もしも降谷零と幼馴染みだったら


本誌バレ
同じタイトルのとは繋がってない





 彼女が降谷零のクラスに転校してきたのは、宮野一家がこの地を去って暫く経った頃だった。

「……名前です。よろしく」

 そう挨拶した彼女は姓を名乗らなかった。けれど黒板には彼女のフルネームが担任の手によって既に書かれていた。だから零は彼女が自分と同じなのだということがわかってしまった。
 日本人なのに日本人らしくない容姿。零よりも淡い金色の髪。琥珀色の目は狼のように鋭く、ちいさな子供たちのなかにあっては異端だった。
 だから彼女は転校して数週間が経ってもいつもひとりだった。
 零はそれを遠くから眺めていた。同じものを持つからこその共感と、何もせずにいる彼女への苛立ちと。複雑に絡み合った感情は零の足を絡めとり、踏み出すことを躊躇わせた。
 けれど、ある日。
 体育の授業中、いつも通りぽつねんとしている彼女を見るともなしに眺めている時だった。

「……、」

 ふと視線があった。
 それは初めてのことで、そのつり目がちな瞳に、不覚にも零は動揺してしまった。疚しいことなど何もないのに、無性に胸がざわついた。
 なのに彼女はそんなこと気にも留めず、みるみるうちに距離を詰めていく。そしてあっという間に零の前に立つと、

「……はじめまして」

 と言って、手を差し出してきた。

「あぁ……、」

 それに反射的に応えてしまってから、零は首を傾げた。
 彼女が越してきて数週間。そう、もうそれだけの時間が経っているのだ。たとえこの会話がふたりにとって初めてのものであっても、この切り出し方は変だろう。
 それを零は素直に指摘した。「はじめましてじゃないだろ」と。
 するとなぜか彼女は眉尻を下げた。ーー初めて。
 そう、初めて彼女の顔に感情が浮かんだのだ。

「……ごめんなさい。会話の始め方はそれしか習ってないから……」

 名前は所在なさげに視線をさ迷わせた。
 ……こんな顔もできたのか。
 驚きとよくわからない感動を覚える零を、彼女は上目で窺った。

「迷惑……なら、なかったことにして」

「いや、迷惑じゃないけど……」

 なぜ自分に声をかけたのか。
 名前はひとりぼっちだというのに寂しげな様子を見せたことは一度もなかった。そう、一度も。
 だから慰めを求めたわけではないのだろう。そして同情してほしかったようにも思えない。
 戸惑いを露にする零に、彼女はちいさな声で、「……ひぃが、」と囁いた。

「ゼロと話してみろって勧めてくるから」

「ひぃ……あぁ、」

 友人の名に、そして彼の性格に、零は納得の声を洩らす。彼ならばお節介を焼いても不思議じゃない。その相手がたとえ孤立する転校生だとしても。

「しつこかったろ?アイツ、そういうとこ気が利かないから」

「ん……、でも」

 少女は視線を走らせた。今度は明確な意図を持って。ーー件の少年の元へと。
 はにかみ笑いながら、彼女は言った。

「……たぶん、間違いじゃなかった」

 そんな気がする、と今度は零に移る視線。意外にも柔らかく緩んだ瞳で、名前は続けた。

「あなたと話すの、難しくない。……ひぃ以外では、初めて」

「……そう」

 いつの間にアイツと仲良くなったのかとか。話すのが難しいってどういうことなのかとか。
 聞きたいことはいくらでも後からなら思い浮かんだのだけれど。
 この時は何も言えず、零は目をそらすことしかできなかった。

 それから名前との会話は少しずつ増えていった。話すうち、著しく一般常識が欠けていることや、感性が普通の子どもとはどこかずれていることに気づいた。だから彼女は孤立していたのだ、と。
 そしてそのズレが零には心地よかった。

「へぇ、名前はアメリカから来たのか」

「そう。でも観光案内はできない。美味しいサンドイッチの店なら知ってるけど」

「いやそのためにわざわざアメリカまで行かないって」

 名前は気にしない。日本人だとかそうでないとか。彼女は一度だって零の容姿について触れてこなかった。他の人と違うことに、彼女は恐ろしいほど鈍感だった。
 だから零とふたりきりで下校するのにもなんの躊躇いもなかった。誰にどんな噂をされようが名前の耳には入らないのだろう、恐らく。

「確かにわざわざ行くこともない。ここの方が居心地がいいし」

「ふーん……」

 そう言われて悪い気はしない。
 零は照れ隠しに鼻の下を擦った。そうしても名前はとやかく言わない。深く訊ねることも。
 ただ、「ここにはひぃもゼロもいるから」とだけ言う。出会った当初よりもずっと自然な微笑を添えて。臆面もなく彼女は言うのだ。いつだって。

「……恥ずかしいヤツ」

 そういうところは幼馴染みと似ている。だからこのふたりも気が合うのだろう。ふたりして驚くほど真っ直ぐすぎるから。

「……日本人じゃないっていう目で見られるの、嫌だと思わないのか?」

 だから思わず零は聞いてしまった。
 この国に産まれたことに後悔はない。この体に流れる血を恥ずかしいと思ったことも。
 けれど奇異の目で見られるのは事実で、それを疎ましく思うのも本当だった。

「……あぁ、それなら」

 その問いに、意外にも名前はあっさり頷いてみせた。まったく気にした風もなかったのに。
 目を丸くする零を、名前は相変わらず感情の薄い瞳で見つめ返す。

「面倒って思う。お陰で動物園の動物の気持ちがちょっとわかった」

「動物……」

「あ、見世物小屋の珍獣って言った方がよかった?」

「どっちでも同じだろ……」

 名前の素直すぎる物言いに、零は笑ってしまった。まさか自分を珍獣に例えるとは。いやまさにその通りなのだけれど。
 しかしそれでも名前はこちらの方が居心地がいいと言う。

「それは一皮剥いたらみんな同じ血が流れてるから?」

 先生から貰った忘れられない言葉。それを口にすると、名前は「それもそうだし……」と真顔で言葉を紡ぐ。

「どのみち人間なんて死んだらみんな骨だもの」

 名前は大人びた顔で肩を竦めた。その台詞の物騒なことといったら。とてもいたいけな小学生が口にするものではない。
 が、零は呆気にとられた後で、思いきり笑ってしまった。

「骨って……」

 腹を抱える零を、名前は不思議そうに見下ろす。その容貌は幼く、ちいさな体はどこにでもいる普通の子どものそれだ。
 けれど周りの者にはない何かが彼女にはあった。その正体をこの時の零は知らなかったけれど、ただその普通じゃないところに惹かれていた。

「……ボクも、嫌いじゃない」

「何が?骨が?」

「……なんでもない」

 それを素直に口にするにはまだ幼すぎたけれど。