玉鼎真人×(男勝り+世話焼き)仙人
仙人界の時はひどく緩やかに流れている。時間の感覚が狂うほどに。
やはり日々に変化がないのが一番の理由だろう。修煉くらいしかすることがない。娯楽とは程遠い世界なのだ。
だから、その話は仙人界であっという間に広まった。
ーー玉鼎真人が幼い子供を弟子にとったらしい。
それは別段珍しいことではない。だから皆それがどんな子供だろうかと噂することはあっても、わざわざ見に行く物好きはいなかった。
けれど、彼女は違った。彼女ーー名前という名の仙人は。
「聞いたぞ、玉鼎!ここに可愛らしい子供を隠しているらしいな!!」
それは楊ゼンが玉鼎真人の弟子に迎えられて数日ほど経った日のことだ。
彼女は宝貝も霊獣も用いることなく山々を飛び越え、玉鼎真人の住み処、玉泉山金霞洞まで乗り込んできた。
青天の霹靂。突如として現れた仙人に、楊ゼンはびくりと肩を震わせた。
ーー人間として振る舞え。そう言われたばかりだというのに、早速見られてしまった。妖怪仙人である証。頭に生えた角。それを、見られてしまった。元始天尊でも玉鼎真人でもない、崑崙の仙人に。
楊ゼンは怯え、玉鼎を窺った。どうしたらいいのか。幼い楊ゼンにはわからなかったのだ。
それに玉鼎は柔らかな目を向け、彼の頭を撫でた。「大丈夫だ、楊ゼン」彼女は敵ではない。そう、安心させるように。
それだけで楊ゼンは強ばった身体をほどくことができた。既に楊ゼンにとって玉鼎は特別な存在となっていた。
玉鼎は楊ゼンから名前に視線を戻した。
「隠している、とは人聞きが悪いな」
「だって隠してたじゃないか。私に会わせてくれたっていいのに」
この時、確かに名前は楊ゼンを見ていた。楊ゼンの身体を。妖怪仙人としての特徴を残したままの身体を。
なのに彼女はそれには何も触れなかった。ただ拗ねたように頬を膨らませた。
「私が子供好きなのは知っているだろう?」
「あぁ、だが……」
玉鼎はそこで言葉を探すように目をさ迷わせた。
そして一呼吸置いて、「楊ゼンのことは元始天尊さまから口止めされていたんだ」と正直に話した。元より、玉鼎真人は嘘がつけない。名前に対しては。
「詳しいことは私も知らない。ただ楊ゼンを任せるとだけ」
「そうか……、元始天尊さまが……」
それなら仕方ないな、と彼女はすぐに怒りを収めた。初めから怒りというよりは不満といった感情の方が強かったのだ。理由を知れば納得することができた。
しかし、それでもまだ名前には言いたいことがあった。それは疑問といってもいい。とにかく、納得のいかないことが、ひとつ。
「なぜ私ではなく玉鼎なんだ……?」
私では駄目だったのか。そう肩を落とす名前に、玉鼎は慰めの手を置いた。
名前だってわかってる。元始天尊、彼が何かを考えていることくらい。何か大きな理由があって楊ゼンは迎えられたのだろうし、玉鼎がその師に選ばれたのだって、きっと。
「そんなに楊ゼンが気に入ったのかい」
「そりゃあ……だって、可愛いじゃないか」
そこで再び視線は楊ゼンへ集まる。
不安に身を縮こまらせる楊ゼン。そんな彼の前で名前は膝をつき、視線を合わせた。
「うん、やっぱり可愛いな」
名前の手が楊ゼンの頬を滑る。
その時楊ゼンは初めて彼女の顔をしっかりと見た。
きれいな目だ、と思った。彼女の顔の中で一番印象的なのが紫の瞳だった。つり目がちなそれはしかし柔らかに細められ、温かな印象を楊ゼンに与えた。
名前は楊ゼンの手をとった。そして、楊ゼンに笑いかける。
その微笑みは楊ゼンの知らないものだった。母が子に向けるような無償の愛。そうしたもので、名前は楊ゼンを包み込んだ。
「そういえば挨拶がまだだったな。私は名前だ、玉鼎とは長い付き合いになる。だから安心してくれ」
「うん、えっと……、名前、さん……」
「もっと気安く呼んでくれていいぞ。そうだな、個人的にはお義母様とかいいと思うんだが」
戸惑う楊ゼンを他所に、名前は彼の心に踏み行ってくる。
けれど不思議と嫌な気はしなかった。
それが玉鼎にも伝わったのだろう。
「こら名前、楊ゼンに無理強いするんじゃない」
そう口では言うが、彼が真に名前を止めることはなかった。
名前は玉鼎を仰ぎ見た。
「なんだ玉鼎、あなただって呼ばれたくはないか?お義父様、と」
「……まぁ、悪くない響きだな」
「だろう!?」
肯定に、名前は喜びの声を上げる。そうだろうそうだろう。仲間を得た気分で、名前は大きく頷いた。
が、すぐに楊ゼンに向き直り、「まぁ、楊ゼンが嫌でなければだが……」と様子を窺ってきた。幼い楊ゼンに対して、大人である名前が。楊ゼンの意思を尊重しようとしていた。対等に、向き合おうとしていた。
だから、楊ゼンはやっと頬を緩めることができた。
「……嫌じゃ、ないよ」
「そ、そうか……!」
ぱっと顔を輝かせる名前。彼女を微笑ましげに見守っていた玉鼎も嬉しそうに「よかったな」と声をかける。
それがまた楊ゼンの心を熱くさせ、
「うんうん、楊ゼンはやはり可愛いな、素直でよい子だ。一緒に暮らせる玉鼎が羨ましいな」
という名前の言葉に、思わず自分から口を開いていた。「それなら……」と。
しかし楊ゼンが続きを言うことはなかった。
なぜならば。
「それなら、名前もここに住めばいいんじゃないか」
玉鼎が楊ゼンの言葉の続きを奪い取ってしまったからだ。
目を瞬かせる楊ゼンに、玉鼎は少しだけ笑った。同じことを考えているなんておかしなものだな、といった風に。
だが、名前は二人の無言の会話に気づかない。
「な……なんだと、」
何しろ玉鼎の言葉に、誘いに、目を見開いているところだったからだ。
名前は驚いていた。だって、思いつきもしなかった。こんな簡単なことに。
「玉鼎……あなたという人は……天才か?」
「そう褒めるな、照れるだろう」
「いや天才だ、さすがだな!うん!それで全部解決するじゃないか!!」
名前は手を叩いた。今にも踊り出しそうなくらいに彼女の声は陽気だった。
それでもやはり彼女は楊ゼンを真っ先に気遣う。
「いいかな、楊ゼン」
顔を覗きこまれ、楊ゼンは咄嗟に俯いた。
けれど、考えるまでもなかった。ただ、彼女が眩しすぎただけで。差し込む陽に慣れていないだけで。
「……うん、」
小さく頷いた楊ゼンを、名前は大喜びで抱き締めた。
しかし、後に楊ゼンは知ることになる。
この出来事。名前が玉泉山金霞洞に住まいを移すことこそが、玉鼎の望みであったことを。
長い付き合いのくせ、玉鼎と名前の関係に明確な名前がつけられていないことを、後に知ることになる。