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 神農は存外早くに見つかった。目ぼしい霊穴を巡れば会えるだろうとは思っていたが、そこはやはり鬼気迫る四不象の働きのお陰である。

「神農、おぬしなんつーことさらしくさっとんねん……!!」

 神農を締め上げる太公望の口調は、怒りのせいか聞き慣れないものと化していた。
 「何をたくらんでわしらを過去に……!!」そう問い詰められる神農。だが、その表情は相変わらず涼しげで。

「未来の私がやったことを過去の私にわかろうはずもなし」

 飄々と言ってのけるところは太公望ともどこか似ていた。
 ひょっとして、『最初の人』とは皆このように掴み所のない人物なのだろうかーー?
 ひとり想像を膨らます名前をよそに、神農は笑いながら鼻を擦る。

「でもきっとただのいたずら心じゃないかな?私にはそういうところが無きにしもあらず」

「なんという迷惑な自己評価……」

「ま、まぁまぁ……」

 青筋を立てる太公望もなんのその。依然として神農は笑みを絶やさない。その様子にはからかわれているのかとさえ思わされた。
 しかし事は一刻を争う。

「でもこのままじゃボクは消えてしまうっスよ!どうすればいいんスか!?」

 四不象の目に浮かぶ涙。張本人としては藁にも縋りたいだろう。たとえその相手がいかに胡散臭かろうと。四不象の会った彼ではないとしても。
 『最初の人』であることに違いはないのだから。

「よし、禁光ザで何が起こってそうなったか調べてあげよう」

 そして名前たちは目にすることになる。ディスプレイモードとなった禁光ザにより、四不象の体が消えかけている原因を。
 原因はここより未来、即ち本来の時空で名前たちが禁光ザに吸い込まれた時にあった。
 その時四不象の懐には手紙があった。太公望の自堕落ぶりに呆れた彼が、母親へと綴った手紙が。
 それは時間の矢を流れるうちに四不象の懐から落ち、これよりもずっと過去、五百年ほど前にまで飛ばされていった。そしてなんの因果か、若かりし頃の四不象の母の手元に落ちたのだった。
 そこにはこう綴られていた。

『スープーママへ
 もうなにもかも
 イヤになったので
 実家に帰るっスよ!!』

 皮肉なことに、手紙には差出人の名が書かれていなかった。そしてこの時四不象の母を"ママ"と呼ぶのはたったひとり……四不象の父しかいなかった。
 こうして誤解から夫婦の間に亀裂が生じ、ふたりは離婚することとなる。だからこの後に生まれるはずだった四不象が、"今"では存在しないということになりーー

「そのせいでスープーどのは消えかけていると……」

「そういうことだね」

「ええええええええええっ!?」

 確認を取る名前と、さらりと言い放つ神農。その後ろで四不象は頬を押さえ、叫んでいた。
 あまりにも些細なーーけれど大きな転換点。過去とはこの程度の介入で現在にまで影響を及ぼすのだ。
 それを思い知らされ、名前は内心青ざめた。
 やはり先程戦闘に踏み込まなかったのは正解だったのだーー。
 もしも手を加えていたらどうなっていたろう。想像するだけで恐ろしく、血の気が引く。同時に良かったとも思い、胸を撫で下ろした。良かった、影響がこれ以上広がらなくて。
 けれどこのまま四不象の存在をなかったことにさせるわけにはいかない。

「神農よ、なんとかパパとママを復縁できぬのか?」

 溜め息を吐く太公望に、神農は「できるよ」とあっさり首肯した。
 彼が禁光ザを操作すると、『終』と大きく書かれていた画面がパッと切り替わる。

「この場合、原因はこの手紙だから、ここまで巻き戻して……」

 停止した画面に映る、スープー谷に飛来したばかりの手紙。そこに神農は手を突っ込み、「ひょいっとな!」という間の抜けた掛け声と一緒に四不象の手紙を画面から引っ張り出した。いとも簡単に。

「やったっス!!元にもどったっスよ!!」

 そしてたったそれだけのことで、四不象の消えかけていた体は実体を取り戻した。
 あまりに呆気ない解決に、名前は思わず四不象の体に触れた。触れて、確かめた。

「本当に直ってる……」

 恐るべしスーパー宝貝。スーパーというだけあってその性能も段違いということか。そしてそれを事も無げに扱う神農もまた、恐るべき力を有しているのだろう。
 改めて、すごい人なのだと名前は尊敬の目で神農を見た。
 それを正直に伝えると、彼は

「いやいや、照れるな」

 と、頭を掻いた。
 その仕草は普通の人のようである。けれどそう言うくせ、顔にはまったく恥じらいの色がない。らしいと言えばらしいが……やはりその心は名前には計り知れない。遠い存在なのだと痛感させられた。
 とはいえこれにて一件落着。この時代に残る理由もなくなったし、帰還方法も得た。

「ではわしらを元の時間に戻してもらおうか」

「うん……、お別れは寂しいけどしかたないね」

 そう言った神農は、ふと太公望を見て、何がおかしいのか含み笑った。

「それにしても……伏羲、君が所帯を持つとはね」

 ーーいやはや。 禁光ザを持っていても世の中にはまだまだ思いもがけないことがあるとは。

「…………?」

 最初、名前は彼が何を言っているのかわからなかった。いや、理解が追いつかなかったと言った方が正しいか。
 固まる名前を置き去りにして、神農は変わらず朗らかな笑顔のまま。そこにはからかいの色もなければ、冗談を言っているようでもなかった。

「長生きはするもんだね。あぁでもお祝いは未来の私に託すことにしよう」

「いや待て神農……」

 太公望は何事か言いかけた。けれどそれは神農に届く前に消えた。時間の矢の中へと。
 問答無用で禁光ザに吸い込まれた三人。放射状にいくつもの色が伸びる空間は、あまりにも目に優しくない。
 しかし太公望が頭を押さえるのも、名前の視界が眩んだのも、それだけが理由ではない。

「まったく神農のヤツ……」

 深々とした溜め息。それがなんのためであるかなんて名前には推し量ることしかできない。
 ただ、彼が名前を思ってくれているのは真実で。

「……でもわたしは嬉しかったです。束の間でも、夢を見ることができて」

 だから名前は微笑むことができた。自然と、心から。
 いかに想っていようと、名前が太公望と契る日はこない。きっとそれを彼は望まない。この星と同化する道を選んだ彼は、名前に傷を遺そうとはしない。絶対に。
 それでいいと名前も納得した。納得したから、夢を見ることはしなかった。そうしても叶わないのだから。
 でも、神農の言葉のお陰で名前は夢を見ることができた。他者から与えられた夢は色鮮やかに名前の中に広がり、溶けていった。

「名前……」

「ありがとうと、伝えなくてはなりませんね」

「……おぬしがそう言うのなら」

 太公望はほんの少し寂しげに瞳を翳らせた。それで十分だった。それだけでーー与えられた思い出さえあれば、名前は生きていける。

「ですが本当に大事にならず済んで良かったです」

「そうだのう、一時はどうなることかと思ったが……これにて外伝も無事終了というわけだ」

「外伝?」

「外伝ってなんスか?」

 聞き慣れない言葉に、名前も、それまで様子を伺っていた四不象も、揃って首を傾げた。太公望は時々理解の及ばぬ次元の話をする。それは道士ゆえか、はたまた『最初の人』ゆえか。
 ともかく太公望がそれを説明することはなかった。代わりに、「これでわしも晴れて神農たちと合流できる」と殊更大仰に喜んでみせた。

「やっぱり御主人も他の最初の人みたいに、この星と融合してしまうんすか?」

「モチのロンパパだ!これこそは呼吸すらしなくてよいリタイア後の優雅な老後生活!」

 老子のやつあたりはさぞ羨ましがることであろう、と太公望は悪い顔で嘯いた。それだけが理由ではないくせに。
 四不象はそれに気づいているのか、いないのか。彼はハァ…、と溜め息を吐き、

「確かに御主人はそうしてもバチが当たらないぐらい働いたっスからねぇ……」

 と諦めの滲む声で呟いた。そうした後で、「でも名前ちゃんは、」と視線を流した。
 四不象の大きな目。それは名前を気遣う優しい色をしていた。その優しさに小さく首を振り、大丈夫だと言外に告げる。あなたが気にすることはない、と。

「……名前ちゃんがそれでいいならいいんスけど、」

「ええ。……ありがとう、四不象」

「これくらい当然っス!……そうだ!寂しくなったらうちに来るといいっスよ!スープー谷はいつでも大歓迎っスから!!」

「じゃあお言葉に甘えてスープー一家の子になろうかしら」

「こらこら」

 半ば真剣に名前が言ったのを太公望は聞き逃さない。目ざとく察すると、牽制の語を発した。
 けれどそんな穏やかな時間も長くは続かない。

「むぅ!元の時間への出口だ!」

 永遠とも呼べる空間の果て。一際眩い光を太公望は指差した。そこが終着点、未来の始まりなのだと。

「着陸体勢に入るぞ!」

 太公望の声に、名前も身構えた。
 ここから先を名前は知らない。どんな未来が待っているか。ーー太公望のいない明日が、どんな色をしているかなんて。
 けれど受け入れるしかない。
 そう覚悟を決めて、名前は時間の渦から抜け出した。抜け出し、慣れた地面に降り立った。
 ーーそのはずだった。

「ーーーー!?」

 声にならない叫びは誰のものか。
 太公望も名前も四不象も、皆一様に目を見開いていた。目の前に広がる景色が、光景が、世界が、信じられなくて。

「これは……何もかも無くなっておる……!!」

 三人の帰りついた場所。そこには覚えのある景色はひとつとして残っていなかった。青い空も、繁る緑も。世界は色を失い、ただただ荒涼とした大地が広がっているのみだった。