武官、籤を引く
会議は紛糾した。それもそうだろう。崑崙十二仙のひとり、玉鼎真人が封神されたのだから。
けれど最後には太公望の決定ーー二、三人の少数で金鰲島に侵入し、全滅を防ぐという作戦だーーが受け入れられた。彼こそが指揮官に相応しいと皆感じているのだ。
そしてその班決めを籤引きで決めようと太公望は言い出した。
「これもきっと太公望どのなりの配慮なのでしょうね」
「うん、きっとね」
「お辛いのは太公望どのとて同じですのに……」
「でもそれが望ちゃんだから」
名前は隣に座る普賢真人と密やかに言葉を交わした。
二人ともが想うのは太公望のこと。おどけたフリをして皆の意識を自分に向けさせている彼は、そうすることで玉鼎真人が封神された怒りを逸らしていた。
彼らしいやり方だ。いつだって彼は自分を犠牲にする。そうすることで皆を守り、最良の結果を得ようとする。彼の心だって傷ついているのは確かなのに。
「おぬしら何をこそこそしておる!早く籤を引かんか!」
仕様のない人だ、と普賢真人と微笑み合う。それを張本人に見咎められ、二人は首を竦めた。
通常、戦では彼我の数で戦い方が決まる。今回の場合、味方の手勢は少なく、対して金鰲側の戦力は目に見えていない。少勢の堅は大敵の擒なり。ならば守りを固め、逃げる道しかなくなりかねない。
だから太公望は兵力差を逆転しようと味方を六つに割った。これなら相手を挟撃することも、最悪一騎討ちに持ち込むこともできる。大勢を動かせば敵の目にも留まりやすいが、少数ならばさすがの聞仲にもすべての居所を察することはできまい。兵とは無形であればあるほどにどのような変化にも対応できるのだ。
ーーということを太公望が自ら説明することはなかったので、所詮は名前の推測に過ぎないのだが。
けれど道や将においてーー仲間の意識がひとつになっていることや、指揮官の資質の高さでいえば、崑崙山側に利があると名前は思うのだ。
「名前くんは何色だった?」
籤を引き終えた名前を背後から覗き込んだのは道徳真君だった。
彼は名前が答えるより先にその手の中を見、「ドドメ色か」と声を落とした。
「残念だ、君とはこの機会に色々話したかったんだが……」
「天化どののことですか?」
「あぁ、それもあるが……」
道徳真君は何事かを言いかけた。が、それを言うことはせず、静かに首を振る。
「いや、急ぐことではないんだ。それこそこの戦が終わってからでも」
「はぁ……」
それは名前の今後に関することだろうか。
名前としても仙人界入りするのであれば武芸に長けた師の元につきたいと考えている。その点でも、そして熱い性格からも、道徳真君以上に師事したい仙人を名前は他に知らない。
もしも道徳真君も同じ気持ちであるならとても喜ばしいことであるのだがーー
「まぁこの件はまた後日ということで……。そうだ、君の言う通り天化のことも聞いておこうか。怪我で今回は不参加ということだが、天化を納得させるには骨が折れたろう?」
道徳真君にとっては他愛もない話だったろう。天化の傷の具合を、経緯を知らない彼にとっては。
道徳真君は笑っていた。弟子を想う目は慈愛に満ちていて、彼ら師弟もまた強い絆で結ばれているのだと伝わってきた。
「……ええ、それはもう。たぶん今でも納得はしていないでしょう。本当に悔しがっておりましたから」
「ははっ、やはりな。目に浮かぶよ」
だから名前に真実を告げることはできなかった。伝えるとするならば、それは天化本人からだろうと思った。二人の間に名前が余計な手を加えてはいけないと、そう直感した。
名前の言葉に、道徳真君は仕方のない子だと頬を緩めた。
「あの負けん気はお父上譲りなのだろうが、無茶ばかりしようとするのは師として気が気でないよ」
「そう、ですね……」
咄嗟に。名前は言葉に詰まった。
道徳真君の台詞は天化の現状を把握しているかのようだった。それほどに正確で、名前自身にも心当たりがありすぎた。
気が気でない。今だって、心のどこかで彼の身を案じている。今頃はどうしているのか。まだ地上に残っているだろうか。それとも、もうーー
考えるだけで、胸が締めつけられる。
「名前くん?」
「……いいえ、ただその通りだと思っただけです」
訝しむ声にも名前は応えられない。それは二人のことを思って、というだけではない。
名前は怖かった。この時初めて自覚した。道徳真君と言葉を交わして。彼に事情を話せないのは、それを言葉にすることが怖かったからだ。
天化の傷を、その先の不安を。彼の意志を尊重したい、その心に嘘はない。けれど同じ心で名前は恐れも抱いていた。彼を喪うという恐れを。言葉にすることで、明確にしてしまうのを名前は忌避したのだ。
「……大丈夫だ」
ぎこちない笑みを浮かべた名前に道徳真君が何を思ったのか。何を感じ取ったのか。
彼はそう言い、名前の肩を優しく叩いた。大丈夫だ、恐れることはない、と。
「確かに天化は無茶ばかりするが、それでも今あの子は一人じゃない。太公望や……何より君が側にいる。側に……共に戦ってくれている。だからきっと大丈夫だ」
「道徳さま……」
目の覚めるような思いだった。
名前はいつだって傍観者だった。天化の戦いを見ていることしかできなかった。それを悔しく思いこそすれ、今の自分では並び立てないと思ってもいた。
けれど道徳真君は否定した。名前にも、名前だって天化と共に戦えると。たとえ彼が無茶をしようと、その背を守ることができると。
そう、彼は言ってくれた。
「……わたし、きっと守ります。彼のことも、その心も。きっと、必ず」
「あぁ……君がそう言ってくれるなら安心だ」
道徳真君は目を細めた。本当に、心から安堵したといった風に。
彼は何も知らないはずだった。それでも師として何か感じるものがあったのかもしれない。この時点ではさほど深くは蝕んでいなかった天化の傷を。後々彼が選ぶであろう道を。道徳真君は既に予感していたのかもしれない。
けれどだからこそーーこの時の道徳真君の言葉があったからこそーー名前も選択することができた。これから先、運命の岐路において。
後悔しない道を選びとることができた。