ポロネーズ

 駅を出てすぐにその霊園はあった。周囲を背の高い木々に覆われ、都会の喧騒とは完全に隔離されている。寂然とした空間。眠るには最適だ。こういったところに永住できたらどんなにか幸せだろう。
 名前は透と共に広い参道を歩いていく。粛々とした雰囲気。気おくれから、名前はそっと歩みを遅らす。墓石を見るのも気が咎められ、自然と落ちていく視線。することもないので石畳の石を数えることにした。1個、2個、3個。「わっ」10個を数える前に、手首を掴まれた。

「どこに行くつもり?」

 サングラス越しにじとりと見下ろされると言葉に詰まる。名前の内心を見透かす目。半歩の距離が、透に拘引されたことでゼロになる。「……どこにも行かないから」名前は諦めて肩の力を抜いた。

「でもいいの、本当に」

 本日何度目かになる質問。問うたび、名前は目を彷徨わせる。やっぱり、自分のような人間がこういうところに来るのは冒涜に等しいんじゃないか。墓石と目を合わせないようにしながら、名前は恐る恐るといった様子で訊ねた。
 そんな不安を、透は鼻で笑い飛ばす。彼は背筋をぴいんと伸ばし、やましいことなんてありませんよって顔で名前の手を引く。肩で風を切る様は王者のよう。

「僕のこと、知りたいって言ったのは名前だろう」

「それはそう、だけど」

 1ヶ月前、確かに名前はそう言った。透に近づきたい、その一心で。けれど無理に聞き出したことを後悔したのも確かだ。今だって後悔してる。「……ごめんなさい」柔いところを抉るような真似、すべきじゃなかった。自己中心的。自分のことばかりで透を慮れてなかった。なのに彼を護りたいだなんて、なんて滑稽。
 「バカだな、名前は」幾度目かの謝罪も、やっぱり透は受け入れなかった。

「本当に隠したいならいくらでも隠せる。だから今回話したのは僕の意思だって何度も言ってるじゃないか」

 透は空いている方の手で名前の額を小突いた。最近の透は遠慮がなくなったような気がする。態度も、物言いも。
 「……ありがとう」それから、ごめんなさい。透が赦そうと罪悪感という焔が消えることはない。その焔が名前を人たらしめるのだから、なおさら。
 透はそれには何も答えなかった。その代わり、名前の手にかかる力が強まった。すべてわかっている。そう言ってくれているようで、ひどく安らかな心地になる。
 園内の空気がそれに拍車をかけた。さわさわと鳴く木立。ゆるりと流れる雲。川のせせらぎと鳥の羽ばたきすら聞こえてくるようだ。日差しは暖かかったが、しかし風の冷たさには敵わない。名前はマフラーを口元まで引き上げた。透はなんの因果か、はたまた計画的にか。ひと月前と同じ服装をしていた。濃紺のジャケット、ピンクのスヌード、グレーのパンツ。違うのは、サングラスをかけニット帽を被っているという点。その二点のせいで、墓石の名を確認しながら歩く彼がひどく異質な存在に映る。端的に言えば怪しいということだ。
 一列、二列、三列……。その内の一か所で透は足を止める。「あった」さほど広くはない霊園だったから、目当ての墓石はすぐに見つかった。伊達家之墓。刻まれた文字を、名前は指でなぞった。伊達さん。透の友達。透の大切な人。……もうこの世にはいない人。

「お花とかお線香とか、供えられたらよかったのに」

「仕方ないさ。痕跡はできる限り消さないと」

 透は極めて冷静だった。そうあるように取り繕っているのかもしれないが、手を合わせる彼はひと月前の様子が嘘のように落ち着いていた。
 名前も隣で手を合わせる。視界を閉ざすと、心は自然と故人に向かっていった。伊達さん。心の中で呼びかけても、その姿は形にならない。名前は彼のことを知らないのだから当然だ。だからなんと声をかけようか迷ってしまう。こんにちは、はじめまして?これもなんだかおかしな感じがする。私は透の……なんだろう。仲間というのも友達というのも違う。これでは自己紹介すらままならない。困った。
 なので名前は思いのまま吐き出すことにした。伊達さん、私はあなたが羨ましい。でもあなたと透が共にいるところを見てみたかったとも思うの。透がこれほど思ってくれるのだから、きっとあなたはとても素敵な人なんでしょう。私ともお話してくれたかしら――?

「どんなことを話したんだ?」

 目を開けると、柔らかな目が名前を見下ろしていた。

「”あなたの分も私が透を護る”、そう伝えておいたの」

「勇ましいな……。だいたい、僕が伊達に護られたことなんてないけど」

「そうなの?」

「僕が誰かに護られるような男に見える?それに僕の方が伊達より成績よかったし」

 言いながら、透はポケットから爪楊枝を取り出した。「伊達はいつもこれを咥えてたんだ」爪楊枝は、墓前にそっと置かれた。

「これぐらいはいいだろう?」

「……うん」

 今度は、名前が透の手を握った。指先まで冷え切った手。それを決して離さぬように包み込む。
 二人は黙したまま、しばらくそこに佇んでいた。