太乙真人×(無表情+クール)道士
名前の師、太乙真人は変わり者で有名だった。
だから人間界から帰った彼の宝貝、九竜神火罩の中から人の声が聞こえた時には思わず後ずさった。
「太乙真人、さすがに無理やりはマズいですよ……」
「なんだいなんだいその蔑むような目は!?」
「ような、ではありません。実際ドン引きです」
まさか人の子を拐ってくるとは……弟子もびっくりの非道だ。冷酷無比。悪逆非道。無法千万。大罪人だ。
真顔で距離をとられ、太乙の顔に汗が走る。「僕は無実だ!」叫びは切実な色をしていた。
必死の形相。それを認め、名前はようやく居住まいを正した。
「仕方ありません、話を聞きましょう」
「なんで師匠の私に対してそんな上からなんだい……」
「容疑者ですからね、今のところは。私だって師匠が被疑者にならないことを祈ってますよ」
名前は手を合わせた。神様仏様元始天尊様、と。ただしその表情には一切の変化も見られない。名前の表情筋は基本的に死んでいるようなものなのだ。
それは太乙もよくわかっているのでわざわざ指摘することはしなかった。長い付き合いの中ですっかり慣れてしまったし、最早諦めてさえいたからだ。
相変わらず喧しい九竜神火罩を背景に、太乙は事のあらましを語った。九竜神火罩の中にいる者ーー霊珠子、ナタクについて。
「名前も知ってるだろう?私が宝貝人間を生み出したことは」
「ええ、まぁ。ですがその子は確か亡くなったのでは……?」
仙人界にいると時の流れに疎くなる。それは名前も例外ではなく、ナタクに関する知識は3年前で止まっていた。太乙がえらく嘆いていたせいで印象に残っていたのだ。
ぼんやりとした記憶を辿る名前を前に、太乙は意味深に笑った。「フフフ……」というほの暗い笑い声。気味が悪い、と名前は肩を抱いた。その腕には鳥肌がたっている。
それを無視して太乙は得意気に人差し指を立てた。
「ところがナタクは生きていたのさ!」
埋め込まれた霊珠が破壊されない限り宝貝人間が死ぬことはない。そんな最強に近い存在を生み出した張本人は鼻を高くしていた。
ここまで話を聞けば名前にも察しがつく。九竜神火罩の中身。「ここから出せ!」と叫ぶ声。まさか、その主は、
「ただナタクの精神はまだまだ未熟なようだからね、ここで修行させることにしたんだ」
「それはいいですけど、なぜ九竜神火罩に、」
「そりゃあアレだよ!あいにく僕は戦闘向きじゃないからね!」
「……やはり無理やりではないですか」
戦闘向きじゃない。その発言からして、ナタクとは戦闘一歩手前までいったということだ。しかもナタクは今もなお抵抗を続けている。名前の想像もそこまで外れていなかったのだ。
しかし太乙は「親御さんの許可は取ったよ!」となぜか胸を張る。肝心要の本人は認めていないというのに。
名前は溜め息を吐いた。
「どうしてそこまでして……」
「そりゃあやっぱり生みの親としての責任があるからね」
「……そうですか」
「なんでそこで不機嫌になるの!?」
名前は口を尖らせてそっぽを向いた。その顔は変わらず無表情であったが、付き合いの長い太乙にはわかった。面白くない。顔に描かれたその不満に。
しかし理由にまでは辿り着かない。それが科学オタクである彼の限界だった。
名前もそれはわかっている。別に理解されたいわけではないし、むしろ知られたくないとさえ思った。同時に、どうしてわかってくれないのかという理不尽な怒りも太乙に対して抱いていたが。
「乙女心は複雑なんです」
「乙女?誰が、……痛い痛いっ」
名前は無表情のまま太乙の頬を引っ張った。「当然の報いです」そう言いながら。
「まぁ、いいです。略取誘拐罪に問うのはやめておきましょう、今回のところは」
「今回はって……私はいつだって清廉潔白だよ!」
師の主張を流し、名前は九竜神火罩に手をかけた。
「早く出してあげましょうよ」こんなところにいては修行にならない。それでは本末転倒もいいところだ。
九竜神火罩は太乙真人の宝貝である。その頑丈さは名前の手に負えるものではない。だから太乙に促したのだが、彼は「うっ」と小さく呻いた。
「えー……やだなぁ……」
「やだなぁって、」
「だって絶対襲いかかってくるって!ナタクはそういう子だから!!」
「そこをなんとかするのがあなたの役目じゃないんですか?生みの親なんでしょう?」
「ううっ……」
太乙は本当に憂鬱そうだった。九竜神火罩さえあれば怪我をすることすらないだろう、そんな彼が。
ナタクはそれほどまでに強いのか。懲りずに九竜神火罩を叩く少年に思いを馳せ、名前は太乙に向き直った。
太乙真人。崑崙十二仙のひとりであり、名前の師。そして残念なことに名前にとってはそれ以上の……
「名前?」
首を傾げる朴念仁の唐変木。そう思っているのに、まったく、人の心とは難解なものだ。
名前はやれやれと首を振った。「仕様のない人ですね」その顔に宿る微かな笑みに、太乙は目を丸くする。
だが彼が何かを口にするより早く、名前は腰に手をやり、宣言した。
「あなたの身は私が守ります。……だから、大丈夫ですよ」
「名前、キミ……」
「さすがに師匠にこんなところで死なれたら、弟子の私も辱しめを受けかねませんからね。それだけです」
「あぁ、そう……」
太乙は一度肩を落とした。が、すぐに立ち直り、「よし!僕はやるぞ!!」と己を鼓舞した。
「名前がいれば死ぬことはないだろうし……」
自分に言い聞かせる太乙は気づかない。その言葉が、寄せられた信頼が、名前にどんな影響を与えるのかを。太乙の言葉を拾った名前の耳が、仄かに赤く染まっているのに。堪えるように唇の端がきゅっと噛み締められるのも。
ーー師匠は知らなくていいことだ。
「……モタモタしてると私の気が変わっちゃうかもしれませんよ」
「えっ」
「冗談です」
「脅かさないでくれよ……」
宝貝を怖々とした様子で解除する太乙真人。彼の予想は悲しいことに裏切られず、自由になったナタクは途端に彼に襲いかかった。
「よし後は任せたよ!!」
「はい、任されました」
太乙はさっさと名前の後ろに隠れる。名前としてもその方がよほど戦いやすいから文句はない。
ーーそれに、頼りにされて悪い気はしない。
「悪いですけど、この人を殺させるわけにはいかないので」
相手は宝貝人間ーー容易に勝てる相手ではない。
けれど、しかし、乙女には退けない時というものがある。
「……お前、強いな」
「そうですね、この人よりは強いと思いますよ」
「そうか、」
ナタクの狙いが移る。太乙真人から名前へと。
この瞬間から名前の穏やかすぎる日常は崩れ去った。闘争の日々の到来。ナタクとの危なすぎる修行の毎日が名前に訪れるようになる。
だがそれを楽しいと思うようになり、いつしか日常と化していくのをーーこの時の名前は予想だにしていなかった。