豊水西岸3


 孔宣の爪が空を裂く。それだけでーーその風圧だけで、二人の太公望は足を取られ、勢いよく倒れこんだ。

「太公望さん!」

「っうぅ……いや、平気だ……」

 名前は駆け寄り、未来の方の太公望の手を取り引き起こした。体も髪も土埃に汚れているが、目立った外傷はない。額の傷も血が止まっているし、問題はない……はずだ。
 むしろ問題なのは孔宣の方である。

「自分たちばっかり楽しもうとしてッ★やっぱりここで殺劫を解消するッ★」

 孔宣を中心として巻き起こる突風。その激しさは癇癪を起こした子どものようで。

「いかんんんんんんん〜っ!!これ以上ないほどこじれてしもた〜〜〜っ!!」

 だからこそ手がつけられない。そう、名前も青ざめた。

「なっ……ワープしおった!?」

「なんてエネルギー……魔家四将の比ではありません!!」

「大丈夫さ師叔!?」

 だが事情を知らない過去の太公望たちの動揺はその比ではない。
 太公望は打神鞭を構え、過去の自分たちに視線だけ向けた。

「あやつは雉鶏精、時を止め巻き戻す鳥の妖怪だ」

「時を……?」

「かくなるうえは仕方がない!!おぬしたち力を貸せい!!なんとしても雉鶏精をこの時間から追い払うぞ!!」

 そう、未来の太公望はかっこよく決めたのだけれど。

「殺劫大解放ッ★漲り〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ★★★」

「あぁっ孔宣君のトサカに半妖態の文字がっ!!」

「むぅっ!?」

「ラリるれり〜〜〜〜〜〜ッ★★」

 興奮のあまり半妖態となった孔宣は、体を回転させながら突っ込んできた。
 ーーなぜか、天化の方へと。

「……!?」

 咄嗟のこと。とはいえ歴戦の道士であり、天賦の才もある天化は、危なげなく孔宣の爪を莫邪の宝剣で受け止めてみせた。

「天化どのッ!!」

「ちょっ……まっ……待つさ鳥人間!!」

 しかし孔宣の攻撃は一度では止まなかった。
 右手が防がれるや否や、彼は左手を降り下ろす。それが通らなければまた右手、左手と。
 息つく間もない連撃。しかもそのひとつひとつが片腕とは思えないほどに重く、掠めただけで致命傷となる。

「あーたあのニセ師叔と戦っていたハズさ!!なんで俺んとこに!!」

 それらすべてを受け流す天化は冷や汗をかいていた。さしもの彼も、半妖態の怒濤の攻撃には驚きを隠せなかった。
 しかも彼は雉鶏精の存在も事情も知らない。そんな中で攻撃を続けられればたまったものじゃないだろう。

「ホッホッホ、天化よおぬし孔宣に気に入られたようだのう……ホーホッホ」

「頼むから誰かあのニセ師叔を八つ裂きにするさっ!!」

 あとは任せたでな、と太公望は笑い、どこから取り出したのか畳を広げ横臥する。その手には桃があり、最早完全に観戦体勢だ。先ほど切った啖呵はなんだったのだろう。

「……っ!!」

 天化は追い詰められていた。前門には孔宣。背中は既に城壁まで追い込まれている。孔宣が駆けた大地は割れ、攻撃を受け止めているだけだというのに背後の石壁には大きな亀裂が走っている。
 ーーこれでは、長くはもたない。

「やめんかこのクソガキが!」

「ん?★」

 剣を抜き、斬りかかろうとした名前よりも寸分早く。
 武成王黄飛虎は孔宣の後ろをとっていた。
 天化に夢中になっていた孔宣。反応に遅れた彼にはもう振り返る暇もない。怪訝そうな声を上げたのを最後に、黄飛虎の鉄槌の餌食となった。

「俺の大事な息子になにしやがる!!」

「オヤジ!!」

 孔宣以上に重い一撃。普通ならばこれでもう立ち上がることすらできないだろう。
 ーーけれど。

「下がってください武成王!!」

 雉鶏精には、時間を巻き戻す力がある。
 そして彼がやり直すとしたら今、この瞬間ーー

「時間を巻き戻せばヤなことはすべてなかったことに〜ッ★」

「……くっ!」

 狙うとするなら太公望と同じく一撃を加えた相手ーー武成王に違いない。そして襲うならば不意を突くのが一番だ。
 だから孔宣は武成王の背後に現れる。その読み通り宙に出現した孔宣の爪を、名前は寸でのところで受け止めた。
 ーーやはり、重い。
 が、流しきれないほどではない。

「……ッ!?★」

「名前ッ!!」

 名前は敢えて力を抜いた。防御していた剣を緩めた。
 すると当然ながら孔宣の爪が迫り、名前の腕を裂いた。
 けれど、まだ浅い。
 名前が力を抜いたことで突然均衡を崩された孔宣は、重力に従って傾く。
 それを見逃す名前ではない。彼が態勢を立て直す前に、名前は剣の柄頭をその腹に叩き込んだ。

「いたた〜〜〜〜★」

 間の抜けた声だが、孔宣と距離を取ることはできた。ひとまずはこれでいい。こちらとしても態勢を立て直す時間が必要だ。

「大丈夫か名前ッ!?」

「悪い、俺を庇ったばかりに……」

 腕を振り、血を払っていると、天化にその手を取られた。彼の目は曇り、眉間には皺が寄っていた。
 その父である黄飛虎もまた名前の怪我を案じていた。名前は彼らの知る名前ではないのに。

「いえ、平気です。もう血も止まりましたし」

 それでも単純な心は喜んでしまう。再び彼らと共に戦場に立てた奇跡に。胸は高揚し、怪我の痛みなどどうということはなかった。

「おまえらたんのし〜な〜〜〜っ★もっと殺劫しょ〜〜〜〜〜〜っ★」

 叶うならもっと語らいたいところだが、そうも言っていられない。目を爛々と輝かせた孔宣は待ってはくれないのだから。

「くっ……」

「狂戦士かこいつは!?」

 再度孔宣は宙を蹴る。彼の攻撃は直線的で、だからこそそれがいかに速く、重くとも、対応することは可能だ。

「くそっ!キリがねぇ!!」

「なんとか不意を突かなければ……!」

 名前に斬りかかる爪を天化が防ぎ、天化の死角から現れる孔宣を名前が受け止め。黄飛虎、武吉も追撃の手を緩めないというのに、一向に孔宣の攻撃は鈍らない。底無しの体力。これでは先に消耗するだろうこちらがどんどん不利になるばかりだ。

「天化おめえ魔家四将と戦った傷がまだ治ってねえんだろ!?下がれ!」

「こんな強敵を前に逃げられねえさ!」

「ですがまた血が滲んで……!」

「平気さこんぐらい!!」

 そう、天化は魔家四将と交戦したばかり。道徳真君に応急処置を受けているとはいえ、まだ戦線に戻れる体ではないのだ。
 その証拠に、腕に巻かれた包帯には赤色が混じり始めていた。それに顔色も悪い。血を流しすぎたのだと名前でもわかる。その上孔宣の重い連撃を受け止め続けたら彼はどうなるかーー

「僕が交代するよ!」

 名前までもが蒼白になりかけた時だった。
 一陣の風が吹き、涼やかな声が停滞した空気を切り裂いた。

「!!★」

「楊ゼンさん!!」

 それまで過去の太公望と作戦を練っていた彼は、名前たちの前に立つと、たったひとり三尖刀で孔宣を受け止めた。
 一合、二合、三合と打ち合い、それから彼は左手を振るった。
 その手から放たれるのは宝貝、哮天犬。忠実な宝貝は一瞬で距離を詰め、孔宣の頭にかじりついた。

「痛たたたたたたたたたた★」

 振り回し、それでも哮天犬は孔宣の頭から離れない。彼の頭からは鮮血が溢れ、その頬を伝っていた。

「痛って〜ッ★ままま巻き戻しッ★」

「楊ゼンどの!!」

 しかし孔宣には手がある。無限の手札が。
 幾らでもやり直しのきく彼は、またしてもその力を使い、哮天犬に襲われた事実をなかったことにした。そして案の定楊ゼンの背後に躍り出る。
 楊ゼンも勿論孔宣の行動は見抜いていたがーー

「無駄ッ★時間的な存在の人間に僕は倒せない★」

 孔宣は笑っていた。勝利を確信して。
 ーーけれど

「今です太公望師叔!!」

 楊ゼンの後ろに回っていたのは孔宣だけではなかった。

「停!!」

 過去の太公望も孔宣の行動を読んでいた。彼は打神鞭を振るい、孔宣の頭に生えていたトサカを切り落とした。

「あッ★」

「ふふふかかったな!おぬしが時を巻き戻し楊ゼンの背後に現れるのを待っておった!そのトサカを狙うためにのう!」

 太公望はずっと観察していた。孔宣の動きを。そのトサカが時間操作をするたびに反応しているのを。太公望は観察し、そしてトサカが時間操作を司る器官なのではと推測を立てた。

「図★ッ!」

「……図星なの?」

「図★ッ!」

 そしてその推測は合っていたらしい。孔宣は目を見張り、だらだらと汗を流していた。

「さて、これでおぬしはただの鳥となった!どうする?まだやるか!?」

 太公望の言葉に、名前たちは孔宣を取り囲んだ。
 最早彼に勝ち目はないだろう。そう見込んでいた太公望は強気であったのだけれど。

「むむむむむむむむむむむ〜〜〜〜ッ★」

 孔宣が唸り声を上げた。
 と思ったら次の瞬間、切り落としたはずのトサカが彼の頭から生えてきた。傷ひとつない、綺麗なトサカが。
 そこには復活の二文字が刻まれていた。

「ぬおおまた生えた〜!!」

「エヘッ★一分で復活しッ★」

「な、なんという生命力……」

「っつーかやべえさ、コレ……」

 無邪気に笑う孔宣に、膝を震わせながら逃げ出そうとする太公望。名前と天化は呆然とその様を眺めるしかない。
 絶体絶命。次の一手など思いつきもしなかった。