武官、誤解をうける
完成したばかりの要塞に太公望率いる兵を迎え入れた直後だ。要塞が巨大な揺れに見舞われたのは。
「どうした太公望どの!!」
「敵襲か!?」
黄飛虎、武吉、南宮括……そして名前も太公望の元へ駆けつけた。
「おお!良い所に来たおぬしたち!!」
表情を明るくした太公望はかくかくしかじかと事態の説明をした。
殷のスパイ、�ケ蝉玉。彼女を迎えにその父親と妖精がやって来たこと。そして彼らが太公望らに攻撃をしかけてきたこと。このままでは出来立てほやほやの要塞が壊されてしまうこと。
「あやつらを倒さねばならんのだ!」
しかし楊ゼンのやつに断られてのう、と太公望はじとりと睨んだ。けれどその視線を浴びても楊ゼンは澄ました態度を崩さない。そんなものより自分の顔の方が大切だと言うのだ。
そしてそれは楊ゼンだけではなかった。
「俺に女の子や動物と戦えって言うのかよ!!」
「スパイさんは悪い人じゃないっス!!」
「あんな怪獣に普通の人間がたちうち出来るか!おまえがやれ!!」
黄飛虎、四不象、南宮括、だけでなく兵たちまで戦うことを拒否した。周の兵はとっくに蝉玉に骨抜きにされていたのだ。
なんてことだろう。肩を落とした太公望だが、その目がふと名前とぶつかった。きらりと輝く瞳。その目を見つめ返し、「ならば」と名前は名乗りをあげた。
「微力ながらわたしがお力添えを、」
「ダメです」
言葉を遮ったのは楊ゼンだった。彼は真面目な顔で名前を制すると、太公望に訴える。
「名前さんは女性ですよ?なのにあんな濃ゆい顔をさせるのですか?」
「う……っ」
「いえ、わたしは気にしませんから」
スパイの宝貝、五光石。それに当たると例外なく皆濃ゆい顔にされてしまうらしい。
だが言ってしまえばそれだけだ。一生をその顔で過ごすわけでもなし、気にするほどの障害ではないように思えた。
なのに楊ゼンは真剣に止めるし、太公望も言葉に詰まった。おまけに南宮括は「そんなのは絶対に認められん!!」と名前を抱き締めた。これでは太公望に協力もできない。
「うーむ……困ったのう……」
弱りきった太公望を救ったのは空から降ってきた土行孫であった。
「パパ!あたしこの人のことが気に入ったからお付き合いをするわ!!」
土行孫に惚れ込んだ�ケ蝉玉が周に寝返ったのだ。そして彼女の父�ケ九公も、娘がこうなっては殷に仕え続けることを考え直さなければならなくなる。
始めは殷を裏切ることなどないと言ってはいたが、太公望の「おぬしは紂王ただ一人のために戦っておるのか?」「わしらは妲己を倒し人の暮らしやすい国を造るという目的を持っておる。おぬしはどうだ?」と言葉を重ねられると黙ってしまった。
「少し……考えさせてくれ……」
苦悩を滲ませた�ケ九公であったが、数日後には周に帰順することを決めた。
「いやしかしまさかこうなるとはのう……」
策士太公望にも予想外がある。まさか蝉玉のよくわからない趣味に助けられるとは。
しかし思い返せば蝉玉は四不象を気に入っていた。土行孫と四不象。輪郭だけならばまぁ似ていなくもない。
「あたしってほら、こういうラインに弱いのよねぇ」
土行孫を抱き締めながら、蝉玉は指で宙を描いた。どうやら彼女は緩やかな輪郭の持ち主に弱いらしい。
「確かにスープーどのの輪郭は格別愛らしいですからね」
わからなくもない。
この時名前が肯定したのは蝉玉の発言についてだった。緩やかな輪郭にはなんとなく庇護欲に似たものを掻き立てられる。それが結婚に結びつくかつかないかが名前と蝉玉の差だろうか。
そんなことを考えていたから、「なに!?」と太公望に食いつかれてびくりとした。
「まさかおぬしまで土行孫を……」
「なんですって!?ハニーは渡さないわよ!!」
食いついたのは太公望だけではない。
彼の言葉を受け、蝉玉までもが参戦してきた。
太公望の疑いの眼差し。蝉玉の闘志に燃える目。二対のそれに睨まれる名前。しかも蝉玉の腕の中の土行孫には期待に満ちた視線を向けられ、名前の背には冷たいものが走った。
「いえわたしが言っているのは輪郭の話であって……」
こんなことで蝉玉を失うわけにはいかない。せっかく周に協力してくれる者が増えたのだ。その理由が色恋であろうとなんだろうと、彼女に害意を向けられるのは非常に困る。
名前は慌てて蝉玉の左手をとった。ちなみに右手は土行孫を締め上げたままである。
「蝉玉どのから御夫君を奪う気など毛頭ございませんから」
「本当かしら……」
「本当ですよ。だって、」
そこで名前はちらりと視線を走らせた。目が合ったのは楊ゼンーー彼ならば適任だろう。……引き合いに出すのは申し訳ないが。
名前はまた蝉玉の目を見つめ返した。彼女の真っ直ぐな目には仙道特有のそれがなく、ただの少女のような汚れのなさを持っていた。
民衆が骨抜きにされるのもわかる気がする。たった数日、さしたる交流もなかったが、名前から見て蝉玉は好感の持てる女性だった。
「わたしからすれば土行孫どのより楊ゼンどのの方が魅力的ですから」
だから、彼女の誤解はなんとしても解かねばなるまい。
その一心で切々と訴えかけるーー本当に楊ゼンに焦がれているかのような真剣さを持って。
蝉玉は疑わしげに名前を見て、それから楊ゼンを見た。彼の端正な顔立ちをじっくり眺め、それと己の手の中の男の容姿がかけ離れていることを再確認しーー
「そういうことならいいわ!」
と明るい笑顔を幼さの残る顔に浮かべた。助け船が来ないことを悟った土行孫の顔が土気色になっていることなど気にも止めずに。
そして名前の言葉を受けた楊ゼンはといえば。
「当然ですね。というか土行孫くんの方がいいと言われたら僕は自分の美的感覚を疑わなくちゃならなくなる」
ひとり満足げに頷いていた。
楊ゼンのことだ。名前の目的など見抜いているだろうが……あまりに自然に言うものだから、本心かのように聞こえた。
太公望は「ナルシストめ……」と呟くと、
「名前よ、これ以上楊ゼンを乗せるでない」
そう名前に耳打ちした。「また自分の顔を理由に戦わんと言われたら困るだろう」と。
「では太公望どのの名を出すべきでしたね」
言われるまで忘れていた名前は、大真面目にそう返した。
太公望が微妙な顔をしたのには気づかずに。