太公望と少女
趙公明の用意した客船、クイーンジョーカー号。
その4階に達する頃には名前の憤りは極限まで高められていた。しかも4階はこれまでの階層と異なり、迷宮仕立てとなっている。これも名前の苛立ちを加速させていた。
「ねぇ太公望、ホントにここに天化くんはいるのよね?」
鋭い眼差しで周囲を見回しながら名前は問う。そこには焦りが内包されていた。それほどまでに彼女の中で天化の存在は大きくなっているのだろう。
その後ろを歩きつつ、太公望は「うむ」と大きく頷いた。
「残すはここと最上階のみ。上に囚われているのは映像を見る限りスープーしかおらぬ。ならば天化も黄飛虎もこの階にいるだろう」
「そう、そうよね」
名前とて、そんなことは理解している。頭のネジが数本外れた娘だが、決してバカではない。太公望の言ったこともとうに考えていたろう。
それでも口にせずにはいられない。それほどまでの焦燥感。今の少女は剥き出しの剣と同じだった。
故に。
「ミ、ミイラ……!?」
突如現れた敵。近寄りがたい風貌にも、名前は一切躊躇わない。
「邪魔」
そう、一言で。
ミイラの集団は一瞬にして凍りつき、そして彼女自身の手で、その剣で砕かれた。
小石程度の大きさにまで粉砕されたミイラーーだったもの。氷漬けのそれはきらきらと輝き、少女を彩る。最も、名前の興味は既にそこにはなかったが。
「じゃあ早く見つけましょ。こんな弱いのじゃないーー4階の真の敵は他にいるのだろうし」
「あぁ……」
そう答えながら、太公望は名前が砕いた破片を拾い上げた。
それは封神されなかった。だから太公望は気にかかったのだ。ミイラの正体に。
「これは、蜂か……?」
「どういうこと?」
太公望の言葉に失われていた名前の関心が返ってくる。
彼女は太公望の手元を覗き込み、顔をしかめた。彼の言ったことが本当だと理解しーーこれを操る者がまだ残っていることを察した。
「面倒ね……、どうせ勝てないんだから真正面から来たらいいのに」
「そうは言っても仕方なかろう。こやつはこういう戦いしかできないのだろうからな」
彼女は言葉通りの表情で舌を打ち、それからまた剣を抜いた。ーー通路の先から、切り捨てたはずのミイラの集団が向かってくるのが見える。
「……太公望、策を」
名前はバカではない。だから今は太公望に従うのが一番だとわかっていた。天化以外はどうでもいいといいたげな普段の態度が嘘のように。
その実、彼女は彼らのことも認めているのだ。
「なに笑ってるのよ」
「いや、すまぬ」
太公望は表情を改め、名前に耳打ちした。
それを聞き、彼女はニッと口角を上げた。
「いいわ、乗ったげる!」
名前は笑い、迷宮の壁を剣で一閃する。崩れ落ちる左右の壁。吹き抜ける風。ーー薄まる、毒々しい香り。
それまで迷いなく向かってきていたゾンビたちの足が止まる。彼らは惑い、目の前に太公望たちがいるにも関わらず、来た道を引き返していく。
それを見逃す名前ではない。
「こいつは私が仕留める!」
名前は駆け出す。「太公望はさっさと逃げなさい!!」珍しく、他者を気遣う言葉を残して。
だから太公望はそれに笑いでもって返した。
「おぬしが味方でよかったとつくづく思うよ」
太公望の言葉はゾンビを追っていった彼女には届かない。届いたところで、彼女がそれを素直に受け入れるはずもないが。
恐らく彼女なら「何を言っているの」と顔を背けることだろう。ほんの少し、耳を赤くして。
太公望の策。それに乗った名前が負けるはずもなく。
「玉無し野郎もちゃーんと封神してあげたわよ」
彼女は傷ひとつ負うことなく太公望の元へ帰ってきた。
玉無し野郎。確かに、真っ向勝負を好む彼女からすれば、今回の敵は彼女の嫌いなタイプだろう。
だがそれはさすがに相手が可哀想だ。太公望は顔をひきつらせ、「言い過ぎだろう……」と呟く。自分が知略を巡らすタイプだからこそ、今回の敵に同情した。
しかし、名前は不思議そうな顔で言う。太公望が想像すらしなかったことを。
「だって玉無しじゃない。軍師のあなたですらこうして前線に出てるってのに、雑魚がこそこそ隠れてるなんて」
「…………」
「なによ、私なんか変なこと言ってる?」
名前は本当にわからないといった表情だった。
だからきっとこれは彼女の本心だ。本心からそう言っているのだ。
それを理解し、「いや……」と太公望は言葉を濁す。
そんな太公望を、名前は気味悪げに見やった。
「じゃあなんで笑ってるのよ、気持ち悪い」
「気持ち悪いとはなんだ気持ちとは!わしは主人公だぞ!」
「はぁー?少年漫画なら友情努力勝利すべて持ってる天化くんが主人公に決まってるじゃない」
「少年漫画ならおぬしみたいな物騒な女はヒロインにはなれんがのう」
「太公望ったら時代遅れね、今はこういうのが人気出るのよ」
ふふん、と名前は自慢げに胸を張る。
16、17ほどの齢にしか見えない少女。金の髪に紅い瞳。そしてその目同様の深紅の洋装。少女じみた深紅のドレス。フリルとレース、リボンに彩られた彼女は確かに可愛らしい。いたいけな少女にしか見えない。……ただし、口さえ開かなければ、の話だが。
「なんでもよいが、天化を見つけたからといって突っ走るなよ。ここの敵は一癖も二癖もあるようだからのう」
「……わかってるわよ」
名前は確かに言いつけを守った。
砂時計から既に脱していた天化と黄飛虎。それだけでなく、黄飛虎は4階の主を追い詰めていた。
しかし。
「気を抜くでない!!まだ魂が飛んでおらぬ!!!」
妖怪仙人の最後の抵抗。余化の原形は一振りの剣であった。
それは迷いなく飛んできた。真っ直ぐ、黄飛虎へと。
満身創痍の黄飛虎。その前に、天化が躍り出る。父を庇うため。余化を封じるため。
だが、それは叶わなかった。
「……その薄汚い手で天化くんに触れるつもり?」
太公望の言いつけは守った。天化を見つけてもすぐに駆け寄らなかったし、敵に怒りをぶつけることもしなかった。
でも、もう限界だった。
『裏切り者の分際で…………』
「え?なに、聞こえない。ていうかもう喋んなくていいよ、あなたの出番は終わりだから。じゃないと私、あなたを切り刻んでも満足できなくなっちゃうし」
『貴様……っ!』
「うん、だから早く封神されてね」
名前は笑っていた。笑っていたが、目は少しも笑みを宿していなかった。怒りと苛立ち。それだけで、少女は動いていた。
彼女はミイラ相手の時とは違い、まず余化を大きな水泡で包み込んだ。そうして動きを封じてから、氷漬けにしーー粉々に切り刻んだ。
「うーん、何か策があったから突っ込んできたのかと思って生け捕りにしたけど……つまんないことしか言わないんなら最初から凍らせちゃえばよかったかな」
「いや、よくやってくれた。妖怪仙人の怨念は凄まじいからのう……」
太公望が見る限り、誰にも異常はない。恐らく最後の攻撃に何か隠されていたのだろうが……最早知る術はなかった。出番を奪われた天化は不満そうだが。
「別にあれくらい俺っち一人でも平気だったさ」
「そうだけど私が許せなかったの!だってあいつ見るからに汚そうだったじゃない。天化くんに変な汚れがついたら大変よ」
「汚れって……」
天化は呆れているが、名前はすっかりお冠だった。余化は天化を少女から取り上げただけでなく、その身に傷をつけようとしたのだ。到底許される話ではない。
怒り心頭。頬を膨らませた彼女であったが。
「……まぁ、あんがとな」
天化に頭を撫でられれば怒りも吹き飛ぶ。というより、天化からの思わぬアクションに、驚きで名前の思考は停止していた。
「どうかしたんか?」
「……っ!な、なんでも、なんでもない、から!平気!!!」
珍しいこともあるものだ。いつもは名前の方からぐいぐい攻めるくせ、いざ天化から行動を起こされると真っ赤になって狼狽えている。
太公望はにやりと笑った。
「なんだおぬし、攻められると弱いタイプか」
「そんなわけないじゃない!ちょっと、ほんとにちょっと、驚いただけなんだから!!」
「お、おう……」
名前の剣幕に天化は戸惑う。
どういうことだ。助けを求める目を向けられるが、太公望は無視した。その方が面白いし、かといって巻き込まれるのは面倒だからだ。