武官、邂逅を果たす


 魔家四将のひとつになった姿ーー4つ首の幻獣が消え失せたのを認めて、名前は走り出した。名前だけじゃない、南宮括や兵たちも。
 いったいぜんたいどうなったというのか。仙道の戦いを目にした者たちの動揺は強い。だからこそその結末を目にしたいと誰もが願ったのだ。

「何じゃこりゃあ!!!」

 南宮括の叫びが平野に響き渡る。一部分だけ不自然に腐った地面。どよめきが兵たちの間に広がった。それが妖怪仙人の仕業であることは明らかだった。

「ムカつくぜ妖怪仙人どもはよーっ!!!」

 高揚する士気。それを諌める太公望の声。それらも気にかかるが、しかし名前の意識は別のところに吸い寄せられていた。
 宝貝ロボット黄巾力士。その手から降り立つ姫発と彼と親しげに会話をする少年ーー彼はいったい何者なのだろう。翼を持った人間など名前の記憶にはないのだが……。

「おっ、名前!」

 名前が考え込んでいることなど露知らず、姫発は声を上げた。手を挙げ名前を呼び寄せる姿からはなんの警戒心も感じられない。ということはやはり隣にいる少年とは気心知れた仲なのだ。
 名前が騒動の中で姫発と再会し、救助活動のために別れたあと何があったのか。
 姫発に駆け寄った名前が訊ねるより早く、彼は少年を指した。驚くなよ、と前置きして。

「こいつ、雷震子なんだぜ。すっかり厳つくなっちまってるけどよ」

「え、」

 名前は言葉を失った。雷震子。西伯侯姫昌の百番目の子。幼い頃才能を見込まれ仙人界へ旅立った少年。それが目の前にいる彼だと姫発は言うのだ。

「ほんとうに……?」

「……おう」

 少年の声は記憶よりも低くなっていた。それに体つきも全然違う。曝された胸板にはしっかりとした筋肉がついている。
 けれど名前から反らされた目はかつての記憶を呼び起こした。幼い頃、侍女に叱られた時の少年の姿と重なった。

「ご立派になられて……!」

 名前の視界が滲む。言葉は宙に溶け、熱いものが胸に込み上げた。

「え、ちょっ、」

「おいおい、何も泣くこたあないだろ」

 驚きから狼狽する雷震子と呆れ顔の姫発。兄弟なのに対照的な二人だ。
 名前は「泣いてなどおりません」と反論しながら鼻を啜った。

「わ、わたしのことは覚えておいでですか?昔、剣術の稽古でご一緒させていただいた……」

「おう、さっき聞いてビックリしたぜ。名前姉もずいぶんでっかくなったな!」

「雷震子さまほどではございませんよ……」

 改めて名前は雷震子の体をためつすがめつ眺めた。それこそ頭のてっぺんから爪の先まで、じっくりと。
 やはり目を引くのは背中についた大きな翼だ。黒々としたそれは重量感があるが、雷震子は事も無げに背負っている。それもまた名前の涙腺を緩ませた。

「だからなんで名前がそんな感動してんだよ」

「だって、本当に嬉しいんですもの」

 名前はほうと息をついた。
 頭に浮かぶのは姫昌のこと。できるなら再会させてやりたかった。
 けれど、と名前は思い直す。姫昌ならば今も自分たちを見守っていてくれているだろう、と。伯邑考と共に雷震子の勇姿を見つめる姫昌を思って、名前は笑みを深めた。

「きっと姫昌さまも喜んでおられますよ。大きくなられた雷震子さまが再びこの地を踏んだだけでなく、その手で守ってくださっただなんて」

「そうかな……」

「ええ、きっと」

 名前が手を握ると、雷震子は照れたように頬を染めた。父への愛情の深さも変わりないようだ。
 微笑ましく思っていると、姫発と視線が合った。彼もまた口角を上げ、喜びを顔に表していた。


 雷震子とナタクは怪我をしているから一度仙人界へ戻ると言う。どうせなら雷震子の帰還祝いをしたかった。そう考えてから、名前は気づいた。
 彼らが帰るということはーー
 慌ててあたりを見回す。先程までは姿を見かけなかったが、皆集まってきている今ならきっと彼もーーその想像は正しく、名前の目はいとも容易く探し人をとらえた。

「ごめんなさい、失礼します!」

「お、おい!」

 姫発の呼び止める声を振り切って名前は駆けた。
 名前と彼の間にそれほど距離はない。なのになぜだかひどく遠く感じた。足が絡まりそうになるし、息が弾んだ。早く早く、と胸が急いた。

「天化どの!」

 死闘を繰り広げた彼は黄飛虎に支えられていた。
 「名前、」なぜか気まずげに笑った天化は心配する父に首を振って上体を起こした。自分はもう大丈夫だ、と。
 黄飛虎は「そうか」と頷いて驚くほどあっさり息子から離れた。「天化のことは頼む」去り際、名前の耳許で囁いて。
 天化はひとりで立とうとした。けれど手負いの体はすぐに悲鳴を上げ、足が縺れる。
 その体を抱き止め、鼻につく血の臭いに名前は顔を歪めた。

「こんなに傷を……」

「大したことねぇさ」

「天化どの……」

 強がりだ、と名前でなくともわかったろう。その証拠に笑う天化の口許はひきつっている。それでも彼は弱音を吐かない。名前の肩を借りることすら不本意と無理矢理にでもひとりで立とうとする。
 その肩を抱き寄せ、名前は傷だらけの顔を覗き込んだ。

「ありがとうございます、わたしたちを守ってくださって」

「いや、俺っちだけじゃねぇさ。それに最後は楊ゼンさんに持っていかれちまったし」

 そこで天化の顔がさらに渋くなった。苦虫を噛み潰したような顔。眉間に刻まれた皺の深さが彼の苦しみを物語っていた。

「カッコ悪いとこも見せちまったし」

「そんなことありません!」

 血を吐くようなそれに、名前は語気を荒げた。自分でも驚くほどの憤りが喉元までせり上がった。

「わたしの気持ちを嘘にしないでください。あの時、あなたの戦いに心奪われたわたしを」

 名前は見上げた。あの時と同じように。天化がひとり戦っていた時と同じように。
 名前は何もできなかった。道士の戦い。宝貝の力。名前はあまりに無力だった。
 だから天化たちが羨ましかった。同時に、天化の戦いに目を奪われた。
 綺麗だと思った。純粋に。そんな時ではないと頭では理解していても、目が離せなかった。閃く刃。風のような身のこなし。そのすべてを否定してほしくなかった。天化の言葉は名前を否定しているも同義だった。

「……じゃあ、」

 天化の掠れた声が名前の耳に落ちる。揺れる瞳が名前を射抜く。

「もっかい、抱き締めて」

 嘘じゃないって言うなら。

「……そんなの、当たり前です」

 名前は背に手を這わした。流れる血を厭うことなく抱き締めた。
 天化は応えなかった。ただ名前の首筋に頬を寄せる気配だけがあった。
 天化の表情は見えない。天化からも、名前の顔は。
 それでよかったと名前は思う。そうでなければまた泣き顔を見せることになっていたのだから。