普賢真人×(引きこもり+無口)道士end


 聞仲の強さは想像を遥かに越えていた。

「黄竜っ!!慈航っ!!!」

 崑崙十二仙。そのうちの二人が禁鞭に打たれ、落ちていく。一切の抵抗を見せず、ただ重力に従って。

「そんな……」

 接近戦に長けた二人だった。決して弱くない、崑崙十二仙の名に恥じぬ二人であった。
 そんな二人が、地に伏せたまま動かない。体から流れる血が止まらない。彼らの輪郭が溶け、魂が飛んでいくのをただ見ていることしか名前にはできなかった。

「余力を残して戦うのは死にゆく者に対して失礼だったな。だが私が本気を出した以上……仙人界は今日滅亡する!!」

 聞仲の言葉は大袈裟なものではなかった。皆がその瞬間思い浮かべた。仙人界が滅びる様を。そうさせるほどの説得力が彼にはあった。

「これが殷の太師……」

「これが……聞仲!!!」

 十二仙すらも凌ぐ力。圧倒的な強さに、唾を呑む。
 気圧されていた。そしてそんな名前たちを聞仲が待つことはない。

「うわっ!!!」

 聞仲が再び禁鞭を振るう。大きく、激しく。それだけで宝貝合金の黄巾力士がいとも容易く落とされた。

「……っ!」

 名前も他の十二仙たちと同様、足場を探して降り立つ。それはちょうど四不象のすぐそばで。

「これで否応無しに理解出来ただろう、太公望。人数が増えても私を倒すなど不可能だとな」

 そう言った聞仲に呆然とする太公望の顔がよく見えた。見えてしまった。いつだって飄々としていた彼が、聞仲の持つ空気に呑まれているのを。

「望ちゃん……聞仲が強いなんて最初からわかってた事さ!死者が出たからって揺るがないで!!」

「わかっておる!!」

 落ち着いた普賢の顔も。浮かぶ微笑も。
 それは名前にある記憶を思い出させた。封神計画。その大きな計画を成すには、きっと同じだけ大きな犠牲が伴うだろうと。
 悲しげながらも、静かに語っていた時の普賢の顔と重なった。
 ーーだから。

「木タク、キミは望ちゃんを守ってて」

 彼が弟子にそう言った時、名前にはなんとなく察しがついた。名前にも、きっと太公望にも。

「余計な事を言うでない!!護衛など不用だ!!!」

 だから太公望はそう言ったのだろう。焦りを浮かべて。

「太公望師叔!ここは十二仙に任せましょう!!」

「楊ゼン!!?」

 しかしその肩は楊ゼンに掴まれた。彼もまた十二仙の覚悟を感じ取っていたのか。太公望に放せと抵抗されても、楊ゼンがその手を放すことはなかった。太公望の伸ばした手が普賢に届くことも。

「たのんだよ、楊ゼン」

 そう言った普賢の顔は名前からは見えなかった。けれど見えなくてよかったと思う。見てしまったら、名前も太公望と同じようにしてしまったろうから。

「普賢、わたしも行く」

 名前も自身の宝貝を抱き締めて、彼の隣に立った。名前の力は戦闘向きではない。けれど、聞仲を足止めするくらいならできる。きっと普賢の役に立てるはずだ。
 そう、名前は言ったのだけれど。

「……いや、名前はダメだ」

「……どうして!」

「ダメだよ、キミも望ちゃんと行くんだ」

 普賢は名前を見た。名前を見て、静かに微笑んだ。
 春の日差しのようだった。その穏やかな笑みが好きだった。好きだったから、名前は太公望の力になると約束した。約束したから、名前は箱庭を出た。安寧とした孤独を抜け出し、騒々しい世界に身を投じた。様々な人と出会うことができた。
 全部全部、普賢がいたからなのに。

「……僕がキミとしたのは『望ちゃんを守る』って約束だよ」

 ーー約束、守ってくれるんでしょう?
 普賢に言われ、名前は言葉に詰まった。そうだ、約束はそれで終わりだった。それで終わりだからこそ、名前はここで普賢と共にいくことができない。名前は太公望を追わなければならない。それが、約束だから。

「それでも、わたしは」

「名前、」

 言い募ろうとした名前を、普賢は一言で制した。微笑を湛えたまま。
 彼は静かに、穏やかに、澄んだ目で、名前を見つめた。

「僕はキミが好きだよ。名前が、"特別に"好きだ」

「……っ」

 名前は息を呑んだ。
 どうしてそんなことを。どうしてこんな時に。そんな疑問は一瞬で過ぎ去った。
 名前は手を伸ばした。太公望がしたように。けれど普賢を止めるのではなく、名前を置いていこうとする彼に追い縋ろうとして。

「……さよなら、名前」

 なのにそれすら普賢は許してはくれない。
 彼は名前の大好きな笑顔のまま、名前を突き飛ばした。

「普賢……!」

 傾いだ体はただ落ちていくだけ。いくら手を伸ばしても距離は縮まらない。名前の手は何も掴むことなく、ただ宙を掻く。
 普賢の姿が遠ざかる。温もりはもうなく、その表情すらも見えなくなっていく。やがては影になり、そうして思い出になっていくのだろう。
 落下する名前が最後に見たのは、目を焼くほどの閃光。そしてその後には耳をつんざく爆発音が響き渡り、最後に残ったのは恐ろしいまでの静寂だった。

「…………」

 瓦礫の上、名前は青空を見上げた。
 煙幕に包まれた金鰲島内部。外壁が無事なのは確認できるが、それ以外に残っているものはほとんどない。ーー生きている者も、きっと。

「普賢は、卑怯だ……」

 温かいものが米神を伝って髪を濡らす。雨が降ったかのように。名前は空を、普賢がいたはずの場所を見上げながら、静かに泣いた。
 普賢はわかっていた。ああ言えば、名前が彼に着いていくことができないと。
 名前を好きだと普賢は言った。そう言った普賢が、好きな人の死を望まないことくらい名前にはわかっていた。この賭けは十二仙だけで十分だと、彼がそう考えたのだろうことは容易に想像がつく。そしてそんな名前のことすら計算に入れて、彼は言った。あの瞬間に。ただそれだけの理由で。
 普賢は言うだけ言って、名前を突き放した。

「……言い逃げなんてずるい。わたしだって、"特別"好きなのに」

 抗議をしても、それに答える声はない。名前の理想の箱庭は永遠に失なわれたのだ。いつからか生まれた空洞が埋まる日は永久に来ないのだ。
 名前は一生、この空虚を抱えて生きていかなければならない。ただ彼と交わした約束だけを胸に。思い出だけを縁に。生きていかなければならないのだ。
 それが、普賢真人の最後の願いだから。








ーーーーーーーーーーーーーーー
そのうち2と3の間を埋めるために中編にするかも。