武官、不器用さを露呈する
橙色の風が空を駆ける。と思ったら、次の瞬間には大きな爆発音が宿営地に響いていた。
立ち上がる黒煙。兵の叫び声。それらを意に介さず宙に浮かんでいたナタクであったが、その姿は2度目の爆発によりかき消された。
「ナタクどの!?」
「うわーっ!ナタク兄ちゃんが大爆発ーっ!!」
狼狽える名前と楽しげな天祥。対照的な反応の二人だが、共通しているのは二人とも稽古の手が止まっていることだった。
「こら天祥!!」
「げっ!!!」
兄の天化は弟だからって容赦しない。自身の宝貝で弟の頭を小突くと、真面目な顔で叱りつける。
「よそ見してないでちゃんと稽古するさっ!!」
それから名前も、と視線が移る。
「宝貝人間も楊ゼンさんもつえぇ。心配することないさ」
「す、すみません……」
最もな言い分に名前は肩を縮こまらせるしかない。
せっかく稽古をつけてもらっていたのに失望されてしまったかしら。
不安に恐る恐る顔を上げる。と、天化の柔らかな視線とぶつかった。怒っている……わけではなさそうだ。
その視線の意味がわからず内心首を傾げている名前の上から、「そうですよ」と声が降ってくる。
「僕もナタクくんも無事です。まぁナタクくんにはちょっとばかし眠ってもらいましたが」
楊ゼンは哮天犬の背から軽やかに降り立った。その手には気絶したナタクが抱えられている。
「ナタク兄ちゃん!!」
天祥が駆け寄ってもナタクは目を覚まさない。覚ましたら覚ましたでまた楊ゼンに特攻しそうだから眠っていてくれた方がよいのだが。
「ではナタクどののことはわたしが」
「そうですね、お願いします」
ナタクを彼の天幕まで運ぶと言う楊ゼンに、名前は着いていくことにした。
すると必然的に「じゃあ天祥も行く!」という声が上がったのだが。
「天祥はダメさ。稽古の続きしなきゃ」
「えー……」
天化の一言に、天祥はむくれながらも頷いた。それを微笑ましげに黄飛虎が見守っている。
彼らの姿が見えなくなったあたりで、「そうだ、名前さん、」と前を歩いていた楊ゼンが名前を見た。
「はい?」
「これを返すのを忘れていました。あの時は助かりました」
彼は片手でナタクを抱え、もう片方の手で束ねていた髪をほどいた。器用にも。
その手にあるものを見て、名前は「あぁ」と相槌を打った。名前自身彼に貸したのを忘れていたからだ。
「礼など……わたしが勝手にしたことですから」
「いえ、こうしたことはきちんとしておかないと」
今朝がた楊ゼンの髪を結わいた髪紐。名前の手元に帰ってきたそれは、楊ゼンのところにあった方が輝いていたような気がした。
そんなことを思いながら髪紐を仕舞うと、今度は隣を歩いていた天化が耳打ちしてくる。
「どうして楊ゼンさんに?」
なぜだか自分も着いて行くと言った天化は、これまたなぜだか真剣な声色で問う。それを不思議に思いつつ、名前は今朝の出来事を話した。偶然楊ゼンと川に出たこと。その時濡れそうだった楊ゼンの髪を名前が纏めたこと。
「楊ゼンどのの方が似合っているようなのがいささか複雑なところですが……」
「…………」
「……天化どの?」
沈黙。無言。どうしたのだろうという名前の疑問は何もおかしくないはずだ。
天化は顎に手をやっていた。考えるような仕草。実際その目は物思いに耽る者特有のそれであった。
「俺っちも伸ばすかな……」
気を揉んでいた名前の耳に飛び込む発言。意味がわからなくて、名前は「え?」と間の抜けた声を出してしまった。
ーー伸ばす?何を?なぜ?
「髪、伸ばしてみっかなって」
「天化どのが?」
天化はうなじまである髪を一房持ち上げて言った。その表情は冗談を言っているようには見えない。
名前は想像してみた。長い黒髪を翻して戦う天化の姿を。
彼の母はそれはそれは美しい黒髪の持ち主だったらしい。黄飛虎の自慢話によれば色艶ともに国一だとか。ならば天化のそれもきっと同じように美しいものになるだろう。今のままでも十分つやつやと輝いているのだから。
「……長くても格好いいとは思いますけど、」
「え、」
「え?」
名前と天化は顔を見合わせた。
天化の見開かれた目。それは動揺を表していて、けれどその理由を察することができなくて、名前はまじまじと天化を見つめた。
そうすると天化の目はさらに揺らぎ、慌てたように顔の前で手を振った。
「い、いや、なんでもねぇさ」
目をそらし、鼻を掻く天化に、名前は「そうですか?」としか言えない。「それより続き、」と促されてしまえば、追及などできようもなかった。
「ええっと、その、戦うのに邪魔じゃないかしらと思って」
「あ、あぁ、なるほど」
「……天化どのが伸ばしたいのなら止めませんが」
いや、と天化は頭を振った。
「……名前がいいんなら、いい」
ぽつりとした呟きはともすれば風に消されてしまいそうだった。
でも名前の耳はその声を拾ってしまっていたし、天化もまたそれに気づいていた。
けれど互いにそれ以上を言うことはなかった。二人して押し黙り、黙々と歩を進めた。互いの顔はあえて見ないようにした。
「やれやれ……」
その微妙な空気を察し、楊ゼンはひとり肩を竦めた。
ーーまったく、二人して不器用だなんて先が思いやられる。