(邑姜+太公望)×両性具有の天然道士


両性具有と便宜上表記してありますが、実際は男にも女にもなれる主人公です。





 半陰半陽のアンドロギュノス。それは名前が生まれながらにして持っていた異質であった。アンドロギュノスーー両性具有。男でもなく女でもなく。けれど男でもあり女でもある。そんな中途半端なものとして名前はこの世に生を受けた。
 原因はわからない。何しろ物心ついた時には既に実の家族の所在はわからなかった。
 名前は捨て子だった。わかるのは西域の血筋だろうということだけ。金の髪に碧の瞳。それもまたこの地では異質なものだ。そう、名前を拾った男は言っていた。
 名前を養育したのは西岐の武官だった。お陰で名前は学を身につけることも武芸に励むことも許された。半陰半陽などという忌まわしい体であるにも関わらず。西岐の主、西伯侯姫昌は名前を取り立ててくれた。
 だから今、名前は武王の元、朝歌へと進軍を続けている。ただひとりの武人として。

「それが男でいる理由なのね」

 出会ったばかりの少女ーー邑姜は何に憚ることもなく名前を暴く。男とか女とか、そうしたものを普通の人は気にするというのに。普通の人が触れないように避けていることも、彼女は一切気にしない。
 それが、名前には心地よかった。

「ええ、男の方が何かと便利ですから」

 与えられた休息の時。名前はひとり天幕から離れ、川に入っていた。
 彼女が来たのは名前が服を脱いだ後だった。咄嗟に身を隠そうとした名前に、彼女は言った。「お構い無く」そう言って、何をするでもなく名前の体をためつすがめつ眺め回した。名前の、男の体を。
 名前に羞恥はない。けれど、女人に体を晒し続けられるほど無神経にもなれなかった。
 そうして岸に上がり、濡れた服を乾かしている間。邑姜は訊ねてきた。どうして男であることを選んだの、と。
 半陰半陽のアンドロギュノス。しかしそれは名前を表すには正確なものではない。名前の体に男のものと女のものが同時に存在することはないからだ。
 名前は、男にも女にもなれた。
 幼い頃は月の満ち欠けで。長じた今、どちらの体を選ぶかは名前の意思に委ねられた。
 そして名前は男であることを望んだ。戦うために。周の力となるために。恩義を返すために。

「でも女の方が役に立つときはそちらを選ぶのでしょう?」

「ええ、まぁ。使えるものは使わなければ意味がありませんから」

「そうね、私もそう思うわ」

 男でも女でも、名前の容貌は中性的らしい。
 だから男である時は同性の油断を誘えたし、女である時は打ち解けやすかった。
 卑怯であることは重々承知している。承知した上で、邑姜は名前を肯定した。

「……他にも何か?」

 質問に答えても邑姜は立ち去る素振りを見せなかった。何が楽しいのか。名前の体を眺めたかと思えば、出し抜けに手で触れてみたりする。そうしたって名前の体が変化するわけでもないのに。
 しかしそうするということは、未だ名前の異質に関心があるということだ。だから名前の方から促す。
 すると邑姜は、「ではお聞きしますけど、」と興味深そうな、真剣な眼差しで名前を見た。

「あなたの性的欲求はどちらに向かうのかしら」

 真剣な眼差しで、可憐な容姿に似つかわしくない言葉を吐いた。
 性的欲求。意外性に、名前は呆気にとられた。一瞬、意識が飛ぶほどに。理解するのに頭が時間を欲するほどに。

「ええっとつまり……私が男と女のどちらを、その……好きになるかという話……ですよね?」

 邑姜が言ったのよりずっと遠回しな言葉選び。それをしているのが外見は男でしかない名前だというのがまたおかしな話である。

「いえ、好きというより性行為をするならどちらがいいか、と」

 なのに。名前がせっかく遠回しな言い方をしたというのに。
 涼しげな顔で。愛らしい容姿で。囀ずるような声で。
 邑姜はそのものずばりを言葉にする。

「それ、答えなくてはなりませんか?」

「はい。拒否権はありません。残念ですが諦めてください」

 名前は頭を押さえた。
 逃げようと思えば逃げられる。今の名前は男であるし、邑姜は正真正銘女だ。脚力で負けることはない。
 けれど、と名前は自分より小さな体を見下ろした。大きな瞳とそこに宿る真っ直ぐさに、名前は抗えない、拒めない。
 渋々、名前は口を開いた。

「どちらでも構いません。……私を、受け入れてくれるのであれば」

 こんなこと、家族にすら話したことがない。いや、家族だからこそ遠慮して誰も聞いてこなかった。
 だから義理の両親も名前に縁談を持ち込まなかった。名前自身、自分が誰かと共に歩むことを考えたことさえなかった。最初から、諦めていた。
 だから、邑姜の言葉も一度では呑み込めなかった。戸惑いに首を傾げる名前に、「ですから、」と邑姜は焦れったいという風に先刻の言葉を繰り返した。

「私にも希望はある、と申したのです」

「それは、」

 名前は何を言おうとしたのだろう。自分でもわからない。明確な言葉を求めたのか。それとも、拒絶しようとしたのか。
 わからないまま、邑姜に口を塞がれた。彼女の指が、名前の唇に触れた。

「いいですか、名前さん」

 彼女の目は一切の反論を認めなかった。その瞳に、真っ直ぐさに、名前は目を奪われた。

「私は、あなたを婿として迎え入れたい」

 知ってしまったら答えなくてはならなくなる。肯定か否定か。邑姜を選ぶのか、選ばないのか。ーー男であるのか、女であるのか。
 名前が選ぶことを避けてきた問題。二つの性。それを選べと邑姜は言う。名前に答えを迫る。

「……私、は」

 駆け抜けたのはこれまでの生。男でもなく、女でもない、名前の記憶。武官として生きた日々。これまでの戦い。それから、

「ちょっと待った!!」

 開きかけた名前の口はまたしても止められた。しかし今度は邑姜の手によるものではない。彼女は眉をひそめて、闖入者を見やった。

「邪魔をしないでください。ーー太公望さん」

「悪いがそういうわけにもいかんのう」

 二人の間に割って入ったのは周の軍師、太公望だった。
 彼は「ならん」と首を振る。名前には仙人骨があるのだから、と。

「けれど人として生きるのなら問題はないのでしょう?」

 それを、邑姜は事もなく受け止める。受け止め、異論を唱える。仙人骨があるからといって必ずしも仙道にならなければならないわけではない。実際、人の世を乱さなければ、ただの人として生きる道も認められている。
 邑姜の言葉は正論だった。それを聞くと、名前の中にも迷いが生まれる。
 そしてそれを見逃す邑姜ではない。

「あなたには力があります。周という新しい国を支えていく力が。ーー私は、あなたを仙人界に譲りたくはない」

「邑姜さん……」

「待て待て待て」

 見つめ合う名前と邑姜。それを太公望は焦った様子で引き離した。

「名前、おぬしはそれでいいのか?力を試したいと言っていたではないか」

「あら力の試し方など他にいくらでもあるでしょう?仙人に拘る必要もないのでは?」

「ならば言わせてもらうが、 人手がほしいのは仙人界も同じだ。おぬしの才は手放すには惜しい」

「そうは言いますけど太公望さん、それはあなたが名前さんを……」

 似た者同士の舌戦。二人に挟まれ、名前の頭は限界にきていた。
 人間界で男として生きる。それも悪くない。西岐には恩義があるし、武王のことも好ましいと思っている。それに、邑姜のことも。
 男として生き、時が進めばきっと彼女を好きになる。そんな予感が名前にはあった。
 けれど仙人界に行くというのもまた捨てきれない道だった。
 仙人。修練の果てに辿り着くもの。そこに至れば名前は確立しない性を受け入れられるのではないか。己が何者であるか定めることができるのではないか。
 太公望の誘いもまた、魅力的なものであった。
 だから。

「さぁ名前さん選んでください」

「人間界と仙人界、どちらを選ぶのだ?」

 二人に選択を迫られ、名前は口ごもった。

「……とりあえず、この戦いが終わるまで考えさせてください」

 不満の声が上がろうとも、今の名前には決めることができなかった。優柔不断。だが一生のことを決めるのだ。それも仕方ないだろう。
 自分に言い聞かせ、名前は痛む頭を押さえた。