(天化+道徳)×(内気+合法ロリ)道士
崑崙山に来たばかりの頃。天化が引き合わされたのは小さな女の子だった。
「私の弟子の名前だ」
天化の姉弟子にあたる少女は、師である道徳真君に促され、頭を下げた。そうすると少女の体躯はますます小さく見える。
こぼれそうなほど大きな灰色の瞳。陽に透ける白金の髪。そのどちらもが青みがかっていて、少女の容貌に静けさを纏わせている。そのせいか、歳は天化とさほど変わらぬように見えるのに、庇護欲を掻き立てられる風情があった。
「よろしく、お願いします……」
「あぁ、よろしく」
握った手もやはり小さい。小さくて、柔らかくて、脆い。そんな印象を与えた。
それは少女の声がか細く、語尾にいたっては消え入りそうなほどであったせいもあるだろう。その上少女は挨拶が終わるや否や、パッと道徳真君の後ろに隠れてしまった。
「すまない、どうもこの子は人見知りが激しくてね」
「はぁ……」
笑う道徳真君の後ろから、少女は天化を伺い見る。そのくせ天化が視線をやると慌てて隠れてしまうのだから、よほど人慣れしていないのだろう。
天化は頭を掻いた。姉弟子。そう思うから違和感があるのだ。ただの女の子、そう、人間界と同じようにーー母のように、守るべき者だと思えばいい。
同じ師を持つ者同士、それはもう家族のようなものだと天化は考えていた。だからこの時も少女のことをそう分類した。家族、妹、守るべきか弱い存在、と。
その認識は正しく、けれど間違ってもいた。
「……っ」
弾かれた莫邪の宝剣。顎の下に突きつけられた大剣。それは天化の首を裂く寸前でピタリと止まった。止まるとわかっていた、けれど。
迷いのない太刀筋に、天化の心臓は早鐘を打っていた。
「……参った、俺っちの負けさ」
降参の意を示す。と、大剣もまた引かれ、鞘に収まる。
同時に、少女から発せられていた静かすぎるほどの殺気も霧散する。なんの躊躇いもなく。まるで最初からなかったかのように。
そこにいるのは先刻までの少女ではない。顔色ひとつ変えず人の首を狙う冷酷さは消え、常通りの内気な少女がそこにはいた。
「やっぱつえーな、悔しいけど」
「そんなことない……。勝率は五分と五分だから……」
名前はいつも伏し目がちに話す。
しかしこれでも前進した方なのだ。何せ10年前ーー出会ったばかりの頃は天化と一対一で話すことすらできなかったのだから。
極度の人見知りで極度の恥ずかしがり屋。そのくせ身の丈以上の大剣を軽々と扱うほど強いーーそれが天化の姉弟子だった。
「たった10年で宝貝を使いこなせるなんて……やっぱり天化くんには才能がある」
それに比べて私なんて……。
俯いた少女の顔は暗い。背中にどんよりとした影を背負って、名前は自分を卑下する言葉を呟く。
人見知りで恥ずかしがり屋。ついでに自己評価もすこぶる低い。そんな姉弟子に、天化は溜め息を吐いた。
「……才能っつったって、俺っちにはあーたの剣は使えねー」
天化は自分よりもずっと小さな体を見下ろす。
細い手足。この体のどこにあれほどの力が眠っているのか。あれほどの力を得るためにどれだけの修行を積んだのか。
天化は自分よりほんの少し年上の、自分よりずっと小さな少女を見下ろし、その頭に手を置いた。
「自信持てよ、名前。俺っちはあーたが姉弟子でよかったって思ってんだからさ」
「天化くん……」
ありがとう、と。
笑う天化につられ、少女の間白い面にも色がつく。淡い朱が差す頬。ほのかに緩む口許。とろりと潤む、瞳。
こぼれそうなほど大きな目も陽に透ける髪も、幼い頃と変わらない。
そのはず、なのに。
「……っ、」
幼い頃とは違い、天化の心臓はどくりと脈打つ。感じる熱は手合わせの最中よりも鮮烈で、音を立てる心臓は手合わせの後よりも大きく胸を叩いた。
そんなことは露知らず。名前は爪先をもじもじとさせ、「でも……、」と口を開く。
「やっぱり……もっと自然に話せるようになりたい……」
「それはまぁ……慣れるしかないさ」
10年。それだけの時間がかかってしまったが、天化とだってこうして差し向かいで話せるようになったのだ。やはり慣れが一番の解決策だろう。
天化が肩を竦めると、名前は「うぅ……っ」と呻いた。眉尻は情けなく下がり、指先は無意識のうちに弄ばれる。
「み、みんなが天化くんみたいに優しければいいんだけど……」
「別に俺っちは、」
特別優しい、わけじゃない。
苛立つこともあったし、もしもこれが彼女でなかったら。ーー名前が、いたいけな少女でなかったら。
「…………、」
「天化くん……?」
けれどそれを名前に告げる気にはなれなかった。
もしも真実を知ったら?ーーきっと名前は傷つく。そんな彼女を見るのも嫌だったし、何よりその後のことを考えたくなかった。その後、今の居心地のいい関係が崩れるのが、何より嫌だった。
酷く自分勝手な考えだ。自分の中にこれほど汚い感情があるなんて知らなかった。これほど汚い感情を名前にーー家族に向けるのは間違っている。
名前は姉弟子で、妹のようなもので、小さくか弱い、守るべき存在で。ただ、それだけであったはずなのに。
「それなら名前も人間界に行ったらどうだろう?」
二人の間、不意に降り立った声。
それは明るく朗らかで、眩しさに思わず目が眩んだ。
「コーチ!」
顔を輝かせる、名前にも。
コーチーー師である道徳真君は帰ってくるやいなや、爆弾を投下した。人間界。それはかねてより天化が行きたいと希望していた場所であった。
そのことは道徳真君も承知している。だから天化に対し、大きく頷き、
「そろそろ天化には人間界に行ってーー太公望の力になってもらおうって話になってね」
と、常にはない真面目な語調で言った。
「じゃあ、」逸る心のまま口を開く天化を制し、道徳真君は笑った。
「あぁ、まずは武成王が西岐に辿り着けるようにしてもらいたい」
武成王黄飛虎。天化の父は妲己の策に巻き込まれ、朝歌を離れることになったらしい。
国を乱す仙女妲己。殷に長年仕えてきた黄家出身の天化にとって彼女の存在は大きな気がかりであった。
しかも今回は黄家に直接の被害が与えられた。親族、母と叔母を手にかけられ黙っていられる天化ではない。
胸に広がるのは家族を失った悲しみ、そして彼女らを守れなかった悔しさーーだろうか。複雑な心境に唇を噛むと、自身を心配そうに覗き込む目とぶつかった。
10年前と変わらぬ真っ直ぐな目。大丈夫か、と問われている気がした。
その灰色の大きな目に頷きで返し、天化は彼女の手を握った。なぜだか無性に彼女に触れていたいと思った。
そんな二人を微笑ましげに見つめ、道徳真君は言葉を続ける。今度は名前に向かって。
「いい機会だ、名前も天化に着いていくといい」
「けど名前は、」
名前が師の意見に異を唱えることはない。それほどに彼女は師を信頼しているし、そしてきっとそれ以上に師を想っている。
だから道徳真君がこう言ってしまった以上、彼女はそれに従うだろう。たとえ彼女が誰を想っていたとしても。
ーー師と、離れがたいと思っていたとしても。
そう、天化は考えたのだけれど。
「……私、行くよ。行きたい、し」
他でもない名前自身に、止められた。
変わりたいから。そう言った彼女の声は相変わらず頼りないし、瞳は未だ迷いに揺れている。
けれど握り締めた天化の手を、彼女が離すことはなかった。
だから天化にはそれ以上口を出すことができなかった。無理をしているんじゃないか。本当は仙人界に留まりたいんじゃないか。もし、師の言葉がなかったらーー
「それに私は天化くんの姉弟子だもん。姉弟子として……ちょっとくらいはいいところを見せなくちゃ」
彼女よりもよほど天化の方が迷っていた。彼女を連れていくこと。彼女を平穏から遠ざけること。そういったものを理由に、天化は躊躇した。
けれどそれは誤りであったらしい。見くびっていたというべきか。
名前は気合い十分といった様子で拳を作り、しかし天化と目が合うと途端に羞恥に顔を赤らめた。
「そ、それくらい頑張りたいってだけで……その、天化くんと張り合おうとかそういうのじゃなくて……」
「……大丈夫、わかってるさ」
わかってる。名前に他意などないことくらい。わかってる、それでも。
「なら俺っちも負けてらんねーな。弟弟子としていいとこ見せねーと」
嬉しかった。……のだと思う。たぶん。きっと、この胸の高鳴りは。
そういうことーーなのだろう。
「俺っちのカッコいいとこちゃんと見とけよ?」
「……でも天化くんはいつだって……」
「ん?」
「な、なんでもない……!」
赤くなったり青くなったり。見ていて飽きない姉弟子の手を引いて、天化は師に向き直る。
これまではずっと父の背中を追いかけてきた。父を越えることを一番に目指してきた。
けれど、今はそれだけじゃない。
「……じゃあ行ってくるよ、コーチ」
「ああ!」
道徳真君。天化の師であり、名前の最も大切な人。
越えるべきは最早父だけではない。尊敬する師匠にもまた負けられない、越えなければならない。
そう思いながら、天化は師を見つめた。強い決意を込めて。
その横で名前は二人を交互に見やっていた。真剣な様子の天化と朗らかに笑う道徳真君。対照的な二人の表情に首を傾げているのだった。