苦手なもの

 名前の前には一杯のお粥がある。真っ白なお粥がある。

「…………」

 時間は刻一刻と過ぎていく。なのに名前の箸は進まない。お粥を前にして硬直したまま。焦りだけが加速していく。
 ちらり、と視線を横にずらす。ベッドの脇、椅子に座った透は、面白いものを見る目で名前を見ていた。

「ほら、早く食べないと」

 そう急かされて、スプーンを握り締める。一口、掬い取り、震える手で口元に運ぶ。
 でも。

「ううっ……」

 ダメだった。鼻先でその匂いを嗅ぐだけで負けてしまった。勇気はくじかれ、スプーンは皿に戻る。
 透は笑った。

「そんなに嫌いなんだ」

 名前は小さく頷いた。
 病院食とは往々にして簡素なものである。とはいえそれが患者のためであることくらい名前も承知している。食事を摂らなければならないことも。
 それでもこのお粥という代物だけは無理だった。昨日の昼に初めて相対したそれは、名前の喉を嘔吐かせた。その日は結局残してしまったが、今日は透がいる。きっと彼はそれを許さない。

「どこがそんなにダメなんだ?」

「……味がないところ」

 味がなくて、どろどろしているところ。つまり、味も食感もみんなダメだった。ついでに匂いまで嫌いになっていた。
 「それはどうしようもないなぁ」透は唸った。そう、どうしようもない。お粥とはそういうものなのだから。

「おかずと交互に食べても無理?」

「昨日試したけど、」

 名前は首を振る。一緒に食べればお粥への不快感も薄まると思ったのだが。「お粥の方が強かった」他のメニューはお粥のどろどろに呑まれてしまった。全部残してしまうよりは、と昨日はお粥を残して他のものだけを食べて終わりにした。
 「そうか……」透は腕を組む。考え込んだ様子に、肩身が狭くなる。こんな子どもの我儘で透の手を煩わせるなんて!
 改めてお粥と対面する。真っ白なお粥。一面の白に呑まれそうになるのを振り切って、スプーンを構え直す。小さく掬い、息を止め、目を閉じて。
 一気に突っ込んだ。

「…………っ」

 ぐっとお腹に力を入れて。できる限り素早く。味も食感も感じる間もないくらいに、飲み干した。
 それから急いで水を呷る。ごくり、ごくり。汚れを洗い流すと、眼を見開いた透と目が合った。

「褒めて、くれる?」

 窺うと、微笑まれた。「……ああ」えらいえらい、と頭を撫でられる。慎重に、丁寧に。壊れものでも扱うかのように優しく撫でられる。そうすると喉に残った不快感も消えていくような気がした。
 そう、話すと。

「じゃあ、」

 透がスプーンを奪い取る。名前が何か言う間もなく、その手がお粥を汲み上げる。「はい、あーん」名前の眼前に突き出されたスプーン。あーん?言われたことが理解できず、目を白黒させていると。「ほら、口を開けて」と急き立てられる。
 思わず、口を開くと。

「う……っ」

 舌の上に広がる異物感。目をぎゅっと瞑り、なんとか流しきる。「急に口に入れるなんてひどい」涙目で透を睨む。おかげで覚悟する間もなかった。

「こういうのは早く済ませた方がいいんだよ」

 なのに透はまったく悪びれず。というか、なんだか楽しそうに。「はい、次」再び、スプーンを差し出してくる。
 名前はスプーンと透を交互に見た。真っ白なお粥。にこにこ笑っている透。……逃げられない。
 名前は、腹を据えた。

「こんなにつらい食事は久しぶり……」

 お粥を肉じゃがとお浸しと……残りのおかず全てで浄化した後。名前はぐったりと横になっていた。透は最後までスプーンを離さず、半分泣いている名前に容赦なく食事を摂らせ続けた。
 「よしよし、頑張った頑張った」笑いながら、彼は名前の頭を撫でる。そうすれば名前が何もかも許してしまうと分かっているみたいだ。ズルい。おまけに「僕を心配させた罰だよ」なんて言うものだから、もう文句なんて言えなかった。できるのは約束することだけ。

「二度はないもの」

 今度こそ負けるものか。そう握り締めた拳は透に包まれた。





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お題箱より。
主人公の苦手なものについてはジンと赤井(どちらも克服できない)しか考えていなかったので結構悩みましたが……、ほのぼのした話が書けてよかったです。ありがとうございました。