリスは名前。名前が忘れていただけで最初からそうだったような気がしてきました。
 「どちらでもいいわ」名前は思います。どちらにせよこの世界じゃみぃんな気狂いなのですから。

「じゃあわたくしは帰らないといけませんのね」

「まぁまぁ、そう焦らずとも」

「そうだぜ、どうせ赤の時間になりゃ帰れるんだからよ」

 女王様と帽子屋が口々に言います。赤の時間?その疑問に答えてくれたのは赤頭巾でした。
 「日暮れのことだよ」耳打ちがくすぐったくて名前は首を竦めました。「赤の時間、そんな名前をつけたのはきっと女王様ね。女王様は赤が大好きだから」そんな赤の女王様はお話をご所望です。でも名前には話せることなんてありません。それはアリスも同じです。

「ねぇ、なにかお話してくださらない?」

 赤頭巾にお願いしたのは彼が一番マトモそうだったからです。帽子屋は気狂いだし女王様は首切りですから。
 赤頭巾は目を瞬かせました。

「俺にも話せることあんまりないんだ」

 名前は少し考えて言いました。

「わたくし、オオカミ退治のお話が聞きたいわ」

 その話はもう何度も聞いたような気がするのだけれど、それ以外思いつきません。それにこの赤頭巾から聞くのなら飽きないようにも思えたのです。
 これに食いついたのは女王様です。

「それはいいですねぇ」

 心が踊ります、と女王様。赤が大好きな女王様は赤い血もまた大好物でした。
 帽子屋は欠伸をします。「なんでもいいけどよ」俺はその話聞きあきたな、なんて言ってバターパンを半分にちぎって口に放り込みます。そうかと思えば「お前も食えよ」などとも言って、名前にもう半分を寄越してきました。
 「ありがとうございます」名前はまたお礼を言って、バターパンにも手をつけます。こんなに食べているのにテーブルのお菓子はやっぱり減りません。名前のお腹がいっぱいになることもありません。
 その間にも赤頭巾の冒険譚は進みます。今はちょうどお祖母さんを食べたオオカミを赤頭巾が毛皮にしているところです。飛び散る血飛沫に女王様は釘付けでした。

「ババ抜きでもしようぜ」

 気まぐれ帽子屋はどこからともなくトランプを出しました。「ふたりで?」それじゃちっとも楽しくないわ。名前が思ったのを見て、帽子屋は途中から女王様と赤頭巾にもトランプを配ります。

「じゃあその耳はオオカミのなのね」

「いや、耳だけじゃない。この毛皮自体オオカミのなんだ」

「この赤はオオカミの血で染め上げられているのですよ」

 女王様はなぜか得意気です。
 「悪趣味だよなぁ」帽子屋は顰めっ面でぼそりと言いました。でも幸いなことに聞こえていたのは名前だけでした。ちょうど女王様は赤頭巾と帽子屋の頭越しに話していたところでしたから。だから名前も隠れて頷いておきました。女王様が悪趣味なのは今に始まったことではありません。これには気狂い帽子屋に賛成です。
 ババ抜きは5回行われ、そのうち2回名前は負けてしまいました。無敗だったのは赤頭巾です。名前とおなじだけ負けた帽子屋が不機嫌になったところでババ抜きは終わりました。代わりに女王様がトランプ占いを始めていくぶんか経ったあと、空が赤く染まりました。

「赤の時間だ」

 赤頭巾は席を立ちます。帽子屋と女王様は座ったまま、お茶会は終わりません。
 名前はどうしようかと双方に目をやりました。
 「どうぞお好きなように」女王様は微笑みます。
 「お茶会はいつでもやってるからな」帽子屋は紅茶を揺らします。

「俺はアンタをおばあちゃんに紹介したいな」

 赤頭巾は名前を見下ろします。たくさんのクッキーをバスケットに入れて、赤頭巾は家に帰るのです。ですが名前には帰り道がわかりません。
 ーーさて、どうしましょう?
 考え込んだ名前の頬を風が撫でていきます。それは人の手のようで、どこか懐かしさを感じました。懐かしいといえば木の葉の囀りも聞き覚えのある囁きのようです。

「どうした?」

 赤頭巾が差し出した手を見つめ、名前はーー

 →手を取る
 →目を閉じる





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冒頭は『不思議の国のアリス』第一章より。
分岐エンド(司書と文豪エンドorアリスと赤頭巾エンド)です。近日中に公開予定。
ネタが思いつけばアリスと女王様、アリスと帽子屋エンドも書きます。