武官、頑固さに手を焼く
袁天君との戦いの後。再び黄巾力士に乗って移動を始めた太公望であったが、なぜだか様子がおかしい。
「どうかなさいましたか?」
額を押さえる仕草に、名前は具合でも悪いのではと彼を窺い見た。
それに太公望は「いや……」と歯切れ悪く答える。
「袁天君を倒して『さぁ次もはりきって行こう!!』……って時なのだが……どうにもやる気が出なくてのう……」
「望ちゃんも……?実は僕もなんだ……」
「普賢さままで!?」
「二人とも何言ってるっスか!?」
名前は慌てて、けれど一度「失礼」と断ってから、太公望の首筋に手をやった。それから胸に耳を当て、心音を確かめた。
そうしても太公望は抵抗を示さなかった。ぐったりとした様子でされるがままとなっていた。
それだけでも異常をきたしているのだとわかる。だから名前の行動は確認に過ぎない。蒸気した肌も早鐘を打つ鼓動も乱れる息遣いも、それを裏打ちするだけであった。
名前は脱力しきった体を支えながら、「確かに風邪の症状のようですが……」と唇を噛んだ。まさか、今になって疲れが出たのだろうか。
やはり、彼らに負担をかけすぎたのだ。
自省する名前の横で、四不象は悲鳴を上げた。
「二人揃ってっスか!?」
「仕方がなかろう……風邪ならば……」
太公望は反論のために振り返った。振り返り、何かを目に留めた。目に留め、凍りついた。
「なっ……何という事だ!!」
「どうしたの?」
「やられた……なぜ気づかなかったのか……!?金鰲の仙人たちがコソコソ隠れておるのはそういう理由だったのだ!!」
「御主人?」
悔しげに歯噛みする太公望に普賢真人も四不象も首を傾げる。が、太公望の視線の先を追った名前には、彼の動揺の原因に察しがついた。
「まさかこの印が原因なのですか……!?」
「あぁ!」
普賢真人の鎖骨の下。傷ひとつない滑らかな肌に、しかしひとつ、見慣れぬ紋様が浮かび上がっている。
それが意味するものを名前は知らない。けれど異様であることだけは伝わってきた。だってそんなもの、以前の普賢真人の体にはなかったのだから。
「王天君のダニは1匹ではなかったのだ!!金鰲島全体に……いや、おそらく崑崙山にまでまんべんなく蔓延しておるに違いない!!」
「ダ……ダニって……楊ゼンさんにくっついていたあのダニっスか?」
「うむ!」
頷き、太公望は再び宝貝でんわを手に取った。
「あやつ思った以上の策士であったわ!妲己を思い出させるのう!!」
そう、王天君のことを評しながら。
「メーデーメーデー、誰か無事な者はおらぬか!?」
焦燥を帯びた声。崑崙の仙人たちに向け、一斉に駆け抜けた太公望の呼び掛け。
『あ!お師匠さまっ!!』
「武吉!」
だがそれに答える声はひとつしかなかった。ひとつしかなかった、けれどそれだけでも僥倖だと、太公望は顔を綻ばせる。
『太乙さん達が風邪ですっ!!!どーしよーーっ!!』
武吉の、涙まじりの叫び。
彼の言葉に、名前は息を呑んだ。
武吉は風邪だと言った。それは即ち、太公望たちと同じ症状に見舞われているということで。
太公望の推測が正しいことの何よりの裏づけであった。
「みんなは仙人や道士だけがかかる病に冒されておる!おぬしは至急他の者を集めて看病してやるのだ!!」
『はいっ!!ニオイを追ってみんなを探してみますっ!!!』
熱で頭の回転も鈍くなっているだろうに、太公望は素早く指示を出すと、次の通話を取った。
その相手は崑崙山に残ったはずの元始天尊からのものであった。現状を既に把握していた彼は、対処法を太公望に伝えにきたのだ。
ーーダニを退治するには、王天君自身を倒すしかない。
それは非常に単純で、あまりに困難なことであった。
けれど。
「わかりました。……何とかします」
「太公望どの……」
太公望は受話器を置いた。静かに、けれどその目には覚悟を滲ませて。
名前は躊躇った。声をかけるべきか、否か。
きっと要らぬ世話だろう。名前が言ったって何も変わりはしない。
ーーそれでも、名前は、
「あなたは休まれるべきです。これより先の聞太師との戦いに備えて……休まなくては、あなたまで」
太公望の手を取った。無理矢理にでも動こうとする彼を。その手を取り、真っ直ぐに見つめた。
「……いや、」
先に逸らしたのは太公望の方だった。彼は視線を外し、唇を引き結んだ。頑ななまでに。
それは彼の目も同じで。熱に浮かされながらもその瞳は力強く瞬いていた。
それは悲壮なほどであった。なぜだか名前の胸は締めつけられ、悲しみが込み上げた。
こうなることは予期していた。太公望が自分の選択を翻さないことくらい。それでも言わずにはいられなかった。案じずにはいられなかった。
彼が何より軽んじている、彼自身のことを。
「えっ御主人は休まないんスか!?」
太公望の選択に驚いたのは四不象だ。
太公望は「わしだってダラダラしたいのはやまやまだがのう……」と言った。言ったけれど、崑崙山に戻るつもりがないのは明らかだった。
ーー困った人だ。
でもだからこそーーそんな彼だからこそ着いていきたいと名前は思えたのだ。それこそ、出会った時から。
周りにばかり心を砕く彼と、共に戦いたいと。そう、思ったのだ。
「……わかりました、もう止めません。でも、」
名前は溜め息を吐き、そして今度は彼を支えるためにその手を取った。
「わたしも共に行きます。……わたしでも、盾くらいにはなるでしょうから」
「名前……」
笑みかける名前に、太公望はほんの少し困ったような顔をした。でも名前の意思をはね除けることもしなかった。名前がそうしたように、太公望もまた諦めたのだ。名前がその選択をそう簡単に変えやしないと。お互いがお互いの頑固さに諦め、仕方がないといった顔で見つめ合った。
「じゃあ僕も行くよ……」
「まぁ、普賢さままで……」
そんなところまで普賢真人と太公望は似ているらしい。いつだって自分よりも他者を慮る。
それが良いところではあるのだけれど、見ているしかできない名前としては歯痒くて仕様がない。もう少し自分を大切にしてくれればいいのに、と。
そうぼやかずにはいられなかった。