ガウェインと両片思いするアーサーの娘2


「お姫様の定義ってなんだと思う?」

 出し抜けにそう言った少女、名前の目は魔術師を見ていなかった。
 物見の塔、その窓からいずこかを眺める彼女は正真正銘この国の姫君である。だがその血肉は正しい人の営みから産まれたものではない。王国に不可欠なもの、騎士の願い、戦うための理由、そうしたもののために彼女は生み出された。
 だから彼女は生まれながらにして姫君であった。守られるだけの存在。王家を次代に存続させる胎。そのためだけにある彼女は、そのために必要なものをすべてその身に宿して生まれた。
 永久に枯れないブリテンの華。栄華の象徴たる姫君はしかし、憂いを帯びた目で王宮を見下ろしていた。
 ここから見える景色のなかに魔術師の心を踊らせるものはない。だから少女が何を思ってこの高い高い塔を上ったのか。そして今何を見ているのか。魔術師にはわからなかった。
 わからないからこそ、興味を引かれた。

「姫君といったら君だってそうだろう?だからつまり今君の持っているものこそが姫君の定義だということじゃない?」

 この答えが彼女の求めるものではないと魔術師は知っていた。そしてそのことを名前も理解していた。
 だから彼女は「ずいぶんつまらないことを言うようになったのね」と、冷たい目を魔術師に向けた。
 騎士たちには決して見せない冷ややかな空気。それすらも愉快と魔術師は笑う。笑うから余計に少女の機嫌は悪くなる。ブリテンの華らしからぬ表情になる。

「わたくしは真面目に言っているのよ」

「なら私以外の者を呼んだらいい」

「あなた以外の誰に言えというの」

 姫君は、名前は、ほんの少し瞳を翳らせた。
 永久に枯れないブリテンの華。騎士の憧れ、その体現である彼女に男たちは夢を見る。各々好き勝手に、理想とする姫君の姿を映し出す。そこにはブリテンの華としての姫君しかいない。本当の名前など、誰も見てやしないのだ。
 だから彼女の問いに彼らは答えられない。彼らは盲目で、それ故にブリテンの騎士であるのだから。

「すまない、意地悪がすぎたようだね」

「謝らないで。あなたに人間的なことなんて求めてないもの」

「相変わらず君は私に対して辛辣だなぁ」

 だからこそ名前といるのは楽しい。ひとり物見の塔に向かう少女をわざわざ追いかけたのもそのためだ。
 アーサー・ペンドラゴン。かの騎士王は花の魔術師に信を置いている。
 けれど彼ーーいや、彼女を模してつくられた名前はそれとは対照的なものを魔術師に向けてくる。姿かたちが似ているからこそ、その差異が一層面白い。王を尊敬する名前が、彼女の前でだけは魔術師に異を唱えないのも、また。

「それで……そう、お姫様の定義だっけ?私からしたらそうだなぁ……やっぱり可愛い女の子っていいよね」

「あなたは可愛い女の子なら姫君だろうと村娘だろうとどちらでもよいのでしょう?」

「そりゃあそうだけど。姫君が美しいのは定石だろう?君だってほら、蝶よ花よと愛でられてるじゃないか」

 魔術師が褒め称えても名前は気のない返事しか返さない。魔術師の言うことなどそのほとんどが信憑性にかけると彼女は思っているのだ。
 だからこの時も「そうね」と視線すら魔術師に流さずに答えた。

「そうね、わたくしは皆に愛されているわ」

 けれどその言葉はおよそ愛とは程遠かった。空虚。少女の瞳は冷え冷えとしていた。
 皆が彼女に捧げる愛。それは少女が姫君であるからこそのもの。彼らが捧げる愛は姫君に宛てたもので、つまりはそう、名前本人のことなど誰も知ろうとはしない。彼女の敬愛する王もまた。少女にブリテンの華であることを望んだ。

「……君は愛がほしいのかい?」

 それまで受け流していた魔術師の言葉。
 けれどこの瞬間、少女の肩は震えた。ぼうと下界を見下ろし、ビスケットを砕いては小鳥に与えていた少女の目が、初めてきちんと魔術師に向けられた。
 抜けるような蒼の瞳。王のそれが清廉さを表すなら、少女のこれは何を示すのだろう。綻び始めたばかりの華は、風に揺られながら唇を開いた。

「……そうよ、わたくしは愛がほしいの。他の誰でもない、わたくしだけに向けられた愛が」

 王の愛は国へ与えられ、騎士の愛は各々の姫君に与えられ。
 誰からも愛されながら、しかし誰からも一番には想われない少女は、蒼い瞳をさめざめと濡らしていた。表情には一切表さずとも、彼女は心のうちで泣いていた。
 王のそれが清廉さを表すなら、少女の瞳は彼女のこらえた涙の色をしていた。

「姫君に必要なのは美貌でも血筋でもないわ」

「……というと?」

 魔術師には少女の言いたいこと、望みがぼんやりと見えていた。
 それでも魔術師はそれをちらりとも見せず、少女を促した。語るべき相手のいない少女の、たったひとりの聞き手として。
 少女はまた窓の向こうに目をやった。けれどその目は先程までとは違う。先程までの空虚がそこにはない。少女の視線は一点に捕らわれ、少女の瞳は清らかに凪いだ。

「ーー王子様がいるってことよ」

 綻び始めたばかりのブリテンの華。淡く色づく少女の頬。蠱惑的な紅い唇は弧を描き、たったひとりのために捧げられる。
 たったひとり、彼女の王子様のために。

「……けれど彼女の恋は実ることはなかった」

 魔術師以外に人影のない"塔"。その片隅で魔術師は語らう。王の話を。王と、彼女と共に生き、散ったものたちのことを。
 魔術師は知っていた。ブリテンの華がたったひとりのものにならないということをーー少女の恋もまた彼女自身と同じく散るさだめにあるということを。

「だって彼女は華だからね」

 ブリテンの華たる少女。崩壊する未来にある円卓。だからこそ彼女の恋は実らない。実るはずもない。華は華らしく、円卓と共に散った。
 そのすべてを魔術師は知っていた。きっと、恐らく少女も。
 彼女が王子と定めた男。円卓の騎士がひとり、ガウェイン。彼が妻を迎えたその時に、少女は悟った。

「わたくしは華であり続けなければならないのね」

 そう魔術師に溢した少女の目は諦念に満ちていた。珍しく、魔術師の胸が痛むほどに。

「取り返しのつかないことをした、と私に思わせたのは後にも先にも王とその姫君、二人だけさ」

 魔術師は自嘲した。
 たったひとり、"塔"の中で。
 円卓は崩壊し、王も姫君も露と消えた後も、彼は語り続ける。王と円卓の騎士たちの物語を。