武官、ナタクの世話を焼く
殷の刺客、呂岳。彼に冀州候・蘇護とその子息を人質にとられ、万事休すかと思ったところを救ったのは宝貝人間、ナタクであった。
驚異的な力を見せ、呂岳を圧倒した彼であったが、病み上がりの体は本人の意思に従わない。
呂岳を取り逃がし、宝貝で辺りを一掃したあと、彼は糸が切れたように倒れてしまった。
「ですがじきに目を覚ますでしょう。なんせナタクくんですから」
「そう……なんでしょうけど」
楊ゼンから薬を受け取りながら、名前は曖昧に頷いた。
名前はナタクのことを知らない。宝貝人間。人とは異なる身体。けれど見目は間違いなく名前と同じ人であった。
だから彼の強さを、強靭さを目の当たりにしてもどこか不安は拭えない。向こう見ずなーー自分の体など気にかけていないような戦い方が、どうも引っ掛かってしまう。
「……なんにせよ、早く良くなっていただかないと。天祥どのもナタクどのの回復を心待ちにしておりますから」
「……そうですね」
楊ゼンはクスリと笑った。それは愉快そうな、あるいは微笑ましいとでもいいたげな笑い方で。彼にしては珍しい類いの微笑みであった。
名前が天幕をくぐると中は相変わらずの静けさに包まれていた。
他よりも小ぶりな代わりに彼一人用となっているナタクの天幕。中央には箱形の寝台が置かれ、傍らには彼の数少ない服飾品が片付けられている。
名前は湯を張った桶を下ろすと、寝台で眠るナタクを見下ろした。
爆ぜた炎のような髪。思いの外繊細な造りの目鼻立ち。丸みを帯びた輪郭は彼に幼さを残し、体つきは少年のそれと変わりない。
「こうしていると普通の子供のよう……」
この身体のどこにあれほど爆発的な力が秘められているのか。
気になるが相手は病床の人間。機会があればぜひ強さの秘訣を伺いたいものだーー
そんなことを考えながら、手巾で汗ばんだ頬を拭った時だった。
「なんだ……おまえ……」
ナタクが目を覚ましたのだ。
彼は病み上がりとは思えない鋭い目付きを名前に向けると、気怠いだろう体を起こそうとした。辺りを見回す仕草からは殺気すら漂っている。
「な、ナタクどの……!」
無理をするなと落ちる織物をかけ直そうとする。そんな行為すら邪魔だと言わんばかりに、彼は名前を睨み付けた。
が、名前とて怯むわけにはいかない。ナタクの世話は天祥たっての願いなのだ。全うしなければ名前の気が済まない。
悪いが、ナタクには引いてもらおうーー
いつもの彼ならばその戦力差から相手にもならなかったろうが、今の彼は病身。名前に分があった。
「今はおとなしくなさってください。病は治りかけが一等危ないのですよ」
肩を掴み、ナタクの目を真っ直ぐ見詰める。
とつとつとした訴えが効いたのか、彼の目にあった火焔がふっと和らいだ。
その隙に名前は楊ゼンから渡された薬を差し出した。雲中子が作ったそれは錠剤で、名前には馴染みのないものだ。けれど仙人お手製のそれは既に周の兵が服用し効果は明らかなものとなっていた。
「…………、」
先程の抵抗が嘘のように、ナタクは黙って薬を手にした。それと名前を見比べーー何を思ったのだろう。
想像もつかないが、口に放り込んだことから名前への疑いはなさそうだ。
「さ、水を」
すかさず名前は手ずから水を飲ませた。ごくり、と喉が動くのを確認し、胸を撫で下ろす。これで最低限のことはできた。ひとまず安心だ。
「着替えはなさいますか?」
「……いい」
それより、とナタクは視線を走らせる。相も変わらず天幕の中はしんとしていて、外の様子が掴めない。
「あのガキはどうした」
「あの……?」
「……天祥とかいうヤツだ」
あぁ、と名前は思わず微笑んだ。そうしてから楊ゼンが笑った意味がなんとなくわかった。
天祥とナタク。まるで性格の違う二人の関係性。それは端から見れば微笑ましいと思えるものだった。主にナタクの不器用な思いやりが。
名前が笑ったのが気にさわったらしい。「なんだ?」と怒気を滲ませるナタクだが、名前には彼への恐れなどない。なにせその目元が微かに赤らんでいるようにみえるのだから。
「天祥どのならナタクどののおかげで早々に回復なされましたよ。体が幼いので今もまだ大事をとって休んでいただいておりますが……既にご兄弟も手を焼くほど元気にされております」
名前がこうしてナタクを見舞っているのも天祥の願いあってこそだった。
「ナタク兄ちゃんは?」病床でそう何度も訊ねるほどナタクを気にかけていた天祥。回復した彼は、自分がナタクの看病をするのだと言い始めた。とはいえ彼にも休んでいてもらわないといけない。名前には自分がナタクの看病をしているから任せてほしいと言うしかなかった。
意外なことに天祥はあっさり頷いた。それならいいや、と。「名前姉ちゃんなら安心だね」純粋な信頼は名前には眩しすぎた。この信頼を裏切ることなど絶対にできなかった。
だから彼が自主的に薬を飲んでくれて安心した。無理ならば、目を覚ました彼を押さえつけてでも注射針を刺さなければならなかったのだから。
「……そうか」
名前の聞き間違いでなければ、その声には安堵が滲んでいた。そう思ってしまえば、彼の眼差しも緩んでいるように見える。
眠っている時は少年のようだと思った。けれどそれは間違いだったらしい。
「……なんだ?」
「いえ、」
気づけばナタクの頭を撫でていた。そうしながら末の弟のことを思い出していた。
ナタクも同じだと思った。いかに強かろうと、宝貝人間だろうと、その心は少年と変わらない。
「ありがとうございます、ナタクどののおかげで皆元気になりました」
「……オレは強いヤツと戦いたいだけだ」
ナタクにはそっぽを向かれてしまった。
だが体を拭いてもいいかと聞くと「勝手にしろ」と返された。一応は受け入れられているらしい。
それが嬉しくて、名前はうきうきと手巾を構えた。
「ナタクどのは好きな食べ物とかありませんの?」
「興味ない」
「まぁ、なんにも?果物でもないんですか?ナツメやライチや……そうそう、太公望どのが大層お好きなモモとか」
「……興味ない」
ナタクの答えは淡々としていた。けれど名前がその体に触れても拒絶することはなかった。「口やかましいヤツだ」と溜め息は吐かれてしまったが。