武官、カップルを担ぐ


 けれど結局名前が最後まで太公望たちに着いていくことはできなかった。
 道行天尊の弟子、韋護。ダニの汚染が広まってそう時間を置かずして、彼は太公望たちの前に現れた。
 そして太公望は新たな作戦を立てた。
 ダニに冒されていない韋護、ナタクがまず狙われるであろうこと。きっと王天君なら弱っている太公望たちを攻めるのは後回しにするだろうこと。それらを鑑みて、彼は韋護にナタクとの合流を促した。
 太公望はいつだって最善手を考えてきた。だからきっとこれも正しい選択なのだろう。

「名前、おぬしにも武吉と共に身動きがとれぬであろう皆を回収してもらいたい」

 名前に下された命だって。それが今の最善策で、最適解なのだ。

「……わかりました」

 名前は拳を握り、喉元までせり上がった言葉を抑えた。我儘など言えぬよう。唇を噛み、飲み干した。
 指令が下されたのならそれに従わなくてはならない。どれほど名前が望もうと、他の選択肢はもう考えられなかった。考えてはいけなかった。そうするのが臣下の務めであり、将を将足らしめることなのだから。
 統制を乱すようなことはあってはならない。この戦時下では、特に。

「攻撃される可能性は低いとはいえ、戦えぬ者をひとところに留まらせるのは危険ですものね、早急に離脱させてあげませんと」

「……あぁ、そうだ」

「……ならば従いましょう。あなたの、お望み通りに」

 危険なのは太公望たちだって同じだ。彼らだって早々にここを離れるべきだ。
 けれど二人がそうするとはとても思えなかった。彼らはそういう人たちだから。
 だから、名前は。

「……無茶だけはしないでくださいね!」

 意味のないことだとしても、そう言わずにはいられなかった。
 太公望が頷くのを認めて、仮初めの安寧を得ることしか。

「……蝉玉どのっ!」

 仲間の捜索に出た名前が一番に見つけたのは蝉玉たちE班だった。
 発症してからどれほどの時間が経っていたのだろう。いつもの明るさが嘘のように、蝉玉は力なく地に伏せていた。
 その光景に、ひやりとしたものが名前の胸を駆け抜ける。

「……っ、」

 掌に爪を立てることでそれをやり過ごし、名前は蝉玉を抱き起こした。
 伝わる体温は驚くほど熱く、眉間に寄せられた皺は深く。

「名前……?」

 けれどその睫毛が震えたことに、その瞳が名前の存在を捉えたことにーー彼女の意識が戻ったことに、名前は安堵した。平静を保つことができた。
 そうでなければきっと名前は今すぐ駆け出していただろう。敵わないと知っていても。それでも王天君を倒す可能性に賭けたろう。

「ね……、ハニーは……無事……?」

 蝉玉はどう見ても重症だった。それなのに彼女が一番に心配したのは土行孫のことで。
 だから名前は彼女の手を強く握った。

「はい、あなたと同じで臥せってはおりますが……。もう大丈夫ですよ、わたしが必ず崑崙まで連れていきますから」

「そ……。それなら安心、ね……」

 微笑む少女はこんな時なのにとても美しく笑った。
 ただひとり、愛する者を想う瞳。温かで、穏やかで、とても尊いものだと名前は思った。

「……帰るのは土行孫どのだけではありませんよ。あなたのことも、です」

 このような抱き上げ方をするのは信条に反するし、客観的に見て女性への対応としてはあり得ないものだ。
 だが蝉玉にとっての最善を名前は考えた。蝉玉にとっての一番を守ることを。彼女の身も心も守るために、名前は彼女を肩に担ぐと、もう片方の手で土行孫を抱き上げた。
 脱力しきった人間の体というものは常では考えつかぬほどに重たいものである。が、今の名前にはそんなことはどうだっていい。骨が軋もうと筋肉が悲鳴を上げようと、どうだっていいのだ。

「ちょっと、無茶しないでよね……」

「わたしのなんて無茶のうちには入りませんよ」

 心優しい蝉玉は、土行孫のことだけでなく名前のことまで気にかけた。自分のことだけでも精一杯だろうに。
 そんな彼女に、名前は地を蹴りながら笑いかける。そして、「それより、」と言葉を続けた。

「こういう時こそ楽しいことでも考えてください。それが今あなたの体に必要なことです」

「楽しいこと……」

「例えば……そう、土行孫どのとの未来だとか」

「ハニーとの……」

 瞬間、蕩ける声音。夢見心地な少女の囁き。
 彼女は甘やかな吐息を漏らすと、「そうね、」と語調を改めた。そこには先程まではなかった力強さが宿っていた。

「あたしこんなとこで死ねないわ!だってハニーとラブラブな結婚式を挙げるって決めてるんだもの!!」

「そうです、その意気です」

 心と体は密接に繋がっている。体の健康を保つためにはまず心から安らかにならねばならない。
 そう励ます名前に、蝉玉は小さく笑った。

「……ありがとね、名前」

「……いいえ、」

 秘めやかな声に、名前はそっと首を振る。こんなの、名前が彼女から貰ったものに比べれば大したことじゃない。名前が彼女から受けた恩に比べれば。
 名前は彼女から恋を教わった。自分の想いを大切にしろと蝉玉は言った。彼女がそう言ってくれたから、名前の未来は変わった。彼女がいなければ、今の名前はいなかった。後悔のない今があるのは彼女のお陰なのだ。
 だから気にしないでほしいと名前は言った。

「あなたにいつも通りの笑顔が戻る、それがわたしにとって何よりの褒美です。そのためには早く元気になっていただかないと」

「……もう。恥ずかしいこと言うんじゃないわよ」

 蝉玉は照れたように声を落とした。彼女にしては珍しい仕草に、名前はつられて笑みをこぼす。やはり、彼女には元気でいてほしい。

「土行孫どのは本当に幸せ者ですね」

 冗談まじりに、けれど本気で言いながら、名前は崑崙山に向けて駆けた。

「……?」

「どうかした?」

「いえ……」

 その途中。見知った気配を感じたーーような気がした。
 それが視線といった明確なものであるのか、そもそも勘違いであったのかすら一瞬のことで名前にはわからない。
 けれど否定することもできなかった。名前のなかでは以前からある種の予感があったし、何より”彼”のことであったからーー”彼”の気配を見間違うとはとても思えなかったのだ。